月別アーカイブ: 2014年6月

サイズの基準

Tシャツの季節がやってきた。
私のサイズは日本で買うとLLだが
アメリカではMになり
オランダではSになる。
Tシャツの標準はまだ局所的である。
Tシャツの標準は平均身長ではなく
ハンバーガーの大きさのように
胃袋の大きさに準拠している。

共鳴型テンセグリティ

共鳴型テンセグリティは絶えず動いている。
テンセグリティは、複雑に素早く変化する動的に均衡を振動に変換し
あらゆる瞬間に新鮮な調和を形成する過程を視覚化するモデルである。
このテンセグリティモデルに最初に出会ったとき、
そこには条件付けられ固定化された思考形態と、
決して静止することがない無生物のメカニズムとの間に
絶え間ない混乱がおこる。
しかし、この混乱が既成の思考パターンから
抜け出す葛藤に変化するとは限らない。
テンセグリティの一つの張力材が破断すると
全体が連動して破断する思考形態を
疑うことができないまま
絶えず動く無生物に対する怖れが拭い去れないのである。
絶えず動く構造システムが
生存空間には不適切だと判断するには
不動産という概念の牢獄が
数千年間も持続しなければならない。

浮力について

建物を支える杭が地中の固い地盤に達していないために
建物が傾く事故が報道されている。
建築技術は固い岩盤がなければ、
建物は船が傾くように傾くことを前提にした技術であるが
建築技術はあきらかに建造物全体の重量の限界に基づいていない。
物体が受ける浮力は、その物体と同じ体積の流体に作用する重力に等しい。
言い換えると、船の浮力は船体が水を押しのけた
体積分の水の全質量に等しいならば
高層ビルの浮力はその基礎部が押しのけた
大地の全質量に等しいのである。
すべての建物は浮力に応じて
沈むか、浮遊しているからこそ
固い岩盤に依存した状態でのみ不動なのである。
固い岩盤に一時的に係留された建造物は
法律上でのみ動かぬ不動産なのである。
科学的に岩盤(plate)は岩石圏(lithosphere)であり
地球表面で弾性体として機能している。
すべての固い岩盤(plate)は、大陸とともに移動している。
古い概念に固執するほど危険な行為はない。

虚報大国

「吉田昌郎元所長の調書については、
本人が上申書で非開示を求めていることから、
これまで通り開示しない」朝日新聞
未来よりも過去の事実を変える人々が
議会制民主主義とメディアを支配しているかぎり
こんな情報は当てにならない。
非独立国家の最初の原発は日本の税金で研究開発し
その後民間企業に譲渡されたのである。

カボチャ

カボチャはいまがもっとも栽培しやすい。
梅雨の中での種まきが一番発芽率が高い。
雑草の中に植えても成長が早く
ついに雑草を大きな葉の陰で覆うほどになり
地表の温度上昇を確実に防ぎ
菜園場の乾燥を防ぐことができる。
コンポストに廃棄したカボチャのこぼれ種から収穫されるカボチャは
夏には一番はやく綺麗な花を咲かせるだろう。
その花はとても短命だから、ミツバチの受粉はもう一つの楽しみである。
日よけ用のカボチャの栽培はゴーヤよりも簡単だ。
この季節ならスーパーのメキシコ産のカボチャの種からも
確実に生育できるのでカボチャの苗を買う必要はない。
カボチャのこうした強健な性質から
もっとも簡単に無農薬栽培ができる。
南瓜は中国名であるが、彼らが熱帯地方で栽培化された種とは限らない。
収穫後の保存中にもっとも糖分の高くなる伯爵カボチャの原種は
冷涼なアンデス山脈だから
ここのスタジオの傍らの気楽な栽培には適している。
今年が冷夏なら尚更だ。

形態(form)vs モデル(model)

観察から再現しないシナジェティクスモデルは
自己中心的な観察者には好都合なのである。
彼らはフィジカルな形態(form)に追われて
モデル言語を理解するメタフィジックスと
無関係にできる日々を過ごしている。
こうした形態のコレクションから始める探究は
逃避の擬態にすぎない。
この擬態の目的は
自己への観察をつねに誤認させることである。

思考力

テレビや新聞はいい加減どころか
人々を騙しているから
テレビも新聞も見ない人々は
真実を知るためにインターネットを見る。
この思考パターンはまだ疑われていなから
新たな嘘を信じ込ませる人々よりも
信じ込む人々が多い場合でさえ
新たな<現実>を形成できるのである。
凡庸な順応のパターンの学習に追われ
凡庸な思考力が生まれる。
真実を知るために他者の思考に依存する習慣は
まだ疑われていない。
つまり、凡庸な思考力は
偽善と冷酷さを生むために不可欠なのだ。

共鳴型テンセグリティ

共鳴型テンセグリティは絶えず動いている。
テンセグリティは、
自重や外力を受けると複雑に変化する不均衡を素早く動的に変換し
あらゆる瞬間の新鮮な調和を形成する過程を
連続的に視覚化していくモデルである。
破壊から逃れるもっとも効果的な方法は
パッシブな外力分散である。
それゆえに、このテンセグリティモデルに最初に出会ったとき、
条件付けられ固定化された思考形態と
決して静止することがない無生物の自律的メカニズムとの間に
絶え間ない混乱がおこるのである。
しかし、この混乱が既成の思考パターンから
抜け出す葛藤に変化するとは限らない。
テンセグリティの一つの張力材が破断すると
全体が連動して瞬時に破断する思考形態を
疑うことができないまま
この絶えず動く無生物に対する怖れに支配されてしまうのである。
絶えず動いている構造が
生存空間には不適切だと判断させる
不動産という法律概念が
数千年間におよぶ概念の牢獄を形成している。
テンセグリティを美的範疇に押しとどめる努力も
その現れにちがいない。

メタフィジックス

誰もシナジェティクスモデルを発明できない。
それは発見されてきた。
より自律的な思考や感情から誘導される
自然に潜む絶えざる開示なのである。
シナジェティクスモデルを発見する方法など存在しないが
その開示されたメタフィジックスは
人々を夢中にさせる独創性として誤解されている。

特許的独占のための独裁

STAP細胞は存在するからこそ
理研はネイチャーの論文提出よりも
特許出願を先行させてきた。
研究者の論文を取り下げさせても
特許出願を取り下げていないのは
理研がすべてのSTAP細胞特許の特許出願人であるからである。
STAP細胞に関しては製造方法の発明よりも
その概念の発見の方が科学史的に重要視されるにちがいない。
STAP細胞の製造方法を特許的に独占して
関わった複数の発明者ではなく
その第1発見者を理研から解雇するために
論文を意図的に不正に提出させ
論文の掲載後に匿名でインターネット経由でその不正を暴露し
その発見者を研究所内の法律で陥れるすべての関係者の時間エネルギーは
税金で賄われてきたのである。
少なくとも、理研は概念の発見者の名誉と事実を
自動消滅させる企ては成功しているように見える。
それほどの傲慢さと犯罪行為を維持できる社会構造を
批判しない人々は、内部であろうと外部であろうと
もはや科学者ではないだろう。
小さな独裁者の集団性は
メディアのヒステリックな排他性と共鳴しやすいのである。