日別アーカイブ: 2005年8月6日

八月六日のために(8)ーー持続的発展と再生的宇宙の違い

控えめな人々は「持続的発展」という「再生的宇宙」の代用品を愛用している。神に近い、しかし、宗教ではない「再生的宇宙」は、核分裂による放射性物質の半減期が終わるより遙か前に無数の生命を誕生させた。世界の覇権を手にした連中の誰一人として、環境のすべてが破壊された後のヒロシマの再生を予測していなかった。黒い雨を飲料水にして生き延びた人々の60年後の証言を予測していなかった。ヒロシマの地獄は、軍部の驚喜であったが、ヒロシマの短期間の復興は、世界覇権の「持続的発展」のシナリオを破壊した。

e・食・住.org

八月六日のために(7)ーー自然科学者

自然界で分解しない化学元素の一時的な集合体(古い概念では、ゴミと呼ばれる)は、崩壊する時間が人間の寿命に比べて長すぎる放射性廃棄物も含めてすべて自然科学者が関与している。あるいは物質の相互作用の対象外に置かれた結果と考えられる。

e・食・住.org

八月六日のために(6)ーー宇宙ゴミ

その60年後の2005年8月6日、スペースシャトル・ディスカバリーがドッキング中の国際宇宙ステーション(ISS)の壊れた10億円の宇宙服などの「ごみ」など約2.3トンを詰め込んだ保管庫をISSからロボットアームで取り外し、シャトルの貨物室に移したと報じられた。

宇宙開発にもゴミという言葉がコミュニケーションに使われる限り、「再生的宇宙」の存在は、知性的産物にしかすぎない段階を表している。

e・食・住.org

八月六日のために(5)ーーヒトゴミ

ヒロシマの原爆は核分裂理論にしたがって太陽よりも輝いた。開発に従事した軍部にとって、瞬時に14万人の焦げたヒトゴミと大量の放射性廃棄物とがゴミ出しされた事実は、世界の覇権を意味していた。有機的生命の破壊行為に、自然法則は介在しなかった。

e・食・住.org

八月六日のために(4)ーーゴミと想像力

ごみ 【塵/芥】とは、物のくず、不要になったもの、役に立たないものなどの総称とされている。ゴミ出しという行為によって、誰でも意識的に、無意識的に日常的にゴミを合成できるわけではない。化学的存在であるゴミという物質の解離と結合には、自然法則が介在する。廃棄物質は「ケミカルアブストラクト」には登録されない92種の元素の組み合わせの総称である。ゴミは、人類の想像力の欠如から、抽象性(アブストラクト)とエントロピーの無限性の融合した状態である。

エコロジー運動に関わる多くの人が、この概念を「ゴミ問題」というように日常的に再現するかぎり、「平和運動を戦っている」場合のような概念の撞着がある。

e・食・住.org

宇宙のユビキタス

高度300キロメートルの大気圏外では宇宙服なしで生存できないが、ジェット機が飛行する高度1万メートルでも、特別なスーツを着用しなければ人間は生存できない。われわれはどこにいても被爆している。宇宙のユビキタスとは電磁波であり、放射能である。放射能はどこにでもあるありふれた放射エネルギーである。太陽からもっとも安全な距離に置かれた惑星こそが、バイオスフィアである。バイオスフィアは脱ユビキタスとして見事にデザインされている。これが、宇宙遊泳がもっとも不格好な哺乳類の遊泳スタイルとなっている原因でもある。

e・食・住.org

最初の被曝者

今日は8月6日である。史上最初の被爆者は原子物理学者のマリー・キューリー(日本ではキューリー夫人といわれている)である。宇宙パイロットは、一種の被曝志願者である。キューリーよりも比較にならないほど、被曝している。キューリーの時代にはまだ生命とラジウムの危険な関係が十分に捉えられていなかったが、宇宙パイロットたちは宇宙飛行の後はだれも子どもは生まない。シャトル乗組員には軍隊ほど若いパイロットや技術者がいない理由である。

e・食・住.org