月別アーカイブ: 2006年12月

再生的

森は、ふたたび雪で閉ざされはじめた。
私の場合、越冬に必要な物はほとんど買ってくる。
ところが、樹木の葉が一枚散ると、すぐ他の葉がはえてくる。
完璧な再生的デザインだ。
すぐとは、私の場合、明日か明後日であるが
太陽系では正確に6ヶ月後のことだ。  Y.K

暇人

農業人
自然を搾取するばかりで、
自然と共に生きることが不可能な人たち。

学者人
自然を観察するばかりで、
自然と共に生きることが不可能な人たち。

暇人
田舎でもっとも困難で、知的な行為は
何もしないことである。
これは、自然と共に生きる近道である。

もし、それに耐えられなければ、
醜い杉を切り倒して、焚き火をしよう。
間違った光合成の蓄積を解放させるのだ。  Y.K

天球儀と地球儀

天球儀は、地球からみた外部ではなく、閉じた球面に映る相互関係として描かれている。
地球から観察されるパターンを回復するには、つねに天球儀全体の鏡像反転という操作を必要とする。神の目から描かれた歴史が先行している。神は球体宇宙の外部に位置することができる。

一方、15世紀のイタリアの地理学者パオロ・トスカネリ地球球体説から作成された最初の地球儀は、天球儀のように鏡像として描かれていない。地神の目は、球内部から見た外部、つまり地上よりも下方には存在できない。

クリストファー・コロンブスが 1492年、大西洋をインドを目指してパロス港を出航した。この時の地球議は外部からみた地球儀であった。実用的な航海情報を描いたのではなく、いわば神の目から描かれた歴史が依然支配しているたと考えるべきだ。

なぜなら、その約1世紀後の1603年に出版された測天図で、星座のパターンを見える通りの星の配置、つまり地球から外部を見る観察者の視点が最初に描かれたからである。

ティコ・ブラーエの観測資料はヨハン・ケプラーによって整理され,ケプラーの法則発見の重要なクロノファイルとなった背景には、地球から外部を見る観察者の視点が天文学にもたらされたのである。  Y.K

プライムデザイナー

発明を評価できる人は、特許の審査官ではない。
真の発明家は特許の審査官よりは少ないのである。
そして発見家は、発明家よりも少ないのである。

ビジョンなくして発見には遭遇できないが、
発明は依頼することができる。
しかし、優れた発明家はクライアントなくして、
発見と発明に同時に関わっている。
バックミンスター・フラーは、そのような個人をプライムデザイナーと呼んでいた。  Y.K

発見家と発明家

ほとんどの人は、発見や発明と無縁な人生であると思っている。
しかし一つの発見や発明もないということはあり得ない。
だれでも異なった経験をしているかぎり。
発見や発明であると評価する人に出会っていないだけである。

決定的なことは、評価を依頼する関係からは発見も発明も生まれないのだ。  Y.K

自然の反革命

都会人は、何を食べるか、その選択の自由を奪うことができる。
農民が何を栽培すべきか、その選択の自由を奪うことができる。
なぜなら、工業化された農業が、より多くの食料を生産したことがないから。

学生が何を学ぶべきか、その選択の自由を奪うことができる。
教授が何を教えるべきか、その選択の自由を奪うことができる。
なぜなら、情報化された社会がより多くの方法を生産したことがないから。

すべては私から資源とエネルギー、そして秩序を盗むことで生産される。
なのにどうして、人は私に直接富を支払わないのだろうか。
そして、富がないほとんどの人は、私に感謝しないのだろうか。  Y.K

ショッピング

都市も驚くほど老人が多い。
都市の老人たちの食料品のショッピングを見ると悲しくなる。

彼らの世代が、最初に畑をお金に換えて、お金で食料を買い続けてきたのだ。
食料はけっして一人では収穫できないことを知っている彼らが銀行の利子率に依存して暮らしてきた最初の世代だ。
彼らが、苦痛のなかにいるか、さもなくば退屈しているかぎり
人間の全体の幸福は、まだ先のことだ。  Y.K