月別アーカイブ: 2015年3月

絶滅(extinction)について

ある技術がそれまでの技術を陳腐化すると
発明(invention)と言われる。
ある概念から社会的にも新たな価値を創造すれば
変革(innovation)と言われるだろう。
ある生物種が滅びると絶滅と言われる。
ある言葉が使われなくなると死語と言われてきた。
人間は、他の生物が絶滅した後に誕生し、
さらに他の生物を絶滅させてきたように
人間を絶滅させるために開発された核分裂兵器の性能を
より高性能にするための原子力発電は
廃炉にする技術もないまま、税金で製造されているが故に
絶滅させるべき技術であると同時に
原子力発電という概念は死語にするべき言葉である。
(水蒸気でタービンを回転して発電しているかぎり
発電の基本構造は蒸気による蒸気機関である。)
反核や反原発からは、発明や変革は生まれない。
絶滅(extinction)は、それ自体が先験的な宇宙のテクノロジーである。

観察者

未知なる存在は、
自然に含まれるが
自然は、
さらにシナジーに包括される。
部分から推測できないシナジーの働きを発見するまで
観察者に<全体>が存在しないのではなく
観察者が<全体>に含まれるまで
不可欠な<部分>は存在しないのである。

産業

経済が優先という考えが、産業の進化の過程で著しい障害となる。
これほど根拠のない、しかし、大多数に支持される考えはない。
産業は、少数の人々のアイデアと直観から膨大な富を形成している。

ハードウェア

3Dプリンターは日本の金型産業を破壊するために
CADと共に開発されてきた。
3Dプリンターは
アジア人の手という思考する精密機械と
絶縁させるために工作されたのである。
アイデアのコピーレフト化よりも
ハードウェア全般の自由化へのイニシアティブは
人間がより自由であるかどうかにかかっている。

物質化された瞬間

テンセグリティは美しい。
張力材が数カ破断したテンセグリティはもっと美しい。
誰にも気づかれないように、ほとんど元の球状を維持している。
局所的な、しかし決定的な破壊に対する概念の牢獄から解き放たれて
部分と全体の絶えざる不可視の相互作用を感じとれたなら
張力の理解が物質化された瞬間がやってくるのである。

黄食人種

ウリ科のカボチャは、白い皮の伯爵がもっとも美味しいのは
糖分が多く含まれているからだろう。
カボチャの種は、初夏にコンポストの近くに
無造作に植えても簡単に発芽しはじめる。
夏の終わり頃、一個の種から平均5個程度のかぼちゃが収穫できる。
カボチャを栽培すると雑草がほとんど生えないのは
茂った雑草に覆い被さって、分厚い大きな葉で太陽光を遮り
その成長を阻むほど強い植物だからだ。
誰でも容易に無農薬自家栽培できるので
私は朝食用の豆乳入りのカボチャスープにしている。
どんな野菜よりもカボチャを食べるので
カロテンやビタミン類を経済的に摂取できているだけではない。
人類が生物学が発見する前に、酒を醸造しなかったどんな民族も存在しない。
深い圧力鍋でカボチャをほぼ丸ごとを短時間で調理できるから
カボチャと酵母菌から焼酎を簡単に醸造する方法もある。
酵母菌は糖分があれば何でも酒にする。
雑穀類、ジャガイモ類、とうもろこし、樹液、蜂蜜、果汁から
平均60%のアルコールが収穫できる。
(無濾過の焼酎を水で薄めて30度以下で製品化するのは
アルコールの度数に比例した酒税法のためだ。)
カボチャは長期間保存できる野菜である。
メキシコの洞窟の紀元前7000~5500年の地層から
カボチャの種が発見されている。
先人たちもほとんど同じ理由と方法で生きていたからだろう。
こうした黄食人種はきっと火星でも、再現されるにちがいない。

ステップアウト

社会の生産性と不可分な形態美から逸脱する方法なくして
峻烈な原理の探査方法が確立できないならば、
美的価値が新たな機能の形成後に生まれることを
知るだけではなく
メタフィジックスからの物質化を企てるために
群れから遠く離れた場所にいなければならない。

模倣

バックミンスター・フラーのシナジェティクスモデルを再現するより
シナジェティクス原理を模倣するほうがはるかに知的である。
宇宙の原理は、非人格的で
そして
非形態的であるから。