月別アーカイブ: 2012年6月

裏返し操作 (turning inside-out)

太陽は太陽系の質量の99.87%を占有している。
そして、太陽系の元素存在度は太陽の元素存在度と
実質的には同一である事実が最初に観測されたのは、
1959年に打ち上げられたソ連の月探査機ルナ1号の無人探査機による
太陽系内の探査よりも21年も早い1938年である。
太陽系の元素存在度の発見は、驚くことに、
地上から収集可能な太陽大気のスペクトル分光分析データと
隕石の化学分析データの推論から導かれたのである。
それらはバイオスフィアの外部(=大気圏外)からよりも
内部から観察可能であった。
しかし、われわれの内部の組成もまた宇宙という<外部の裏返し>であるという
もう一つの事実はもっとも遅れて認識された。
<自分を外から見る>という行為なくしては
認識できなかったからである。
観察者を観察の対象から除外しない方法は
習慣的に科学から除外されてきた。
<自分を外から見る>というシナジェティクスの<裏返し操作>は
科学的認識の一般化には不可欠である。

未知(unknown)について

私がシナジェティクスの探求を始めたとき
既知ではなく未知(unknown)の段階からはじめた。
その方法は、私の最初の原理の発見の後に気づいたことであるが
シナジーに接近する最短距離であった。
原理を探求する前に
未知は確かに<ある>が
<知る>ことの段階には存在しないことを
直観的に理解していたのは
『シナジェティクス』を読み始めていたからではない。
バックミンスターフラーが
その第一巻を出版する2年前の出来事である。

学びについて

何かを学ぶには
すべての権威からの離脱と
服従への拒否が必要である。
学ぶためのエネルギーの99%は
その過程に費やされるだろう。
こうした学ぶための環境条件の整備は
学校では最初から除外されている。
理事会と建物(=土地不動産)、
そして教師の権威を予め受容した学校という
学ぶための非効果的な環境条件は
子供には拒否できないシステムで運営されている。

続)エンジニアについて

原発の科学者やエンジニアたちは
太陽に核分裂の起源を求めることができなかった。
なぜなら、太陽は自らの内部で
原子を互いに融合させるエンジニアリング
(=水素原子4つが融合してヘリウム原子1つになる核反応)を
すでに生み出してたから。
ーーーー電気エネルギーではなく無限の光を隈無く太陽系に永遠に生成するための。
太陽にとって
核分裂によって不安定な核物質ばかり増加させても
太陽系は形成できないからだった。

エンジニアについて

エンジニア(engineer)とは
in-(中に)+gignere(生じさせる、産む)であり
エンジニアの内部に技術の起源(origin)を生じさせる人間のことである。
言い換えれば、技術の在り方を物質に変換できる人間のことである。
この70年間、世界中の原発エンジニアたちがこぞって原子核を破壊しても
本来の安定した元素は生じなかった。
同時に彼らは半減期よりも早く安定した元素には変換できないという
無惨な現実に直面した。
本来のバイオスフィアには存在しなかったが
バイオスフィア内で始まった70年前から開始された
幾千の核分裂(正しくは人間による元素の破壊作業)によって
生成された新たな元素類は
宇宙の元素周期律をけっして破壊しなかったが
原子炉の内外部でそれらを安定させるエンジニアリングを
ついに完成できなかった。
物質をエネルギーに変換する過程で生じる
種々の放射性物質を安定化するエンジニアリングは
21世紀でも未完成だ。

黒い瞬間湯沸器

原子炉はウランの核分裂を利用したもっとも複雑な瞬間湯沸器にすぎない。
だからこそ火力発電所よりはるかに危険で高価だといことがバレるまでに、
そして
原発爆発で失われた発電量は
東電の全発電量のわずか3%であったことが市民にバレるまでに、
3回も爆発しなければならなかった。
さて半減期を待たずして
4回目の爆発は起こるのだろうか。
原発を所有する電力会社が、原子力専門家の承認を得ていない行為を、
自分だけの判断でなし得るという事実そのものが、
そして
原子力規制委員会の職員が原子力を推進してきた
経済産業省や文部科学省からも採用されること自体が
公正な人選方法を最初から除外している事実そのものが、
原発企業と原子力専門家の関係における決定的な欠陥なのである。
あの事故はまだ分析されていないばかりか
まだ教訓さえ生まれていない間に
4回目の爆破の用意を開始したことは誰も疑わない。
過剰な瞬間湯沸器は
ついに権力の象徴にはなり得なかったばかりか
史上最大級のメンテナンスを必要とする黒い鉄の瞬間湯沸器なのだ。

現在

思考は、過ぎ行く現在から未来と過去とを分離する。
しかし、分離に対する要求そのものが
現在から遠ざかることを知らないのである。

シナジェティクスと数学

構造とパターンが意味するものを
正しく見ること自体がシナジェティクスである。
それは構造とは何かを学ぶことに他ならない。
そして学ぶとは構造に関する情報を集めることではなく、
構造とパターンを瞬時に見抜くことである。
構造とパターンの発見とその秩序化は
純粋な数学であり、その定義でもある。