月別アーカイブ: 2016年12月

<個人>の概念

<個人>の概念によって、単純で強い自己愛に包まれたまま静止している習慣を
自己の外から見ることは困難だ。
<原子>にもさらなる内部構造がある実験の方法が一世紀前に存在したように、
<個人>にもならなる内部構造があることを示す思考実験の方法は存在する。

そして、民主主義政治システムの中の<個人>の概念は、
何者であるかを見出すための幻想に満ちた矯正手段であることが認識されるだろう。

こうした凡庸な才能の形成と同時進行する政治システムの形成には、
何者かであることを拒む思考はまだまったく関与していない。
<個人>は矯正されつづけ、ほぼ職業と一体化してしまったのである。

<個人>の概念は、<宇宙の階層構造>を隠蔽するために発明された。
可能な限り深く、そして広い範囲で暴き出す先験的な<宇宙の階層構造>を。

回転軸保存性

構造を発見するということは、
これまでの構造を支えた概念に到達するための現実的な破壊と解体、
まったく別な次元へ転換、予測を超えた段階に到るような何か(=プリセッション)を
経験することを意味している。
——原子核の発見が電子の発見から転換されたように。

軸回転するものは他の軸回転するものへ距離を隔てて影響を与える
宇宙の存在形式がある。
そして、このプリセッションが思考の構造までも変革することが
まだ社会全体には到達していなのである。

空気メーター

グランチは、石油資本による電力ネットワークを構築する前に空気の独占方法を模索していた。

マルセル・デュッシャンが、<パリの空気50cc>(1919)を制作する前の、彼の作品メモはその歴史を批判する。
<自分が呼吸する空気にお金を支払わねばならない社会を作りだせ>
[空気メーター、禁固刑または空気の希少化を行なうこと、料金未納の場合は必要に応
じてただ窒息(空気のカット)させよ](1915)
1950-134-78

どんな課金メーターもないテンセグリティ・シェルターは、
無柱、無管、無線、無軌道の大気圏内で振動するニューマチック(空気構造物)である。

一つの巣

ほとんどの同時性は通学や出勤によって維持されている。
膨大な石油エネルギーと原子力エネルギーが
その同時性の確保のために浪費させられている。

<一つの巣にすべての卵を生む RBF>危険な習慣性デフォルトを支える、
すなわち、一つの巣の中で適者生存を競う同時的社会観は
知的な成長と自然の経済から脱落する。

学校や職場という同時性で矯正する環境は、
一つの巣の中の国家経済の破綻と共に解体されるだろう。

瞑想

シナジェティクスモデルの発見、
つまり、物質化と非物質化との相互作用の存在は
全体を完全な注意を払って見つめる心の状態と関連している。

ライセンスや生活費を稼ぐために
どうして学校や仕事場に行く必要があるのだろうか
と、考えた16歳の時の直観とすこしも変わらない時代に生きている。

unknown entity

記憶力による知識は、他者の知識に依存する。
実験と経験によって獲得される知識は、時折、思考方法を変革する。
その思考方法で捉えられない主観的認識は、直観から始まる。

思考や感覚に頼らないで観る領域は、しばしば可視化され、
その領域(unknown entity)は、
観ることによって接近し、拡張される。

動力学的住居

17世紀にミケランジェロに加えてレオナルド・ダ・ビンチが設計に参加した 
バチカン市国の世界最大級のサン・ピエトロ大聖堂によって
無柱の球状空間(直径49m)が、絶えず威信を持つようになり、
その後の宗教的建築のモデルとなった。

世界最大級のための初期の構想案は、完全な半球ドームであったが、
最終的に静止力学的な解法と実験から尖頭型ドームが採用された。

システムの各要素の相対的な位置が時間的に変化しない状態で作用する
力やトルクについて研究する静止力学的は、
大地の静止状態を前提とした構造物のみを対象にしてきた。

その歴史的保守性を超えたのは、1949年のバックミンスター・フラーによる
オクテットトラスを構造モジュールとした
動力学的なジオデシックドーム構造(直径51m)である。
真のジオデシックドーム構造は、大地に根ざした基礎部を必要としない。

それによって、形態学や超専門化した施工技術を基盤とした建築学ではなく、
数学を基盤とする超軽量な構造学がはじめて明らかにされた。
同時に、世界最大級の宗教が独占してきた無柱空間は、
ジオデシックドーム構造による単位あたりの物質・エネルギー・時間コストで
圧倒的に陳腐化したのである。

大地の動的状態と共存可能な人間の住居のモデルは、
巨大宗教を支えた静止力学的な建築学を基盤とするのではなく、
数学を基盤とする経済的なモバイル用超軽量テクノロジーに移行したのである。

この超軽量テクノロジーは、
惑星地球上のあらゆる局所的気象条件下でテスト済みである。

絶対的モデル

古典幾何学から新たなアインシュタインの世界像によって
転位し、離脱したシナジェティクスは、
現代数学のように視覚化から遊離することなく、
やがてそれまで決して名辞されたことのない現象、
あるいは古典幾何学の概念の牢獄に幽閉されていた思考方法を、
ついに数学的に再現可能な絶対的モデルによって
実証するという世界認識に至る。

その尽きることのない無限とも思える絶対的モデルの発見とその方法こそ、
観察以前の主観的認識から形成された
コスモグラフィーの階層的序列化に属するのである。

生命維持装置

カボチャ中でも伯爵の表皮は、特に白い。

その伯爵にはデンプンを糖に変える酵素があって、
低温でゆっくり加熱することによって甘味がはじめて増すというのは正しくない。
その伯爵を高圧の圧力鍋で約8分間、短時間で加熱して蒸した後でさえ甘い。

しかし、そのフィルム状の表皮は、急激に加圧して急激に減圧した時にのみ、
カボチャの分厚い硬い外皮から分離し始める。

その半透明の薄皮フィルムの厚みは、僅か100ミクロンである。
この表皮の厚みは、鶏のゆで卵を剥くときに剥がす卵殻膜の厚みと同じである。

また、トビウオの羽根のフィルム状の薄膜の厚みも100ミクロンである。
人間の表皮細胞の表面の外皮部分の厚さは、さらに薄く10~20ミクロン程度であり、
細胞死を迎えた後やがて剥離するようにプログラムされている。

大気圏内における動植物の外皮の機能は、内部と外部の境界膜の機能には留まらない。
生命維持装置を備えた気密服としての宇宙服以上である。

私のデザインしたモバイル・テンセグリティシェルターの外皮フィルムの厚みも100ミクロンであったが、
都市の住居の生命維持装置の外皮は、まだ30㎝程度である。

素材の厚みで断熱する物理的方法は、時代遅れである。
テンセグリティシェルターの外皮フィルムの耐候性は20年以上である。

鳥インフルエンザ・ウイルス

人間が家畜として飼育し、経済的価値をもたらす動物には
高い確率で彼らにも人間にも致命的な病気が発生する。

人為的な環境がウイルスの遺伝子の変化を加速させ、
高病原性を獲得するシステムがある。

基本的にインフルエンザ・ウイルスは、
構造の経済的価値をもたらす正20面体の5回対称性を維持している。

人為的な環境は、明らかに生物宇宙と相互作用している。
それらは、宇宙エコロジーの一部である。

大多数の人間が、自らの生命維持のためにタンパク質を動物から得るのは、
それほど科学的ではない。

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機能を伴う物質化(doing more with less)

着想からはじめる人は、
ブレーンストーミング(Brainstorming)が好きだ。
それは、半世紀前に開発された集団思考性に依存した幻想だ。

イノベーションは、
概念発明家の仕事ではない。
イノベーションが引き出す全要素生産性は、編集技術に属する。
全要素は予め与えられているからだ。

科学は<着想>から始まるのでなく、<発見>から始まる。
その<発見>は、<概念の発見>とは同時ではない。

さらに、機能を伴う物質化(doing more with less)を伴う産業化は、
最後にやって来る。

1927年

バックミンスター・フラーが球状テンセグリティを発見した時、
構造的方法(シンタックス)と意味的な分析(セマンティクス)との分裂と
その長い分離の歴史から、自然に潜む純粋な構造の概念を
科学的・数学的に定義した。

<連続した一つの海に浮かぶ島々としての大地>を想起させる<流体地理学>による
包括的な認識方法の起源は、1927年に創始されたシナジェティクスにある。

テンセグリティは、構成要素としての<棒と紐>から始まらない。
水が、酸素と水素との構成要素的な結合から
300種以上水の化学的機能が予測できないように。

宇宙エコロジー

個人は、生活費を稼ぎ出さなければ、ホームレス化するように教育され、
国家は、新しい資源とエネルギーを見出さなければ、
消滅する恐怖感から、戦争するように運命づけられている。

エネルギー・食料・シェルターのすべては
個人で獲得可能なノウハウの段階にある。

国家が破綻する前に、われわれは自律的に実践すべき段階にいる。

エネルギー・食料・シェルターの包括的実践ノウハウは
選択可能な宇宙エコロジーの一形態である。

破綻させる方法

軍隊を持たない資本主義は存在しない。

しかし、学校では、
より高給な職業は教えるが
合法的に金を稼ぐ方法も武器の製造方法も教えない。

学校は、金を借りて、家や間接的に武器を買う人々を教育する。
破綻させる方法が一番儲かるから。

監視体制

国家が破綻する前にこそ、監視グループによる厳戒な監視体制が敷かれる。
日々の生活において、ますます監視と無縁である保証はない。

その監視体制でさえ、破綻後には解体されるだろう。
すでに大多数が監視なき概念の牢獄に繋がれた後だからだ。

われわれが、拠り所にしている絆によって。

最初の倫理的構造

テンセグリティ構造が、自由を実践するために
人類が発見した<最初の構造>でないとしたら、
ただのオブジェにすぎない。

自己規律なき、その自律的<構造>が複製されたとしたら
高価な既製品にすぎない。

人間が住めないテンセグリティ構造は
すべて倫理的ではない。

法律家資本主義(Legally Piggily)

原子力の所有権は、政府による巧みな法律操作により、超国家的私企業に譲渡されてしまった。
彼らの基本的戦略は、「人類には、企業の原子力エネルギー開発計画に代わる現実的な選択肢は存在しない」
という確信に基づく。(『クリティカル・パス』RBF 1981)

もっとも非科学的で傲慢な強欲的態度は、
自由企業カルテルとその法律家資本主義(Legally Piggily)に始まる。
原子力の所有権は、<鉄腕アトム>の公報開始時期には、まだ一般市民にあった。
現在の日本列島全域は<原子力カーテン>で閉じられつつある。

個人の形成

個人の形成が個人の社会的位置の選択を伴うならば、
個人の好みに応じて職業を変えられるだろう。

いまや日本の教育において、
多くの個人は、個人の形成が絶望的に近いと感じている。

なぜなら、職業が教育を決定しているからだ。

計画的偶然(precession)

シナジェティクスは、経験の意味を捉え直すための
新たな経験を求める操作主義のようにふるまう。

私という主体的経験が、<超越論的機能>において、
経験と意味作用を繰り返される現実のモデリング過程に於いて
単独者としてモデル言語を生成することで
宇宙の原理の存在を再発見するために、
新たな経験を求めている。

しかし、その目的意識自体によって
偶然性に潜む発見のチャンスは
ことごとく破壊される結果に終わるにちがいない。

にもかかわらず、ついに<計画的偶然(precession)>が訪れるという経験は
絶えず新たな経験から学ぶしかないのである。

この超越論的機能は、予めデザインされている。

観察力

思考形式も、身体の環境から、身体の表面で、そして内部で、
外部化作用によって生み出される。
圧縮力が、構造の表面、そして内部で、重力作用によって生み出されるように。

その外部化作用は、まず義務教育課程で、
徹底的に監督・監視する教師によって行使される。
その教育課程外でも、
10歳までに首尾良く訓練され矯正される味覚と食欲の研究は
無数のマクドナルドで実証されている。

しかし、マクドナルドで教育されたこどもは
優れた料理人は成り得ないという研究はけっして為されない。

抜け目ない権力の外部化作用によって
徹底的に思考形式の生産・再生装置に束縛されていることに
驚くことさえできない段階に到達したのだろうか。

太陽系生命が、<一粒万倍>の
内部化するシナジェティクスに支えられている現実を識る方法は
訓練され矯正された観察力から生まれない。

2つの機械的問題

日本政府による米軍機の事故情報が、
アメリカ軍の支配下にあるのは、つねに政治的問題である。  

しかし、

空中給油する前提でデザインされた航空機の場合、
空中給油ホースがプロペラに衝突したのは
本質的に航空機の機械的問題である。


コントロールが失われて基地まで帰還できなかったので
不時着時に機体がバラバラになった場合、航空機の墜落であり、
本質的に航空機の別の機械的問題である。


機械的問題が生じたオスプレイが墜落するまで、
パイロットには同乗する兵士全体の生存率に対する判断が必要であった。
着水は、兵士たちの生存率を上げるために訓練された結果であり、
島民に対する配慮ではない。

高価なオスプレイは、海上で危機的な機械的問題が生じた場合、
兵士の安全を優先するために、海上に着水して墜落するようにデザインされている。
(実際オスプレイのコックピットは、墜落してもバラバラにはならなかった。)

那覇 NAGA

海が連続している限り、
沖縄(=那覇 NAGA)なくして、武器とその中継基地、そして遠隔手段は形成されない。
権力と知の相互作用から、人々は従属させられる。
知るものは、見られるものとして。

しかし、しばしば人間が見るものは、
それまで人間に知られるものではないのである。

やがて、世界を構成するものは、入れ替わる。
見るものが、知るものと。

ITロボット教師

教師は知っていることを説明する。
もっとも退屈な教育のほとんどは
教科書やDVDに記述されているコンテンツの繰り返しだ。
こどもを退屈にさせる教師はITロボットに完全に替わるだろう。

しかし、子供から学ぶITロボットは、子どもの心に火をつける。
彼が子供になれるから。

教師もPTAも、教師のいない教科書もない学校で、子供が相互コミュニケーションによって
自己学習する完全な能力が備わっているとは思っていない。

20世紀にはじまった動物生態学に影響を受けた認識論から見れば
現代の教育学は、子供が子供を教育する科学的事実を隠蔽したままだ。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為

原子よりも小さな粒子説から生まれた電子という概念化は、
実在する電子を証明するための実験装置化よりも先んじていたが、
この方法が核物理学の始まりではない。

真空中でフイラメントを加熱すると陰極線が出る現象を
どのように言語化できるのか、から始まったのである。
そして、最初に粒子の進行方向に直角に電界をかけると
その進行方向が変化するという概念が実験装置よりも先行して発見される。

それまで決して言語化されたことのない概念、
あるいは馴染んだ語の襞の中に眠っていた領域を、
ついに機能を有する物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為には
原理の発見に伴う真理の生産と流通のプロセスの全域が反映される。

それ以外の方法と経験からシナジェティクスが、
社会システムが維持する表現や信念にまでに変換されることはないだろう。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為は直観に属するが、
教育プログラムから直観を使う包括的科学的方法は完全に除外されている。
(科学者はその経験と方法を論文から除外するシステムに生きている。)

直観はしばしば神秘的体験を含むからである。

ジオデシック理論批判ー数学的自然の形成

総三角形構造化への試行錯誤の枯渇化という現在の傾向として
その原因をフラーのジオデシック理論による
優れた汎用性に到達した総三角形化のテクノロジーと
それを実証する半世紀を超えた歴史がある。

この先行技術を突破してより有利なテクノロジーを発見する無数の試みは
力学的構造の経済的な有利性において
ジオデシック理論を超えることは不可能と思われてきた。

私もまた無数の試みから、
ジオデシック理論を超える有利性を物理的に証明するシナジェティクスモデルを発見するまで
ジオデシック理論そのものが総三角形化のための
過渡期的で人為的な数学的理論に他ならないという
<宇宙形態論(cosmograhpy)>的な視点を発見し、
そして時間に腐食しない数学的自然を形成しなければならなかった。

ジオデシック構造を超えるための純粋数学の物理的変換に挑戦したその第1プロトタイプは、
力学的構造の経済的な有利性ばかりではなく。、
ユーザにとって最大の経済性とモバイル性を実現するだろう。

ジオデシック理論批判は、
これからも学的党派性を超えたバックミンスター・フラー派の
シナジェティクスによって推進される。

共鳴型テンセグリティ

建築構造は、自立するために大地に依存しながら
外部エネルギーとひたすら闘うという設計方法を変えない。
故に、風雨や積雪に耐えても、振動し移動する大地の巨大なエネルギーと闘う方法を持たない。
したがって、倒壊した建物で人が圧死する構造を、人々は非科学的構造とは考えてない。
(家電やコンピュータの漸進的変化に比べて、
住宅や都市の構造の変化がきわめて緩慢なのは
建物が高価すぎるからである。)

外部のどんなエネルギーも享受する機能によって
自己を構成する要素間の共振(または共鳴)状態に変換するかぎり、
構造は自己充足する自律性を獲得する。

いいかえれば、外部からのエネルギーが構造を通過する過程で
そのエネルギーはその構造をより強化するのである。

自立のために大地の振動エネルギーさえも利用できる構造は、
テンセグリティ構造以外には存在しない。

テンセグリティ構造は発見された宇宙の構造原理である。

共鳴型テンセグリティ構造は、地表のどこにでも着陸可能な宇宙船である。
その宇宙船内部では植物の光合成を利用できる。

植物というエネルギーを自律生産するモバイル・テクノロジーと融合することは
現在の都市や住宅よりもはるかに科学的で自然である。

表層的で付加的な作用

総三角形化に関しては大円理論によってジオデシック構造が発見され、
張力に関しては、不連続と連続との統合理論によってテンセグリティ構造が発見され、
表面というものが表層的で付加的な作用にすぎないこと、
そして、建築を支配する人為的な記号システムを横断し、
人類の誕生以前にあって、時間と空間の中で生命を支えているのが
<構造システム>であるのを明かしたと同時に、
それまでは、<構造システム>という概念が
科学的には存在していなかったことが、1950年代には明確に認識されていた。

社会は、真実との驚くべきタイムラグに囲まれている。
インターネットで認識の同時性を獲得するのはまだ幻想に近い。

——欲望が表層的で付加的な作用に向けられているかぎり。

天才に関する洞察

以下の差は、だれにとっても興味深い事実である。
しかし、天才に関する、この著者の7と8および9の洞察には同意できない。

少なくともバックミンスター・フラーには不適応である。
つまりこの比較は、知的な凡人の思考に属する。

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流体地理学

宇宙論的な視野が誘導する地球を外部から見る行為が
1940年代のダイマクションマップの開発の根拠となる<流体地理学>
(=一つの海に浮かぶ島々という流体の連続性)を形成した。

この宇宙論的な視野が、その後のグローバリズムの理念にとって替わったのは
超国家的権力構造によって、遠隔から支配する軍隊と基地、そして
高性能な小型武器の開発が最優先されたからに他ならない。

自然と出会うためのテクノロジーが
人間の居住可能な場を生み出すはずだが
極地における居住可能な場のほとんどは、軍事テクノロジーによって形成されてきた。

同時に、バックミンスター・フラーによって創始された<流体地理学>は、
流動する大地を前提にしたモバイルテンセグリティという
最小限の移動可能な極地用の構造デザインと融合したのである。


『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 2004)
第7章 <流体地理学の誕生>自己エコロジーのための全方位カメラ(ジオスコープ)参照

稀少性

贈与経済学者は死んでしまった。
その構造を研究する哲学者もいない。

絶えず稀少性を独占する経済システムは、
有限な資源とエネルギーという不活性的で非再生的な自らのシステムによって
人類の生命を危険に晒す。
そして、稀少性は戦争機械のエネルギーである。

真の稀少性とその神秘は、
宇宙の元素の存在度とその分布パターンにしたがって再生される
物質と生命の相互作用に備わっている。

ユーティリティとエンジニアリングと、 そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるもの

シナジェティクス的思考の黎明さは
20世紀を代表するヨーロッパの哲学者や
アメリカ国内の数学者たちの言及を遠ざけるほど
独創的であった。

見失った思考体験をそこに再現するためではなく、
モデル言語の様々な可能性に近づけるための原型的思考方法を
バックミンスター・フラーが開示したのは
1940年代である。

テンセグリティ・ジオデシックスから
派生する種々のユーティリティとエンジニアリングと、
そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるのは
幾何学にはない原型的思考である。

ジオデシックス理論よりも前に
テンセグリティ原理を発見した
非論理性と論理性から未知の領域を侵犯するフラーの思考の黎明さは、
現在の教育システムや幾何学的党派性からは
けっして複製し再生されないように企てられたのではない。

それは素晴らしい言語の機能ではないだろうか。
宇宙の結合と解離の不変的システムを理解し、再生するために
発見された言語の特性なのだ。

起源論的思考

シナジェティクスにおける起源論的思考は、
幾何学にはない。

批判であると同時に存在論的であるような、
形態と数字の相互作用から
思考形式に及ぶ本質的な探査は、
ギリシア幾何学を起原としない。

驚くことに、この起源論的思考は
アインシュタインに始まる操作主義的な哲学的系譜として
『コスモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社)まで考察されなかった。

反・人工物

シナジェティクスは、
新しい幾何学の<啓蒙>の手段でもなく、
宇宙のシナジー現象を無料で模倣しながらも
教師たちの知の独占意欲をかき立てる
プロパガンダ用アイテムの宝庫でもない。

多面体愛好者たちのプロパガンダ用教材が
シナジェティクスのモデル言語を翻訳したことがない。
それらの<多面体>という概念自体が、
ギリシア時代の大理石の加工技術から形成された<固体>概念による
認識方法とその限界を表している。

固体的多面体の世界観は、バックミンスター・フラーレーンの
構造的安定性を証明できなかった。

シナジェティクスは、すべての教育的な<啓蒙>を批判し、
<概念の牢獄>から脱出するための爆破または離脱システムなのだ。

このシステムは、人間がデザインする人工物ではない。
 

反転操作による多極化

エスタブ・軍産リベラル系のマスコミや言論人が
法律家資本主義下の軍産支配を打ち砕くための
ロシア傀儡の疑似ニュースを
多数派のように見せかけて非難する日は
日本ではやって来ないだろう。

マスコミの言論人の質が最初から低下させられて開始しながらも
人々に広く長く、否定ではなく、軽蔑でもなく
多くの人々は軽信して、幻想に満ちた<個性>と<個人性>を
ただ生きているだけだからだ。

つまり、より強化する軍産支配はこれからだったはずが
世界はすまます多極化する速度を上げている。

世界権力構造の多極化は、第2次世界大戦から始まった。
最初は、イギリス大英帝国とアメリカ合衆国という
内部と外部の入れ替わりと同時の最初の<極性の反転操作>だった。

このトポロジー的反転操作こそ、イデオロギーを超えたグランチの
ノウハウと腕力である。

双頭の龍の脳は、入れ替わっても変わらぬ双頭である。
この双頭の龍(=安物の西部劇に飽きた人々でさえ、命をかけて互いに熱中してきた)は、
今や世界中で複製されている。

焚火

確実性を求める人生は退屈だが
可能性を探査すると
ついに自分のことはどうでもよいことになり
早く短く時が過ぎていくとき
焚火で過ごす長い夜がやって来る。

星空を渡る夜鴨とコウモリを背景に
朝焼けに繋がる星々が強く輝くとき
背戸の獣たちは
焚火から静かに去っていく。