月別アーカイブ: 2013年8月

自然農 再考

無農薬、無化学肥料、不耕起、非遺伝子組み換え、
無除草、種子の自家採取などが
自然農の目的ではなかった。ましてその方法でもない。
バイオスフィアの偉大な能力を生長させ、
その普遍的な方法を独自に発見するという志がなければ
もはや自然農ではない。
これまでの有機農法や自然農法の定義もその基準も
破壊するほどの先験的な諸原理の発見が
自然農を加速度的に発展させてきたのである。
自然農を支える諸原理の使用に
誰も課金できない。

インサイダーVSアウトサイダー

世界の覇権が第2次世界大戦によって
内部から外部へと入れ替わったように
知識にはインサイダーとアウトサイダーがある。
学問にもインサイダーとアウトサイダーがある。
現在の世界の政治経済情報は
インサイダー(つまり、かつてのアウトサイダー)が編集した情報である。
同じ対象を観察する観察者の場所の問題を
操作主義的に扱う包括的なシナジェティクスは
そのどちらにも属さない。
シナジェティクスはこの半世紀間
内部と外部には同時には属することができない
客観的に記述可能な物理的かつ超物理的(フィジカル&メタフィジカル)な
シナジェティクス・モデルを数多く発見してきた。

自然の富

資本主義社会における学級崩壊と
原子炉のメルトダウン(炉心溶融)
およびメルトスルー(溶融貫通)は
前世紀から継承された危機的な出来事である。
教育システムと原子力発電システムは
自然の富(好奇心と自発性、そして有限な元素)を破壊し
それらからエネルギーを奪うための技術であり
人類の生存に対する包括的なテクノロジーは
まだほとんど確立できていないのである。

絆・依存症

原発もその爆発も
文化的、社会的、経済的、政治的背景から
生み出されたものである。
しかし、外部からでも内部からでも
はっきりとその真の被曝の姿を見ようとしない。
送電線に繋がれた電力エネルギー依存症なのである。
それによって、冷酷な社会は
より多くの凡庸な模倣者を
課金ネットワークにより長く繋ぎ止められる。

実験教育とシナジェティクス

原爆実験の後のヒロシマでは
こどもがこどもを教える<教科書のない>教育システムが
教会が運営する幼稚園や公立の小学校で実験された事実は
セシウムの内部被曝の事実と共に隠蔽されてきた。
戦後復興の混乱のなかで
こどもにとっては学校が一番楽しい場所となるこの教育実験の結果は
1950年代から始まった冷戦時代の米ソの宇宙開発競争に
勝利するために全米の幼児教育で表向きは
「モンテッソーリ教育」として後に利用されたのであるが
こどもにいっさい試験をしない理想的な教育理論の実験は
<規範となる教科書がない>ばかりか
<監視する教師がいない>実験でもあった。
こどもがこどもを教える過程で
こどもは様々な原理を自律的に発見していく。
この革命的な教育実験なくして
私はバックミンスター・フラーの教育理論を理解できなかったばかりか
彼との共同研究を支えてくれた動機など存在しえなかっただろうと思う。
書物や情報に対する依存心、競争に対する依存心、
そして権威に対する依存心などは
規範と監視のための<教科書と教師>を陳腐化した
教育システムではほとんど形成されない。
シナジェティクス教育には、
初等教育も高等教育も専門教育も存在しない。
こどもは、すでに混乱から秩序を発見する自律的な才能を備えている。
彼らは言語を自ら形成できるからだ。

安定学習

こどもの学習エネルギーの大半は比較に費やされ
教師も学生も学習に<安定>を求めている。
学習は淀んだ自己満足に使われている。
安定学習の最終形態は学級崩壊である。

節約テクノロジー

なぜ政府と東電はエネルギーを節約させてきたのか?
テクノロジーの陳腐化をできるだけ遅らせるだけで
利益を長く独占できる。
それが原子力産業とその産業化に失敗しても存続できる
半永久的な除染産業である。
節約テクノロジーは省エネでも省力化でもない
ひたすら誘導利益のためのテクノロジーである。
節約はけっして新しいテクノロジーを生まない。

言葉を書き換える

議論は生き方を変えなかった。
肯定も否定も環境を変えられなかった。
言葉は思考を規定し、思考は行動を規定し、
行動がはじめて生き方を規定する。
新たな生き方が現れるには、
古い言葉をすべて書き換えなければならない。

累計死者数

連続する記録的な猛暑で
電力も記録的に消費された。
体温以上の外部の気温がある環境では
人間は長期に生活できないので
人間はテクノロジーを利用してその環境をコントロールできる。
熱中症で亡くなった人は
2010年の夏の記録的な猛暑でさえ
累計1718人であったが、今年はそれをはるかに凌駕する。
この夏、メディアが節電キャンペーンをしなかったのは
節電によって生命維持ができなくなるほど
猛暑だったからである。
(現実的な理由は、道徳的判断ではなく、
猛暑で節電キャンペーンを続ければメディア側が敗訴するからだった。)
一方、原発の爆発の影響で
この2年半の間に亡くなった人は
すくなくともその200倍以上である。
人類は原発によって環境をコントロールして生命維持できないのである。
原発とその維持は
人類のためのテクノロジーではないことは
死者の数で決められるが
それゆえに政府と医学専門家たちはその数をけっして公開しない。