シナジェティクス3

バックミンスター・フラーと彼が亡くなるまで
共同研究している間、
自分の名前で論文を出そうなどとは
思ってもいなかった。
モデル言語を学べるだけで十分だった。
彼が滞在するホテルの朝食会で
彼が私に自分の名前で論文を出版すべきだと
言った時はほんとうに驚いた。
彼はシナジェティクス3のモデル言語の始まりを
予感していたのだ。

それを理解できたのは
彼が亡くなった後の
バックミンスターフラー研究所の
シナジェティクスのアーカイブを
閲覧したときだった。

SYNERGETICS 2 RBF 1979