月別アーカイブ: 2017年5月

信憑性に関する閾値

ある感覚や刺激の相違を感知する境界の概念が心理学にあるように、
真実を伝える人々の信憑性に関する<閾値>(=最小限値)によって、
政治システムは、個人の主観と客観に委ねられる思考の仕組みを
もっとも怖れている。

政治システムに委譲する都合良い社会的な<閾値>が、
恐怖感によって操作可能な限界が暴かれるからではなく、
権力構造が普遍的なものに背く時代の中で
その思考の仕組みは、思考の主体を、けっして彼らに委譲しないからだ。

そして、権力構造がより個人に浸透し浸食すると同時に、黄昏れていくのである。
真実を伝える人々の信憑性に関する<閾値>の普遍性によって。

主体なき主観

政治が普遍的なものに背いても
だれも弾劾できない仕組みには
だれも背かない場合、
主体は社会にも個人にも形成されていない。

主体が、もう一方の存在と相互作用する関係をもつ存在であるなら、
さらに、その主体が社会を構成する基本単位であるなら。

主観と客観(subject and object)の相互作用は
もっとも矯正されやすいが故に、
主体なき主観が、政治的かつ経済的な現実を捏造する。

主体なき主観は、独裁の根源である。

人工物から遊離した機能

電力グリッドや上下水道システム(=人工物)から遊離した
個人用のモバイル・シェルターには、
謂わば哺乳瓶の授乳機能のようなエネルギーを受容する機能だけではなく
バイオ装置による水の再生機能が与えられている。
モバイル・シェルターは、バイオスフィアへ帰還するための
超人工物(trimtab)である。

続)二重の客体化

二重の客体化は、支配のための優れた思考方法なのである。
しかし、決定的に統合化のための思考方法ではないだろう。

シナジェティクスは、
統合化のための思考方法を非同時的なモデリングで探究する。

予知ゲーム

経済システムのデフォルトが予測できるのは
経済システムが非科学的な人為的予知ゲームだからである。

最新の地震学では、地震予知は不可能と見なしている。
しかし、3.11以後も地震の予知が継続しているのは
狡賢い科学者たちが、高額な研究補助金を獲得するための
疑似科学的な予知ゲームだからだ。

分散型テクノロジー

テロによって国家は、
世界的規模での情報収集、管理、拘束の必要に迫られたのではなく
軍用の分散型の通信システムが民間の投資によって
世界的規模のインターネットに成長したから
エネルギーと水資源、そして食料に対する世界権力の独占欲が加速し、
より短時間に、より少ないエネルギーで、個人を管理し拘束する
地球規模の分散型テクノロジーが一般化したのである。

それは、世界中の個人が、高価な設備投資を毎月負担しづづけた結果なのである。

抜け目ないテクノロジーは、つねに分散型である。

二重の客体化


科学技術は、客体化のための手段とそのプロセスから形成されるが、
服従矯正の手段としても機能する。

冷蔵庫は、第1次世界大戦では、海上での兵站線に不可欠な軍事技術であったが、
第2次世界大戦後に普及した家電となった。

そして、第3次世界大戦(中東戦争)では、
スマートデバイスでのゲームアプリが
兵士の殺戮の恐怖感から逃避する心理アプリとなった。

21世紀のインターネットは、無料の高速通信手段であるが
平時の市民の服従強制のための監視手段として機能する。


対比的な<図>と<地>による二重の客体化では
同時にそれらを認識できない。


われわれの脳は、こうした非同時的な二重の客体化には不慣れである。
生活水準を向上させるテクノロジーは
<人を騙す>テクノロジーに変換され、
脳科学は<脳を騙す>テクノロジーに転用されている。


服従矯正のテクノロジーは、<互いに隔離された見えない群れ>を形成できる。

哺乳瓶(baby bottle)

哺乳瓶という授乳する道具の発明は、労働形態の変化と人口爆発を加速した。

哺乳瓶の発明は、蒸気機関に始まる19世紀の産業革命と同時期であり、
世界同時多発的に生まれた。
哺乳瓶は、素材技術の革命から生まれたのではなく、
女性の工場労働力の確保の必要から生まれたのである。

その発明は人間を含む哺乳類の子に対して使用できるほど汎用性があるが
当時の哺乳瓶の開発主体は、つねに男性だった可能性がある。

続)貧困と欠乏

つまり、バイオスフィアには、エネルギーの欠乏や過剰は存在しないのである。
欠乏と過剰の経済学が存在するだけである。
あるいは、奪うか奪われるかというゲームを合法化した
デフォルトへの矯正装置にすぎない。

1968年まで、ノーベル賞から経済学が排除されていた理由である。
ノーベル経済学賞は、グランチのスウェーデン国立銀行が設立した賞であり、
ノーベル財団はノーベル経済学賞を認知して来なかった。

貧困と欠乏

貧困と欠乏に、相互関係があるように
富裕と過剰にも、上記の相互関係が
反対称的に機能する。

失業率を廃絶する資本主義は存在しない。

不労所得が十分にあって働く意志または
その必要がない自発的失業人口が増加すると同時に
技術革新によって賃金抑制装置としての相対的過剰人口も増加するからだ。

貧困と欠乏、そして富裕と過剰の相互作用は、自然には存在しない。
分解と結合の同時的かつ非同時的に重なり合う階層構造だけである。