月別アーカイブ: 2016年3月

相互作用

デザインサイエンスが
プロダクトデザインや
インダストリアルデザインと異なるのは、
デザインサイエンスが
シナジェティクスと相互的に直接作用するからだ
——–より加速度的に、より経済的に、より軽量に、
そして、より数学的に、より包括的に。

沿岸部文明

お金を稼いだ結果、喜びをとても遠くにまで探し求めなければならない。
火星計画は、ひとつの答えだった。

より幸福であるためのモバイルは
重要な遺伝子の複製の結果だが
デザインサイエンスは
大気圏内宇宙へのモバイルで十分である。

80%の人々はまだ沿岸部で
生まれて死んでいる。
沿岸部文明の人生は、まだ静止的で固体的である。

エネルギーと食料の生産技術を奪われたインターネット社会は
閉ざされた行動力の代用品にすぎない。

Cosmic Integrity

デザインサイエンスは、アメリカにおいても
それ以外の世界にあっても
学的党派性を陳腐化しながら存続しているのは
バックミンスター・フラーが自ら
学的党派性を否定して行動していたからではなく
宇宙の知的存在に対する信念(faithful to cosmic integrity)を
疑わなかったからである。

デザインサイエンスのクリティカル・パスには
バックミンスター・フラーの偶像化を否定するプロセスがある。

——それは、独創的なシナジェティクスモデリングによって
非局所的な過程を乗り越えるプロセスでもある。

その同時的かつ非同時的で
多様な<cosmic integrity>は
重さのない一つの構造とパターンに変換可能である。

テンセグリティとは何か

形態というものがある種の表層的な作用にすぎないこと、
時と空間の中で生命と非生命を先験的に支えている
構造システムであることが発見された後に
テンセグリティ理論が形成された。

まだ実用性がないというエンジニアリングに無関心な
建築家の思い上がりや
コッホの細胞理論の破壊にも関わらず
タンパク質で形成された構造システムが
すべての細胞において横断する
システムの究極のエフェメラリゼーション。

いたるところのありふれた物質から
圧縮材と張力材を合成するこのモバイラーたちに
知性の境界線は存在しない。

生活器というマニホールド(Manifold)

デザインサイエンスを直接に実践する代わりに
シナジェティクスについて語るよりも
シナジェティクス言語を語らずして
デザインサイエンスについて語れないよりも

シナジェティクスをなぞって
デザインサイエンスを
デザイン理論だと思わせる人々は
生活器には無縁である。

バックミンスター・フラーの最初の量産型のデザインは
ジオデシックドームではなく
トイレ付きのバスルームだった。

エンジン以外でマニホールド(Manifold)を使用した最初のデザインだ。

移動する外部

外部の事物を若返らせ
同時に自己との関わりを変容させるのは
思考ではない。

認識対象の領域を拡張する手段としての
シェルターで移動するか
内部から移動する外部を観察する方法によるのである。

シェルターがジオスコープ化するこそ
移動する外部そのものである。

シェルターは
バイオスフィア内部の静止衛星である。

シナジェティクスと直観

シナジェティクスは感性的直観に対立しない。

シナジェティクスは
知性には還元不可能なものとされている
感性的直観の本源的な生産性をモデリングに求める。

形態(form)とモデル(model)の相違は
メタフィジックスにあるだろう。

そして、プロダクトデザインと
デザインサイエンスとの圧倒的な相違は
目的論(teleology)にあるはずだ。

固体的空虚

人々はもはや消滅した構造が残した空虚の中でしか
思考することはできないのだろうか。

シナジェティクス原理の発見が
大地に依存しながらも地震を憎む構造の終焉であるとすれば
デザインサイエンスは反建築への起爆になるだろう。

移動しない構造は、思考の空虚を充填させるものでも
埋められた固体的空虚を穿つものでもない。

生き延びる構造は
振動数と角度から生成されているからだ。

シェルターデザイン

シェルターとは何か。

大地に働きかけようとしなかったなら死に絶えるように
バイオスフィアに働きかけようとする時にのみに形成される
自己のテクノロジーなくしては
生き延びられない。

テンセグリティ・シェルターデザインは
都市生活者のためのアウトドアへの新たな道具ではなく
バイオスフィアへのインドアなのである。