月別アーカイブ: 2016年2月

自由と構造ーーー<アンチ・オデッセイ>2

先のブログは、映画<オデッセイ(ODYSSEY)>を見た後の私の感想だ。

火星の土とクルーの排泄物から土壌と水を用意し、ジャガイモの栽培に成功する。
しかし、糞尿のなかで生存する地球上の微生物群なしでは
クルーは火星でサバイバルできないという
NASAがこの映画のために提供した生物学世界像に私はとても失望する。
専門家によるこの生物学世界像は、明らかに微生物学的な水の再生利用方法に対して
無知である、そうでなければ隠蔽しているからだろう。

火星の基地シェルター内部のインフラは
現在の都市のインフラとまったく変わらない構造は
もっとも非経済的であり、絶望的だ。
(火星でのジャガイモ一個あたりの生産コストは膨大である。)

映画<オデッセイ(ODYSSEY)>は、
現在の世界中の都市のインフラを維持推進するための税金収奪を
長期間にわたって合法化する役目を担わされている。

<無管、無柱、無線、無軌道>の<4つの無>を
最新と思わされている科学テクノロジーに対峙させる構造を
デザインする生命が、唯一、太陽系宇宙に適応する生命である。

自由と構造ーーー<アンチ・オデッセイ>

私にはただ、大地と空とシェルターがあるのみだ。
それで、一体何が私に欠けているだろうか。

シェルターとエネルギーと食料さえあれば
私は最大の宇宙エネルギーの実践者ではないか。
宇宙のなかで、自律した生命として。

その生命には、優れた受容器
つまり、最小限のエネルギー受容器としての
テンセグリティシェルターが必要だ。

それは、最初の監視されない自由と共に
太陽系における遠隔的な相互作用をする構造ではないか。

素晴らしい詩の一行に巡り会わなくとも
<バイオスフィア3>と共に生きることができる。

どこにも出かける必要のない
内部の<4つの無>を生きるのだ。  yk

無線、無管、無柱、無軌道へ

皮膜のない宇宙服では大気圏外では生存できない。

皮膜や外殻がないかぎり
すべての生命は宇宙では生存できないにもかかわらず
テンセグリティやジオデシックドームよる
大気圏内の宇宙開発は確実に遅延してきた。

バイオスフィアという
最大のインドア(=大気圏)が素晴らしくデザインされているがゆえに
アウトドアのドームテント以上に
モバイル用のインドアはデザインされてこなかったのだろうか。

初期モデルのバックミンスター・フラーのダイマクションハウスから
第2次デザインサイエンス革命による
テンセグリティシェルターのプロトタイプ完成まで60年以上を経過している。

デザインサイエンスが供給する
テンセグリティシェルターでの
モバイル用インドア生活は
すべての都市インフラを不要とするデザインがなければ
真のモバイル性の自由度から形成される
精神の自律性は実現できないという前提は
この半世紀間変わらなかった。

無線、無管、無柱、無軌道を実現する
デザインサイエンス革命による4つの無は
無為自然というテクノロジーへの進化過程に置かれている。

思考する幾何学モデル

思考するモデルとは何か。

この驚くべき経験と発見は、
いったい一体何を意味するのか。

そして、シナジェティクスは
バックミンスター・フラー以後も
現在も、この思考する幾何学モデルは発見され続けている。

それは<シナジェティクス3(SYNERGETICS vol.3)>として公開される。
モデル言語と共に。

デザイン不可能な存在へ

学校教育で学習され、矯正された知性は
シナジェティクスの感性的直観にことごとく対立するが
感性的直観は真の知性にも還元不可能である。

デザインサイエンスに必須な想像力でさえ
シナジェティクスの感性的直観の
根源的なゆえにデザイン不可能な
宇宙の原理的な生産力に従うだろう。

モデル現象学

『シナジェティクス』(さらに『コスモグラフィー』)によって
構造が最近の発見(第2次世界大戦直後)であるという
核心的な理解を抱くことができる。

自然の構造が、概念以上に見えないならば
シナジェティクスが自然を発見する知的体系よりも
モデルがシナジェティクスを発見する
<モデル現象学>から学ぶほうが
より<野生的>である

新しい構造は
つねに野性的思考から発見されるだろう。

構造と思考は、不可分だから。

熟考(consideration)

私にとって、熟考(consideration)は
個人の<動機>を意味するが
法律的には<対価>を意味している。

個人は熟考し行動できるが
政府や大学はそれ以上に熟考し行動すると考えている
社会構造を拒否してはじめて
シナジェティクスは、もっと単純に理解できるにちがいない。

もっとも包括的な思考形態と方法は
これまでの権力構造に属していたから。

ありふれた外部

果てしない逃亡よりも
脱獄には外部がある。

宇宙の相互作用と繋がっている
可能な解決を受け入れる
開かれた外部が存在する。

無管、無柱、無線、無軌道で繋がる
ありふれた外部で
ふたたび満たされるだろう。

ありふれた外部を全的に物質化するのは
モバイル生活器である。

構造と意味

シナジー作用に遭遇したとき
その超越論的機能において、
経験と意味作用に発生する無数の新たな相互作用を
現実にいかに変換するかにおいて
シナジェティクスは
日常的経験の意味を捉え直そうとする
あるいは
日常的経験の構造を破壊しようとする
自己のテクノロジーでもある。

生活器へ

プロダクトデザインから生活器は生まれなかった。

デザインサイエンス、つまり
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の統合性は、
主に建築学と機械工学によって権力テクノロジーと記号テクノロジーに組み込まれ、
さらに、生態学や教育学や医学、そして心理学といった各専門領域に分断されることで、
その重要性と自律性に関与する基本機能をすっかり失ってしまった。

そして生存に必要な最小限の生活器としてのトリムタブでさえ、
無数のアブノックスの偽装された安全率によって、つねに先送りされるのである。

<デザインサイエンス>を
クリティカル・パス方を導入したプロダクトデザインや
科学的なデザイン理論として定義しているかぎり、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>は
デザインサイエンスの教育過程に限らず、
プロダクトの初段階ですでに排除されたままである。

偽装されたデザインサイエンスに共通する現象は
シナジェティクスの原理への探究心の欠如である。

シナジェティクスの原理への探究なくして、
<生存のためのデザイン>と<自己のテクノロジー>の
統合性(integrity)は生まれない。

物質的触媒作用

シナジェティクスは幾何学や数学、物理学だけではない。

学問と共に始まるのではなく、
未知なる存在との境界と
超えるべからざる自然との境界との間(between)ではなく
それらを超えた領域に
シナジーの実在を知るために
シナジーを客観的現象ではなく
操作可能な機能として発見するのである。

シナジェティクス以上の
実在する物質的触媒作用が存在するのだろうか。

客観的行為

リヒテルの平均律を10年間聴いてもピアノは弾けないように
「シナジェティクス」をすべて読んでも理解できないに違いない。

何かを素晴らしいと感じる瞬間が訪れた時、
たとえば、スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルや
バックミンスター・フラーに会いに行くべきだろう。

もっとも簡単なことから始められる
学校での学習や独学から
もし連れ出してくれる機会がなかったら
学校は残酷な場所だ。
対話のない独学はそれ以上だ。

誰かに似てしまう言葉を習得する前に
その残酷な場所から逸脱するのは
最初の客観的行為だから。

これは、もっとも簡単な主観的世界の作り話だろうか。

安全の概念

自動車や船舶、そして航空機の安全メカニズムと
人口統治という一連の政治的な安全メカニズムに関する安全の概念が
同一視される権力メカニズムを分析しない
疑似デザインサイエンスが、大学で先導的に実践される前に
1970年代のバックミンスター・フラーは、
移動する研究教育機関(Floating University)を構想し創設していた。
(1980年代のバックミンスター・フラー研究所にいた頃、
私はその大学の学生にシナジェティクスを個人教育していた。
たとえば、毎回場所を替えたレストランの窓側で。)

移動しない大学は、土地不動産の管理運営と退職金だけで
教育コストの大半を消費するメカニズムに取り込まれていたからだった。

安全の概念とテクノロジーが、高速で移動するテクノロジーによって
より加速度的に進化しているにもかかわらず。

土地不動産と都市のインフラに縛られた学問は、時代遅れである。

個人以外に

現実的な生存形式を探査し、その結果を記録し、映像化し、
そして数学的に、そして経済的にデザインする作業を
デザインサイエンスの過程にではなく
客体化あるいは服従強制の生存方法として機能させる目的に従事する人々は
その研究開発費を国家や大学に求めてきたことを疑いもしない。

しかし、20世紀の主要な産業のプライムデザイン
(例えば、自動車やPCなど)に関わったのは
国家や大学ではない。

個人以外に宇宙の原理を発見する機会を求めないという
経験的事実はまだ社会的知性ではないのだ。

概念の懐胎期間

体系的形態の変化よりも
素材の変化からテクノロジーの進化を期待する時
<構造とパターン>の革命が伴うとは限らない。

真の<構造とパターン>の革命は
数世紀間以上も影響を与えてきた。

プラトンからケプラーまで
そして、ケプラーからフラーまでの
概念形成の隔たりのように
幾何学的概念革命には、
科学技術の研究開発に先行する原理の発見までの懐胎期間以上の
懐胎期間が存在する。

それは素材の変化からは求められない
未知(unknown)の数学的自然からなのだ。

正常化のための

どんな危機的情況からも
問題を解決しないで正常化する技術は
至る処にある。

オフィスや学校、
工場やそして家庭にさえも。

そして、自動車の排気ガスをコントロールするプログラムさえも。

それは、明らかに権力による
正常化のためのテクノロジーを初源としている。

人々の生活はついに
正常化のための奴隷になることを
正常化される。

科学的思考

科学的思考といわれる
ありふれた方法にこれまで
従属していた知。

その再構成ではなく
知への反発と放棄から
野性的思考は発現する。

しかし、それを待つだけの信頼を
持てないような科学的思考で覆われているから
シナジェティクスから去る人々は
シナジェティクスへ向かう人々よりも多いとしても
シナジェティクスは
見えない星々にあるのではなく
裏庭の岩石のような
ありふれた沈黙の中にあるのである。

自発的に、自律的に。

非圧縮力的宇宙観

人々は無意識に
ほとんどの構造にまだ<大黒柱>を求めている。

大黒柱ほど圧縮力の社会を象徴する構造言語はないだろう。

張力的世界とは何か。

動くモノは動くモノに作用する、つねに互いに離れていても。
たとえば、太陽系に浮かぶ惑星地球。

この大気圏内の非圧縮力的宇宙観は
まだ圧倒的に希薄である。

科学的反乱

テンセグリティ構造の歴史に於ける反乱と革命とは
1つの中心に対して中心化しようとする力学作用に対する
反乱的な力学の理論化と実践にある。

中心なきネットワークの構築方法こそ
局所的な破壊から致命的な破壊への連鎖を
無効化する科学的反乱の方法なのである。

移動パターン

労働力が不足している場所に人口を配分する以上に
過剰な都市人口を養う食料とエネルギーの不足を
意図的に分配する資本主義の狂気を扱う心理学はまだ存在しない。

人類全体を生産の循環の中に位置づけるイデオロギーもまだ存在しないが
部品生産とそのアセンブルシステムを
全地球的に位置づける物質の移動パターンは
よりダイナミックに進化している。

たとえば、PCや自動車の組立パターンが
かつて船舶の組立と同じようにコピーされてきたように
移動しながら、工業製品をより効果的に完成させる場合の
加速度的な生産性を最初に分析したのは
バックミンスター・フラーのデザインサイエンスである。

<クリティカル・パス>は、
デザインサイエンス革命の方法序説である。

有用性(utility)

テンセグリティが実用性に対して望ましい構造でないとするなら
別のテンセグリティを発明するか
さもなくば
テンセグリティに代わる何か別の構造を発見しなければならないだろうと
考えたのは1972以後であるが
テンセグリティ以上の構造は発見されなかった。

そして、その12年後、大気圏外からきた隕石からも
バックミンスター・フラーレンが発見された。

その自然の構造は、不可視の段階において
テンセグリティの最大の有用性(utility)を現実化している。

例えば、超伝導性、半導体性、磁性において。

数学的自然

構造とパターンの発見者であることを自認する科学者たちが
構造の革命や認識論の学派である以上に
バックミンスター・フラーによって実証された
メタフィジックスとフィジックスとの断絶と統合を
いまも乗り越えることができなかった事実と向き合う時に
シナジェティクスを学ぶこと以外の可能性はあるのだろうか。

ナノチューブやフラーレンの構造とパターンの
数学的な分類方法からも
こうした可能性と限界は明らかである。

数学的自然には
自然から構造を学ぶよりも
自然を構造化する方法が存在する。

レイマン

シナジェティクス原理に言及している論文や本からではなく、
また研究室やスタジオではなく
原理が誕生するモデリングの現場において
シナジェティクス原理の誕生に立ち会い
その爆発力を確認できたなら、

原理の存在の証明にために
シナジェティクス理論の開発者としてよりも
原理が導くデザインサイエンス革命の実践に
再び立ち向かうのである。

レイマンとしてレイマンたちと共に。

主体的個性の役割

シナジェティクスは
数学、物理学と
経験科学としての生物学と言語学
そして
メタフィジックスを含むばかりか
<クリティカル・パス>という
人間諸科学を包括した最初の科学哲学によって
認識可能なもの、なすべきこと、
実現可能な物理性と経済性を決定するために使用される。

この決定に主体的個性が関わる役割はほとんどない。

なぜなら、主体的個性が宇宙の中に存在する動機とは
依然無関係であるからだ。

生産性

より高い生産力を獲得するために導入された
PCによる労働は
一層の密度を増すにしたがって
あらゆる生産力をさらに高める方法を導入し
絶えず応用せざるをえなくなったばかりか
それによって最小限の生活の質さえ
より近づきがたいものとなる事態は
より高い生産力を支える富の分配において
民主的な方法が導入されないように
デザインされているからである。

つまり真の<生産性>は
なにひとつ変化していないのである。
ーーーー労働が死の恐怖を呼び起こすかぎり

労働者が<生産性>という概念を教育されたのは
第2次世界大戦後だ。

働かない時間を生むための真の<生産性>
という概念が工場内で共有される前に。

見ることすらできないもの

「構造」という名詞の背後に隠れているものを
一つ残らず解放しなくてはならない。

バックミンスター・フラーは
その手段を<modelability>と名付けていた。

<modelability>をどう日本語化するか以上に
それなしでは
見ることすらできないものこそが
モデル言語である。

ありふれた言語の
予測できない結びつきの中に
<modelability>は現出する。

70年代のバックミンスター・フラー

70年代のバックミンスター・フラーの
ジオデシックドームやテンセグリティの分析・解釈から生まれる
追従者のカウンターカルチャーは、依然
優柔不断な悪しき三角形主義の中に取り込まれたままでいる。

バックミンスター・フラーの分析・解釈から生まれるよりも
自然のジオデシック構造やテンセグリティ構造は
無数にあることを
発見し認識するがシナジェティクスである。

バイオシェルターによる稲作

他の天体への移住計画や宇宙開発は
つねに圧制や課金の手段、そして隠れた抑圧の道具と化す。

映画「オデッセイ」では
自家栽培したジャガイモで食い繋いでいくシナリオによって
貧弱な農業生産手段でしか
サバイバルできなことを刷り込まれるのだ。

火星で稲作ができなければ
火星での人類のコロニーの発展は期待できない。

水も空気もない火星でこそ
バイオシェルターによる
稲作のシナジー的食料生産性と自律性が証明できるのだ。

排泄物から水を完全に再生する技術は
火星計画を推進するNASAにはまだ期待できない。

プライムデザイナー

シナジェティクス的思考とは、
非デザインサイエンスにできるだけ接近し、
それがモデル言語で結実する磁場に留まることによって、
はじめてデザインサイエンスを作動させる一つの操作主義のことだ。

原理の存在と共に絶えず想起される思考方法なのだ。

この方法を習得したプライムデザイナーは
私の知る限り、3人しかいない。

エフェメラリゼーション(非物質化)

プラトンからバックミンスター・フラーに至る幾何学による
原子論または素粒子論という根源性という方向から
シナジェティクスは生まれた。

しかし、プラトンの多面体から原子核構造に至るまで
経験的な方向での連続的な技術の歴史からは
主体の理論が背後に残されてしまう。

バックミンスター・フラーにおいては
デザインサイエンスで主体の理論化と実践化がなされている。

物質化という行為とプロセスなくして
エフェメラリゼーション(非物質化)という客観性は生まれないのだ。
数学というメタフィジックスも含めて。

デフォルト的破壊者

シナジェティクスの探究とは
自己に対して自己以外のすべてでありつつ
再び自己に戻る
デフォルト的破壊者への道

あるいは
自己の真理を失いながらも自然からの啓示にうたれて
真理を再発見するデフォルト的存在への道

それらは互いに相補的である。
—–同時的に、非同時的に

原理的選択

デザインサイエンスとは何か。
思考の根底にある<原理的選択>の場の発見と
その場の発生条件をデザインする行為。

原理的選択によって
知識や行動様式、感性と鋭敏性などが
選択されるのではなく制限されるのである。

デザインサイエンスは
あまりにも広範囲ゆえに。
専門分化からは理解できない。

とりわけ、美学的な関わりは僅かである。