月別アーカイブ: 2009年10月

ユニバーサルアクセス

パンデミックは人類にとって共通の世界的な脅威である。
インフルエンザは異種有機体生命間の
あらゆる異なった要因にかかわらず、
例えば犬インフルエンザは馬のインフルエンザに変化し異種感染できる
テクノロジーを具現化している。
そして、ついに鳥インフルエンザは、
バイオマス的に豊富な人間にも異種感染できるようになった。
鳥インフルエンザは、他の異なったインフルエンザとの
ある種のネットワークによる情報交換によって、
高度なユニバーサルアクセスを実現して生まれてきた。
大量生産される工業製品にも、
国籍、年齢、性別、障害などあらゆる要因にかかわらず、
誰でも同じようにネットワークから情報を得られる
ユニバーサルアクセスの機能が求められている。
パソコン、ナビ搭載の自動車、家電製品などである。
やがて、人類がデザインするこれらの製品は、
インフルエンザのように
自ら他の製品と相互に情報交換をするだろう。

短命化(エフェメラリゼーション)

平均寿命が延びて人口が加速度的に増加しても、
約3万日間に出会える人間は
3万人にはならないだろう。
たとえ、図書館の隣に住んだとしても、
3万冊の読書は不可能だ。
一生を健康的に長寿で生き抜くことができたなら、
賢者といわれるだろう。
包括的な芸術家のように、
理論と実践が統合されなければ、
とうてい達成できることではないだろう。
しかし、もっとも短命なのは、
芸術家・科学者(アーティスト・サイエンティスト)と革命家である。
彼らの選択的な短命化なくして
人類の長寿化は実現できなかっただろう。

自発的

「この仕事は絶対に負けない」という得意分野には、
特有な幻想が潜んでいる。
だれでも一度は「一を識って十を知る」ことに接近するために、
もっとも効果的な専門分化に憧れる。
しかし、自発的な方法の絶えざる探査で、
専門分化されることは不可能である。
「一を識って十を知る」専門分化のプロセスに
無関心になる経験と発見を積めば、
真の包括主義者の「一を識って十を観る」ことに
接近できるかもしれない。
つまり、知的環境の整備さえも
自発的にデザインできたなら、
それはもっとも包括的な方法のひとつだ。

計画的失業

必要なものだけ買うよりも欲しいと思うものを買うと、
すぐにGDPは上昇する。
必要なモノは有り余っているから、
人々は失業している。

友愛革命

真のコミュニケーションは、
相手のことを深く理解し、
それにもかかわらず相手に好意を感じるかで維持される。
つまり、経験的に相手を理解すると不快になるような
システムを意図的に作れば、
人々は互いに理解しないようにするだろう。
友愛革命には、
このシステムがもっとも機能しやすい。
不況と友愛は、非鏡像的だが相補的だから。

借金を負わせ、その金利で富を増やす連中がいるかぎり、
富は奪うか奪われるかである。
富はつねに誰かの借金で形成される。
しかし、最初の富は、人間以外が考案し、
そして与えたシステムだ。

解釈

脳は事実よりも解釈のほうを優先する傾向がある。
理解を超えた存在には無関心である。
原理は理解よりも存在である。
まれに人間は原理を発見する。
それによって、不安や恐怖を克服して生きている。
これも解釈だろうか。

経済恐慌

たとえそれを知らなかったとしても、
知っていることだけを話されるのは嫌いだ。
自分で考えたことを最初に話してくれ。
そうすれば、もっとみんな考えるようになるだろう。
考えるだけで、
少なくとも今の経済恐慌はなかっただろう。

ゴシップ(gossip)

ゴシップ(gossip)は、
うわさを触れ回る人(gossiper)と同じ
福音、信条(gospel)を語源としている。
さらに、道中無事の祈願(Godspeed)に関連している。
本来の噂は神の情報から、
不安は情報レスから、
恐怖は無知から生まれる。
つまり、前世紀から、
噂は神に代わって、
マスメディアが担当しているのである。
現実は脳から生まれるというのは、
新しい噂である。
マスメディアに代わって、
脳が自発的に担当できる可能性はある。
少なくともイルカの実験では成功している。