月別アーカイブ: 2007年4月

脳教育

学校で脳は、最初にうぬぼれを学ぶ。
人間だけがつねに満足できるように。

その結果脳はテストが大好きになった。
教師の脳もテストなしでは、教育は不可能だと考えている。
地球温暖化は一部の人間が満足した過程だ。
緊急事態なのは、脳教育だ。

RBFは私にテストを一度もしなかった。
理解を紙面で試すこと自体が彼にとって理解ではなかったからだ。 Y.K

社会vs宇宙

両親は、学校のランキングが社会で認められるための
最初のハードルであると考えている。
教師と学生がランキングで採用する以上、学校は最初の社会だ。
しかし彼らは「学校での成績がよいからといって、
社会で認められるとは限らない」ことは教育しない。

シナジェティクスを学ぶと、「社会で認められるからといって、
宇宙で認められるとは限らない」ことばかりだ。  Y.K

産業パターン

どんな発明品も会社組織も平均25年で廃れ、
物質も人間もより効果的に再組織される産業パターンがある。

47年ぶりに学力テストが実施された。
ある教育法が半世紀も廃れないで存続している場合、
その運用に反対しなかった組織とその構成員は、
どんな軍隊よりも硬直しているといえるだろう。  Y.K

包括的予測能力

2億戸の住宅の量産(1927年のバックミンスター・フラーの構想)が、
地球温暖化より緊急であると考えられないのは専門家だけである。
とくに建築家である。
彼らは、とりわけ、主に北半球に暮らす裕福なクライアントからの注文やコンペによってのみ、仕事を開始する習慣がある。包括的予測能力など、発展するはずもない。

車や飛行機、船、パソコン、書籍もいちごもネットで買える時代に、
動くシェルターが買えないと考えるのは、時代遅れだ。  Y.K

学力

学力の高い弁護士もいれば、ヤクザもいる。
学力の高い詐欺師は、もっとも多い。

学力の高い人たちは、バックミンスター・フラーの本が嫌いだ。
包括的能力と経験がなければ、理解できないからだ。
そして、包括的能力と経験は、学力の低い人にも備わっているからだ。 Y.K

平均点牢獄

全国学力テストの平均点で、学校と子どもは学力淘汰されている。
ランキングは、暗黒時代の専門家同士による競争原理の名残りである。

自然は、平均点ではけっして淘汰しない。
自然はこどもに選択する能力を授けた。
そのための平均的元素の分布(パターン)を生命に与えたのである。  Y.K

経験エントロピー

「情報」とは、確率によって決まる純粋に数学的な量のことである。
情報エントロピーは存在しても、経験エントロピーは存在しない。
経験は個人にとってどれだけ意味があるかにつねに関係する。
経験は、情報と違って平均化を免れている。     Y.K

宇宙への配慮

「環境問題」は、より悪化するにちがいない。
「環境問題」は、ますます個人の環境への配慮の問題とされるようになったからだ。

環境とは何かを厳密に定義しよう。
バックミンスター・フラーにとって、
「環境とは、自分以外のすべて」である。
つまり、環境問題とは、自分以外のすべての問題である。

存在しない「環境問題」から問題は何も解決されない。
われわれが、「環境問題」として扱ってきたのは、
実は、宇宙問題である。
なぜなら、「宇宙とは自分を含むすべて」であるから。
しかし、「宇宙問題」は、「自分」がなければ何も存在しない。

宇宙への配慮を、まだ偶像崇拝のように考えているかぎり、
あるいは自己への配慮をエゴイズムの延長としているかぎり、
「環境問題」は、より悪化していくにちがいない。

存在しない「環境問題」によって、軍事費の増大は、
二酸化炭素増加問題よりもはるかに小さくなるのだ。 Y.K