最高の授業

最高の授業に
最高の教師と最高の生徒は必要である。
この考えはエリート主義の惨めな幻想だ。
私にとって最高の授業は、
教師のいない、
テキストもない
こどもだけの自律的授業だった。
1950年代にアメリカは敗戦国で自国では禁止された
先端的な教育実験を指導していた。
特に廃墟と化したヒロシマで。
驚くことに
こどもはこどもを教育できる。
お互いの間違った経験によって。
学校という「囲い」によるシステムエラーを
こどもには訂正できないだけである。
「囲い」とは
間違いを除外するための
間違わないシステムである。
それはつねに最高を目指している。