市民農園 

都市と農村は交流することは不可能なように設計された。
情報格差は、都市と農村を分離して存続させるエンジンであった。

そして今、互いの債務を忘れて交流するためには、
偽装しなければならない。
エコロジー的市民農園とか、民家宿泊とかの
市民が運営する安価なレジャー施設で、
移動人口の増大をもたらし経済効果を期待するという単純な考えで、
人々を引き留めることはできないが。

移動人口や農村部の定住人口の増大には、
基本的に多大な税金投入が必要である。

都市と農村は第2次世界大戦中の大規模な生存の危機から発生した
<疎開>という形で否応なく交流したように、
都市と農村が再び交流するためには、真の危機が来るまで、
もっと互いに対立したまま破壊されなければならない。

生活格差とか、情報格差とか、高齢過疎化とか
はたまた限界集落とか、
これらもっともらしい経済統計学の概念は、
日本の都市と農村に限ったことではない。

世界中で起こっているグローバリズムの標準化の生々しい兆候だ。

アジアでは、稲作から遠ざかる奴隷化(都市では消費者と言われる)のそれぞれの段階を表している。  Y.K

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