月別アーカイブ: 2016年4月

直観と美において

シナジェティクスの諸原理をデザイン理論に組み込んで
外部に対してその実用性を望む場合や、
シナジェティクスにおけるバックミンスター・フラーの言説によって
産業上の進歩を無邪気な実証性において示めそうとするデザイン理論を
教授できると自負する場合は、侮蔑すべき何かが存在する。

そもそもシナジェティクスとデザインサイエンスは
すべての大学の外部で発見され、開発され続けて到達した
シナジーをさらに統合する<宇宙の知の階層構造>なのである。

シナジェティクスとデザインサイエンスが
これからも学会や学派を形成しえないのは
直観と美において圧倒的に
先験的メタフィジックスに関与しているからだ。

牢獄への概念

破壊された構造の復旧は、次の破壊に対する新たな法則には従わない。
制度の破壊によっても、決定的に疑似的構造は生き残る。

<固体>という牢獄への概念が生き残るかぎり
人々は、一時的で疑似的構造に閉じ込められるだろう。

<固体>的構造は、牢獄への概念に置換されている。

アーティスト・サイエンティスト

その構造は、震度7以下の大地の不動性によって支えられた
表層的な知そのものであり
真理を生産するにはほど遠い<標準>であるばかりか
人々は、大地の不動性の回復を待ちながら
その構造に近寄ることさえもはや不可能であり
大地(=脱出可能な駐車場や広場)とともに揺れ動いているのである。

つねに一定の自己利益優先(建築産業のためのegonomy)なしには
成立しない構造は、
構造を<標準>として、構造を通して記号化する<標準>の生産に従事し、
それらの<標準>を生産することでしか
その構造を維持することができない。

その構造とは、19世紀から継続される建築産業を支える土地資本主義であり
ほとんどの建築家は<標準>を再生産し保護する19世紀的専門家である。

真の居住性は、イデオロギーによる人為的な不動性を打ち消し、
波打つ海のような陸に浮かんで動く船に求めるべきである。

自己利益優先から遠ざかる宇宙船の構造を
デザインし生産する方法や道具を発明する科学者は
アーティスト・サイエンティストである。

アーティスト・サイエンティストは
芸術家にも科学者にも、似ていない。
ーーーーーー水が水素と酸素に決して似ていないように。

シナジェティクスとデザインサイエンスの基本的戦略

「原理には重さがない」という科学的概念は
モデル言語形成のためのインターフェイスであり
飛躍的な構造安定性と強度・剛性をもたらす質量のないパターンを
構造デザインの対象とするのは
モバイル・テンセグリティシェルターにおける
デザインの基本的戦略である。

シナジェティクスが境界領域から生まれたわけでもなく
デザインサイエンスが学際的に形成された歴史も存在しない。

宇宙の原理が境界領域から生まれたわけでもなく
物質が学際的に形成されているわけでもないからだ。

シナジェティクスは超越論哲学か

モデル言語は、分析や解釈からは生まれない。
モデル言語はシナジーを奥深いところで性格づけている一つの現れに違いない。

シナジェティクスほどバックミンスター・フラーという創始者の
思想の解釈の過剰性から遠のいた学問はないだろう。

若きバックミンスター・フラーは
先天的認識がどのように可能であるのか
その可能性と根拠についての問う認識において
もっともカントに接近し、
当時の相対性理論の希有な理解者としてアインシュタインと邂逅する。

バックミンスター・フラーを
プラグマティズム(アメリカ合衆国の哲学)に閉じ込めた
ヨーロッパ経由の日本の哲学者たちは
自らの解釈の過剰性で時代遅れなのである。

哲学的認識のシステムとしてのシナジェティクスは
モデル言語の発見に満ちている。

モデル言語は先験的であり、現在も先験的に生成され続けている。
すべてのモデル言語をシナジェティクスモデルとして
視覚化可能にする操作主義において
シナジェティクスは超越論哲学を超えた最初のメタフィジックスである。

シナジェティクスは、重さのない自然の諸原理の発見を誘導するシステムである。

4つの無のテクノロジー

大災害時に破壊された都市のライフラインが修復されるまで
無管(有管から無管に、つまりバイオトイレ・風呂を含む複合発酵による水の完全再生)、
無線(有線から無線に、つまり、太陽光発電や携帯電話など)、
無軌道(軌道輸送から無軌道輸送に)、無柱(体育館などの軽量構造物の避難所)の
<4つの無のテクノロジー>に依存しないかぎり
生命は安全に維持されない。

都市のライフラインは、真の生命維持装置ではないのである。
平時における大企業と国家のための課金装置である。

軍隊の給水車や移動トイレ・風呂、大型テントなどは
まだ戦争機械の一部(=兵站線)でしかない。
公共インフラという社会資本は、
依然、宇宙資本(=宇宙テクノロジー)とは無縁である。

宇宙での移動のためのすべての道具と住居は
無管、無線、無柱、無軌道のテクノロジーを前提にデザインされている。
ライフラインの宇宙工学から
住居を包括的にデザインするのは、デザインサイエンスだけである。

住宅の終焉

住宅の終焉がやって来た。
震度7を複数回受けると
崩壊または、使用できない住宅から構成される都市は
生命の安全と発展を保障しない高価すぎる物質で溢れている。

都市の空間が建築空間によって開かれた場であるとするなら
そして、
構造がもはや望ましいものとして存続できないとしたらなら、
都市は消滅してしまうかもしれない。

自然が望む構造は、角度と振動に満ちている。

都市と農村における
人口のみの分散と集中の政治的経済的手法は
地震によって幾度も陳腐化されているのだ。

移動しながら生存するテクノロジー

移動しながら生存する軍事テクノロジーは
武器製造技術と相補的な兵站学を形成したが
デザインサイエンスでは
生活器製造技術と相補的で自律的な
エネルギーと食料の生産技術に転換される。

大規模災害では
エネルギーと食料の自律的生産技術が
軍隊も含めて完全に枯渇していることが明白になる。

軍隊は外部から常に支援される条件のみで内部を支援する。
移動する自律的内部はけっして形成しない。

地下資源に依存し独占するシステムに
敵対するテクノロジーを形成しやすいからだ。

概念モデル

見るためだけのテンセグリティモデルは
シナジェティクスに対して盲目となる。

テンセグリティは
発見された概念モデルからデザインされる。

純粋な概念モデルは、どんな構造にも似ていない。

放散虫やフラーレンでさえ、自然を模倣したのである。