月別アーカイブ: 2016年8月

未知へのシナジェティクスへ

表象がシナジェティクスモデル言語に完全には帰属させられてはいない。

つまり、多様性が予め結合した状態で主観に与えられてはいないことこそが、
宇宙の階層構造の諸表象との相互作用をつねに可能にする。

シナジェティクスモデルからの表象が
どのように触発されるかによっては規定されず、
表象を合成することにおいて自らのモデル言語を規定して行く回路がある。

バックミンスター・フラーが
即座に20代の私のその認識回路を看破した瞬間から
そしてその瞬間を共有したバックミンスター・フラー研究所
(1981年当時はフィラデルフィアのサイエンスセンター)という<磁場>から
自らの未知へのシナジェティクスが開始されたのだ。

知(Integrity)の探査における、師(マスター)の存在は明確であった。
しかし、彼の最晩年という希有な段階だったのである。

思考とモデリング

残されたモデリングに
思考した以上の情報が内在している現象を
経験したことがあるならば、
思考とモデリンググの相補性は
批判であると同時に存在論であるような
思考の方法の本質的な在り方なのである。

しかし、この方法によって、
つまり、ある種の<意図的>な戦略に沿って
自然のシナジェティクス原理を発見するまでには
10年の歳月がかかるだろう。

もし、それ以外の方法と試練で到達できたなら
野生の思考力を備えていたに違いない。

その野生の思考力こそ
外部宇宙との互換性があるに違いない。

抑圧の起源

人間に対する抑圧の起源には
政治的抑圧以外はそれほど注目されていないが
重い屋根と頑強で太い大黒柱からなる
物質的に過剰な住居の構造による
長い歴史的な抑圧がある。

あらゆる権力の起源は
重厚な存在を目指している。

概念の監獄

街頭や道路において
警察の厳戒な監視カメラが設置され、
日々の生活に対する絶えざる矯正力によって
のろまな群れが形成される。

太陽黒点がゼロになった宇宙的現実へと転換されないまま、
シナジェティクスを学習しても
概念の監獄から脱出できる保証はない。

非構造

掃除機は自分自身を掃除できない。
洗濯機も自分を洗濯できない。

国民を監視できるが
権力もまた自分自身を監視できない。

その非構造のなかに
原子力が閉じ込められたのだ。

権力の外部化は
権力から生まれるが
つねに生命の統合作用とは無縁だ。

つまり、太陽の黒点数に関与できない
テクノロジーの段階にある。

磁力線

シナジェティクス思考とは、
非論理的で野性的モデリングにできるだけ接近することによって、
それが非物質化という形で結実するプリセッショナルな磁場に停泊することによって、
反哲学を作動させる一つの磁力線なのだ。

危険な哲学

本当に現実化(realization)する過程にはしばしば、
現金化(realization)の前提条件が課せられるのは、
その行為を唯一理解(realization)可能な
革命(revolution)と思い込んでいるからである。

そして、それこそが、人類がつくり出した
もっとも危険で平凡な哲学である。

革命という概念はそれほど革命的ではない

革命という概念はそれほど革命的ではない。

〈革命revolution〉=re(逆らって)+volvere(回転する)
だけならば、部分から推測可能な範囲の
<回転による劇的な角度変化>にすぎないだろう。

発明や人為的なエンジニアリングによるアーティファクトの革命とは、
社会的な現状を支える政治経済の強い流れに逆らう行為ではなく、
社会的な現状とは別に実在する〈現実の泉〉に到達する行為である。

超国家的私企業

一般市民に優先的に帰属すべき非共産主義経済圏における原子力の所有権は、
政府が1/3世紀をかけて展開した巧みな法律操作により、超国家的私企業に譲渡されてしまった。
自由企業カルテルの基本的戦略は、
「人類には、企業の原子力開発計画に代わる現実的な選択肢は存在しない」という確信に基づく。
——-『クリティカル・パス』(白揚社 バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳)より引用

バックミンスター・フラーは、1960年代にグランチによる電力会社と核戦略の予測に到達していた。
つまり、局所的な権力間には、超国家的な連続性が存在する。