月別アーカイブ: 2006年8月

ネット社会

もっとも理解している分野の情報に接すると誰でも違和感を感じるだろう。
ネットしているときは、われわれの脳はすでに自発的な活動ではない。
無数の他者の世間話にどれだけ耐えられるかである。  Y.K

情報修羅道2

価値観は情報量が形成する、という情報修羅道は、
未知(unknown)なる存在に対する恐怖心が引き起こしている。
知らないということが、発明や開発にどれだけ影響を与えているかという科学的な探査が決定的に不足している。
たとえばこどもは言語を習得する時期に学校には行っていないという学習原理は、人類の生存に不可欠である。
この時期に学校に行かせる全コストを教育費から削除してきた理由を考えれば、
10代前半までのネット経験におおきな格差が生まれるのはほとんど無視できる。
少なくともこの格差が常識を増大させることはあっても、人類に影響を与えるテクノロジーを生んでいるとは言えない。
PCやブラウザ自体が大学の外で開発された事実に注目しなければならない。
読書量がインテリジェントを向上させるとは限らないように、ネット経験量は動機づけを生まない。

価値観は情報量が形成するという情報修羅道の蔓延は21世紀の教育の危機である。  Y.K

情報修羅道

「2005年では、PCから利用する人が4000万人、携帯からのみ利用する人が3000万人、インターネットを利用しない人が5000万人、特に若年層においては、PCを入手するために必要な数万円が払えないために、携帯からのみ接続しているユーザーが多く、数百万人に達する」らしい。
これらが正しい統計だとすると、
「携帯のみを使う場合は、知らない人や知らない知識に出会う可能性がPCを使うときに比べると格段に少なく、若いときに5年以上のネット経験量の差がついてしまう。価値観がつくられる10代前半までのネット経験におおきな格差が生まれるのは問題だ。」という推論が専門家の間でなされる。

こうして価値観は情報量が形成するという情報修羅道が21世紀の常識になってくる。かつて100円マクドナルドハンバーガーが10代に定番化した理由は、10代前半までの小遣い範囲での外食経験におおきな格差を生じさせるためであった。この時期の食体験は一生を支配するという仮説理論は、先行した情報修羅道である。

人間は多様化が許されている。
価値を選択する以前のこどもにも。
しかし、これらは両親の価値観で決定されている。
ほとんどの30代を中心とした両親たちは情報修羅道という情報グローバリズムに餌付けされている。
PTA以上に強力なこれらの教育ロビーイストたちはPCで年収を増幅させた人たちである。  Y.K

森と都市の戦い

私は都市ではなく、森に住んでいる。
ところで、人口密度よりも熊の方が多いこの村で熊に襲われた人はいない。
熊が森を生成しているかぎり、熊はほとんど人間を見る必要がない。

人間が村で熊を見ることは、熊の最後の戦いを意味している。
昨年年度だけで二百数十頭(広島県のみ、日本全体では少なくとも数千頭)の熊の虐殺は、
森と都市の最後の戦いである。
熊を虐殺するかぎり、
「都市と農村の共生」などはあり得ない。  Y.K

マンハッタン計画

核兵器開発のために
情報共有をしたアーティストサイエンティストは
12万人であった。

原爆以外にかなりのアイデアを収集した結果を検索する方法が開発された。
これが最初のハイパー言語開発の必要性であった。

現在、ハイパー言語はどの言語よりも利用されている。  Y.K

宇宙の張力は重力に変換される。
そして、愛は人類が手にした最初の張力だ。
愛に質量がない理由は科学的探査から除外された。

人類が無重力に憧れる間は、
過渡期的であり、そして危機的なのである。  Y.K

im.jpg

エフェメラリゼーション

巨大な飛行船は大地へゆっくりと着陸できる。
直径が数キロメートルのテンセグリティ・ジオデシック球が着陸するときも、
浮遊しているタンポポが着地するようにしか見えないだろう。

大きさに対する経済学とエンジニアリングは未だに自由化されていない。  Y.K

dandelion.jpg