月別アーカイブ: 2016年2月

生活器へ

プロダクトデザインから生活器は生まれなかった。

デザインサイエンス、つまり
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の統合性は、
主に建築学と機械工学によって権力テクノロジーと記号テクノロジーに組み込まれ、
さらに、生態学や教育学や医学、そして心理学といった各専門領域に分断されることで、
その重要性と自律性に関与する基本機能をすっかり失ってしまった。

そして生存に必要な最小限の生活器としてのトリムタブでさえ、
無数のアブノックスの偽装された安全率によって、つねに先送りされるのである。

<デザインサイエンス>を
クリティカル・パス方を導入したプロダクトデザインや
科学的なデザイン理論として定義しているかぎり、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>は
デザインサイエンスの教育過程に限らず、
プロダクトの初段階ですでに排除されたままである。

偽装されたデザインサイエンスに共通する現象は
シナジェティクスの原理への探究心の欠如である。

シナジェティクスの原理への探究なくして、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の
統合性(integrity)は生まれない。

物質的触媒作用

シナジェティクスは幾何学や数学、物理学だけではない。

学問と共に始まるのではなく、
未知なる存在との境界と
超えるべからざる自然との境界との間(between)ではなく
それらを超えた領域に
シナジーの実在を知るために
シナジーを客観的現象ではなく
操作可能な機能として発見するのである。

シナジェティクス以上の
実在する物質的触媒作用が存在するのだろうか。

客観的行為

リヒテルの平均律を10年間聴いてもピアノは弾けないように
「シナジェティクス」をすべて読んでも理解できないに違いない。

何かを素晴らしいと感じる瞬間が訪れた時、
たとえば、スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルや
バックミンスター・フラーに会いに行くべきだろう。

もっとも簡単なことから始められる
学校での学習や独学から
もし連れ出してくれる機会がなかったら
学校は残酷な場所だ。
対話のない独学はそれ以上だ。

誰かに似てしまう言葉を習得する前に
その残酷な場所から逸脱するのは
最初の客観的行為だから。

これは、もっとも簡単な主観的世界の作り話だろうか。

安全の概念

自動車や船舶、そして航空機の安全メカニズムと
人口統治という一連の政治的な安全メカニズムに関する安全の概念が
同一視される権力メカニズムを分析しない
疑似デザインサイエンスが、大学で先導的に実践される前に
1970年代のバックミンスター・フラーは、
移動する研究教育機関(Floating University)を構想し創設していた。
(1980年代のバックミンスター・フラー研究所にいた頃、
私はその大学の学生にシナジェティクスを個人教育していた。
たとえば、毎回場所を替えたレストランの窓側で。)

移動しない大学は、土地不動産の管理運営と退職金だけで
教育コストの大半を消費するメカニズムに取り込まれていたからだった。

安全の概念とテクノロジーが、高速で移動するテクノロジーによって
より加速度的に進化しているにもかかわらず。

土地不動産と都市のインフラに縛られた学問は、時代遅れである。

個人以外に

現実的な生存形式を探査し、その結果を記録し、映像化し、
そして数学的に、そして経済的にデザインする作業を
デザインサイエンスの過程にではなく
客体化あるいは服従強制の生存方法として機能させる目的に従事する人々は
その研究開発費を国家や大学に求めてきたことを疑いもしない。

しかし、20世紀の主要な産業のプライムデザイン
(例えば、自動車やPCなど)に関わったのは
国家や大学ではない。

個人以外に宇宙の原理を発見する機会を求めないという
経験的事実はまだ社会的知性ではないのだ。

概念の懐胎期間

体系的形態の変化よりも
素材の変化からテクノロジーの進化を期待する時
<構造とパターン>の革命が伴うとは限らない。

真の<構造とパターン>の革命は
数世紀間以上も影響を与えてきた。

プラトンからケプラーまで
そして、ケプラーからフラーまでの
概念形成の隔たりのように
幾何学的概念革命には、
科学技術の研究開発に先行する原理の発見までの懐胎期間以上の
懐胎期間が存在する。

それは素材の変化からは求められない
未知(unknown)の数学的自然からなのだ。

正常化のための

どんな危機的情況からも
問題を解決しないで正常化する技術は
至る処にある。

オフィスや学校、
工場やそして家庭にさえも。

そして、自動車の排気ガスをコントロールするプログラムさえも。

それは、明らかに権力による
正常化のためのテクノロジーを初源としている。

人々の生活はついに
正常化のための奴隷になることを
正常化される。

科学的思考

科学的思考といわれる
ありふれた方法にこれまで
従属していた知。

その再構成ではなく
知への反発と放棄から
野性的思考は発現する。

しかし、それを待つだけの信頼を
持てないような科学的思考で覆われているから
シナジェティクスから去る人々は
シナジェティクスへ向かう人々よりも多いとしても
シナジェティクスは
見えない星々にあるのではなく
裏庭の岩石のような
ありふれた沈黙の中にあるのである。

自発的に、自律的に。

非圧縮力的宇宙観

人々は無意識に
ほとんどの構造にまだ<大黒柱>を求めている。

大黒柱ほど圧縮力の社会を象徴する構造言語はないだろう。

張力的世界とは何か。

動くモノは動くモノに作用する、つねに互いに離れていても。
たとえば、太陽系に浮かぶ惑星地球。

この大気圏内の非圧縮力的宇宙観は
まだ圧倒的に希薄である。

科学的反乱

テンセグリティ構造の歴史に於ける反乱と革命とは
1つの中心に対して中心化しようとする力学作用に対する
反乱的な力学の理論化と実践にある。

中心なきネットワークの構築方法こそ
局所的な破壊から致命的な破壊への連鎖を
無効化する科学的反乱の方法なのである。