月別アーカイブ: 2013年9月

冷蔵庫

世界の主要都市部の温暖化現象だけで
地球全体の温暖化を類推するのは
冷蔵庫の外側の温度上昇から
家全体の平均の温度上昇を測る操作に等しい。
同じ考えから、彼らは家の内部の温度上昇に伴う
冷蔵庫の中の氷の増大現象を
地球寒冷化と言わざるを得ないだろう。
実際、南極の氷は融けながら全体は増大しているが
その現象は除外されたままだ。
観察者が冷蔵庫の内部にいるのか
外部にいるのかを最初に決めなければならない。

テンセグリティモデル

林檎の生産数は
それを食べる人よりも多いように
テンセグリティモデルの制作数は
テンセグリティのあるがままを観察する人よりも多い。
テンセグリティモデルは
たとえ圧縮材をカーボンパイプで制作しようとも
林檎のように自然に属する。

よい医療制度は健康のために
より多くの病名を作り出している。
より高価な薬が必要だったから
病気でもない人が
<健康になる薬>を飲んでいる。

動詞

シナジェティクス・モデリングは目的のための手段ではない。
モデル言語の獲得は手段と同時に目的である。
新しい物の見方を動詞から発見しなければならない。
真理は過去にも未来にもない。

シナジェティクスと言語

宇宙と自己との相互関係を理解する方法は情報ではない。
シナジェティクスは
別の次元からあるがままの現実を観察し
そして知る方法を探査すると同時に
メタフィジックスとフィジックスとの境界線を拡張する。
学ばれるべき数学的知識よりも
シナジェティクスはモデル言語の形成が先行する。

続2)反カリキュラム

自己教育システムは
すでにこどもにインストールされているにもかかわらず
カリキュラムと試験の廃絶を困難にしているのは
人々の条件反射である。
カリキュラムや試験は
学校や両親によって刷り込まれた
見せかけの単純化である。

続)反カリキュラム

自発性にしたがってすべてのこどもが天真爛漫に成長する
真の自由教育のシステムは
教育専門家がデザインしたシステムではなく
こどもの観察から発見された先験的な教育システムを採用する。
ポスト産業社会では
カリキュラムとともにすべての試験や教科書など
ともに争って<走る>ためのツールはすべて廃止される。
産業用ロボットが遠隔操作で隈無く配備される段階で
工場労働者は解雇され続ける一方、
こどもたちを<社会的な役割>のために準備させる必要は
ますます減少し、
20世紀に建造されたほとんどの学校とそのシステムは
都市部でも農村部でも陳腐化し廃校になる。
真の教育システムは
知的産業社会の主目的が21世紀の教育産業にシフトする時、
生産コストからも合意されるだろう。
ポスト産業社会では
すべてのこどもに対して誰よりも<その瞬間を生きる>ための
環境を準備しなければならない。

反カリキュラム

これまでの教育過程で使用されてきた
カリキュラム(curriculum)は
ともに争って<走る currere>というギリシア語から
派生した概念を利用している。
同じ場所に集合して同時に同じカリキュラムで学ぶ
20世紀型の教科課程という形式は
第2次世界大戦後のアメリカの産業社会を反映している。
明らかに産業システムが教育システムを生み出してきたのである。
それらの共通点は、生産コストである。