月別アーカイブ: 2015年11月

核の傘

ヒロシマの168倍の放射線量がうずくまる地域に
いまも30万人の子供が生活している。

これは、日本政府が開発した
核爆発後の核の驚異を隠蔽するための
史上初の核の人傘だ。

この傘は、いまも拡げたままである。

統治

日本国内で民主的な革命を望む人々は増えつつある。
しかし、<革命>を望む人々から
日本を<統治>するという言葉はまだ聞かれない。

他国から長期に統治された経験から
自ら統治することを拒んでいるように見える。

しかし、実際は統治を恐れるほどに分裂が進んだのである。

生産的な仕事

戦争するために
いまや多くの人々が
社会で生産的な仕事に従事できていないことだ。

成熟した知的な人間でさえ
知識以上に非生産的な仕事が好きだから。

異なる方法

知識は
新たな経験を
これまでの経験と統合できるかにある。

しかし、シナジェティクスにおいて
これまでの思考とは
異なる方法で思考できるかは
同一のモデリングから
異なる方法で知覚できるかにかかっている。

つまり、同一の現象を
異なる方法で知覚することによって
ある<発見>がなされた場合、
発見後もそのモデリングは
物理的にはなにも変化させる必要はないのだ。

固体的概念

テンセグリティにおいて変化したのは
素材よりもその構造を定義するための原理を
構成するための概念モデリングである。

つまり、ギリシア時代においても
そのための素材が存在していなかったわけでもない。

多面体という固体的概念が
素材構成の可能性のすべてを制限していたのである。

その制限が解かれるまでに
25世紀間もの歳月を必要としたのである。

固体という概念は権力構造の主要な物質観であった。
その要塞建築の構造を形成するための。

張力機能

構造力学がテンセグリティについて
張力が果たす真の機能を語りうることはないだろう。

なぜなら、テンセグリティの真理を保留しているのは
建築という重要な部分を支配する方法だからである。

共鳴現象

真理なる構造へと至る
至高な自由を内包するためには
テンセグリティのように
イデオロギーに依存しないまま
共鳴現象を引き起こす。
——–外力を分散する過程において。

可逆的モデリング

シナジェティクスが解釈の過剰性から逃れているのは
解釈する側がシナジェティクスとデザインサイエンスとの
相互の相補性から捉えられないからではなく
シナジェティクスモデリングによる
圧倒的なモデル言語学が実践的に理解できなかったからである。

解釈の過剰性から逃れた
<構造と意味>の統合したモデリングは
<構造>と<意味>は相互に可逆的である。

感性的直観から

直観的モデリングから
多くの原理を発見してきたシナジェティクスは
知性の形成が感性的直観に対立し
感性的直観は知性には還元不可能なものとする
哲学的前提を幾度も乗り越えてきた。

私はシナジェティクスモデリングの
クロノファイルを同時に見れる階層的な棚を
スタジオ内に作成している。

感性的直観によるモデリングは、時系列的に統合されて
最新のプロダクトのためのシナジェティクスモデリングから
その概念の起源が明白にされるだろう。

幾何学の限界

折り紙の幾何学の限界は
鶴が飛行できるような形態を幾何学性から解析できなかったことにある。

折り紙がたとえ<赤い薔薇>に折れるとしても
単なる<見立て>に始終する記号のテクノロジーである。

シナジェティクスは幾何学ではない。
そして物理学でもない。

シナジェティクスは存在のすべててを扱う。

誕生と爆発日

シナジェティクスを学ぶなら
新しい原理の発見の場に立ち会わなければならない。
新しい理論の誕生に立ち会い、
その場の形成の起源とその爆発力を直視なければ
その物理的な応用範囲などは思い浮かばないだろう。

デザインサイエンスを学ぶなら
そのような原理と理論、そして応用方法が記された書物本ではなく、
そして、教室ではなく
まして論文や特許文献ではなく
爆発力を形成する出来事において
メタフィジクスが及ぼす社会との闘争に直面しなければならない。

すべての新しいアイデアには、呼吸をはじめた誕生日がある。

構造実験

『シナジェティクス』は思考を検証するには有用だが
テンセグリティに関する検証では
テンセグリティの構造実験と比べれば部分的でしかない。

つまり、テンセグリティはまだ漸進的変化を遂げている。

前提条件を破壊する場合の実験こそが
知を形成できるのである。
しかし、その実験方法はプリセッションとして現れるのみである。

構造的違和感

テンセグリティからの分析は
これまでの構造が持っている恣意性を明らかにし
自由への空間をこれから如何に享受することができるか、
そのための自律的エネルギーをモバイルシステムで
生み出す実験から
具体的なプロトタイプを経済的に物質化できるかである。

しかし、テンセグリティを生命との関係で構造化するには
個人は疲弊しすぎている。

12歳までの子供の教育システムと英才教育システムへの
構造的違和感なくして
テンセグリティ原理の力学的相互作用と
その優れた諸機能は感受できないのである。

レオナルド・ダ・ビンチ

バックミンスター・フラーは
しばしば20世紀のレオナルド・ダ・ビンチと形容されてきた。

芸術家・科学者(アーティスト・サイエンティスト)を
60年代以降の<独創性>によって図るのは
ある種の政治的意図から生まれている。
ーーーー<独創性>が自由経済の証として映るように。

独創性を、政治的、社会的要因によって影響を受けない
自律的な自然的要素とみなすのは、危険な視点である。

真の<独創性>とは、存在の起源にまで到達するビジョンである。
それは、共有された政治的、社会的現実を一瞬にして破壊する作用がある。

シナジェティクス考古学

バックミンスター・フラーのクロノファイルから
実際に確認できることが
本当に存在したものとして認識されることは容易ではない。

長いテクストを伴う『シナジェティクス』でさえ
モデリングからしか解読できない場合がある。

60トンもある彼のクロノファイルに分け入って、
シナジェティクスについてモデリングのまま保存された
新しい<構造と意味>を解読する作業は
考古学に近い。

それは、フラーが亡くなった当時、西海岸に移転したフラー研究所での
シナジェティクス研究のための
その<思考の幾何学>における概念的な探査を
私が3ヶ月で中断した理由でもある。

それは、シナジェティクス的解決方法への問題意識がない時の
クロノファイルの探査をすべて排除したときである。

経験を通した理解は、つねに同時的でかつ非同時的であるからだ。

バイオフィードバック

掃除機で掃除機を掃除できる掃除機能は、
掃除機自身には装備されていない。
同様に、洗濯機を洗濯する洗濯機能は
洗濯機には存在しない。

ウオッシュレットを掃除できるウオッシュレットはあるが
トイレ全体を掃除する便器はまだ存在しない。

しかし、人間にはバイオフィードバック(生体自己制御)は可能だ。
この機能は、自己のテクノロジーに含まれる。

シナジェティクス・スタジオ

『シナジェティクス1&2』を読んでいた頃にとったノートやモデリング
そして、バックミンスター・フラーの講義ノートやビデオ映像などは
引越しの度に整理したけれども
5年前の引越しの時には新しいスタジオまで10トン車で移送しなければならなかった。

私のメタフィジックスのすべては
バックミンスター・フラーのシナジェティクスの読解によって決定された。

そしてデザインサイエンスのプロトタイプは
シナジェティクス・モデリングによる発見によってデザインされてきた。

次の引越しは、このプロトタイプになるだろう。
否、移動という概念はもはやこの居住機械には相応しくない。

シンメトリックな対称性を発生させる
回転軸のない居住機械は太陽系に居住できない。

対称性こそがモバイル機能を形成するモジュールをデザインしている。

操作主義

自己の思考と行為。そして存在の在り方に対する
一定の操作を実現することができる。

天球儀はそのような意識操作からデザインされたのだろうか。

その過程にシナジェティクスモデリングとの
相違はほとんどない。

概念の視覚化

モデル言語とは何か、
モデリングによる未知の概念の視覚化という驚くべき経験は、
いったいどにような操作から形成されるのか。

モデル言語が
未だ存在していない概念の
未だ存在していないモデリングから形成されるかぎり
シナジェティクスは、この問題を再発見しつつある。

自由であるはずの一人の認識主体だけの操作からは
発見され得ない。

テンセグリティ・シェルター

どのような単純な要素を使って構造が組み立てられるかは
テンセグリティの発見から始まった。

どのような既製品を使って空間が構築されるかは
テンセグリティシェルターの開発から始まった。

5年の歳月が費やされ
フライズアイのモノコック構造を
テンセグリティ・シェルターに変換できたのは
偶然のデザインではない。

この動くシェルターは
シナジェティクスもデザインサイエンスも書き換えられるまでに
漸進的変化を遂げなければならなかった。

「デザインとは異なった原理の調整」(バックミンスター・フラー)なのである。

空虚

廃炉にするかさえ決定できない空虚
もはや消滅した人間が残した空虚の中で
利益率を最大限に上げて暮らす企業体とは何か。

この空虚は
埋めるべき欠落を補充するものでも
まして、システムを陥没させるものでもない。

空虚という非存在は
いまや法律的な存在に成りすましている。

小さなスタジオ

土地に働きかけようとしなかったなら
死を受け入れる情況から
生存するのに必要な道具を発明し
生産する方法を他者と共有しなければ
死を意味する産業化から
仕事をするのに銀行に働きかけようとしなかったなら
社会的に存続できなくなる金融化を
通過した段階においても
デザインサイエンスはよりいっそう効果的に展開される。

軍事的球状情報ネットワークが
個人へのインターネットの普及コストをユーザに負担させることによって
意図的に加速させて軍事的インフラを強化したように
先進的なあらゆる素材とその加工方法と加工技術に関する情報とコストは
インターネットから求められる。

小さなスタジオの生産性に関する全機能は
かつての企業の巨大工場の設備から得られる機能を
凌駕しているのである。

この21世紀的エフェメラリゼーションは
部分から推測できない全体への到達時間を
明らかに短縮しているのである。

規範

労働は、より密度を増しながら
より高い生産性を獲得するため
あらゆる革命的な方法を開発せざるをえなくなるが
経済は、効率的な生産性を鍛えるよりも
新しい資源をつねに独占しなければ
消滅する運命にあるのである。
——–もし、軍事力がなければ。

革命が個性化と稀少性からもたらされ
揺るぎなく形成される基本的規範が
終焉する時が来るのである。