ヘリウム

昨日は終日雨で川は恐ろしいほどの雪解けの濁流で渦巻いていた。天然温泉も閉鎖されていた。ナビに誘われて、霧と残雪が未だ深い1200mの頂上付近の山小屋ロッジで『クリティカル・パス』を読んでいる少年に出会った。
そして、名前を聞く前に、「1895年ヘリウムが発見された。ヘリウムガスは、地球上ではひじょうに乏しい。水素と同様気体であるが、水素のように可燃性ではない特質がある。ヘリウムは、社会理論上は、すべての人の所有物であるけれども、もっぱら工業のためだけに利用され、一般には利用できないが、月には豊富に存在する」という興味ある内容を聞かせてくれた。
私は、ヘリウム3は天然には僅かしか存在しない。その理由として元素の稀少的存在には短い半減期が付きまとう元素の存在度について話した。
彼は、ヘリウムを使った超伝導について調査している時に図書館でこの本に出会った。高校には行っていないと言っていたが、オタクでもニートでもなかった。
ヘリウムは誰かに独占できるわけではないという視点から私が知るどの年代の少年時よりもニヒリストではないと確信できる。
共感能力に年齢はない。  
コーヒーを飲んで彼と別れた後、遊牧民の中学生が衛星インターネットと太陽光パネルの付いたPCで勉強しているテレビの映像を思い出した。そして遊牧民の少年たちが俳優のように見える印象と重なる。
共感能力に富んだ彼らには生きるための自発的な視線があるだけなのだ。

高度1200mでのコーヒーは、ヘリウムの存在度よりも低い希有な香りに満ちていた。  Y.K

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