月別アーカイブ: 2016年10月

権力の起原論

権力のメカニズムと権力の力学の総体を研究する研究者は
権力の起源の関する考古学を持たなかった。

『クリティカル・パス』(バックミンスター・フラー著 梶川泰司訳 白揚社)は、
権力の起源の関する考察から
国境を越えた見えない<グランチ>の包括的な動きを予測した最初の書物である。
(<強欲な法律家資本主義>という現在の経済学者が使用するタームは、
この訳書から生まれている。)

権力の起原論なき権力の力学の総体からは、
<強欲な法律家資本主義>の黄昏を予測できなかった。

個別の考察

どれほど専心しようとも<個別の考察>だけでは予測できない
統合化されていく自己投企によって現れる普遍的に有利なシナジーの重要性は、
<宇宙のなかの人間>から発見されてきた。

それは、<個別の考察>を支える個性的な人間ではなかった。

思考の考古学

テンセグリティ原理が発見されるまでには、飛躍の諸段階がある。

最初の段階には、バックミンスター・フラーの真の自己に関する
先験的認識(メタフィジックス)が関わっている。

それこそが、ジオデシック構造の発見よりも
テンセグリティ原理の発見が先行している驚くべき歴史を説明するだろう。

テンセグリティの原理の発見の諸段階は、
ダイマクションハウスの開発時に想起された
中央の圧縮材(マスト)の分散化に関する、もっとも難解で長期に関わった
モデル言語の読解の実践過程として捉えられる。

この解読の過程こそ、<思考の幾何学>への考古学でもある。
そこでは、モデル言語が技法に変換されていく自己認識が圧倒的に先行する。

コマンドなき減築や増築

改築の坪単価が変化しないならば、
減築しても、スモールハウスにはならない。
減築に素材の破壊と廃棄が伴う限り。

宇宙の元素群は、減築も増築もしない。
結合と分解だけである。
そして、元素というモジュールには劣化や老化がない。
減築も増築、そして破壊と廃棄は、
人間の経済活動の合理化の結果生まれた概念である。

真の結合と分解のエネルギーは
しばしば太陽光エネルギーで賄われる。

建築は19世紀の思考形式の反映によって
産業を維持しているが
他の天体の生存空間には
けっして採用されない形式だ。

減築や増築の概念を陳腐化したシェルターは存在する。
その結合と分解は、コマンドから始まる。

真のコマンドは、
自然に属する重さのないメタフィジックスから生まれる。

電磁誘導装置

領域的、部分的な知識ではなく普遍的包括的な知を求めるメタフィジックスは
形而上学と訳されたまま抽象的な思弁哲学に堕落させられ、
<直観>と共に、現在すべての義務教育課程で完全に除外された。

はじめから非同時的で無尽蔵にデザインされている
子どもの直観に基づいた動機と自発性は、社会にとって潜在的な脅威だからである。
この脅威は他国の軍事力以上である。

<直観>と<直感>の区別に、哲学的な素養は無関係である。
インスピレーション(精神における電磁誘導装置)は直観に含まれるから。

シナジェティクスは、
このインスピレーションに従って生きると
自己のテクノロジーがどのように変化するかに関わっている。

そして、直観的な基礎による見解こそ自己のテクノロジーを担っている。

破棄して残るもの

原理の発見方法はこれからも存在しないにしても
蓄積から遠ざかる技法は存在する。

モデリングによる思考というべき
これまでの思考方法の破棄なしには、
シナジェティクス原理に遭遇することはできないだろう。

シナジェティクス原理に遭遇しても
それが原理として見立てられるかどうかは、
破棄して残るものが決定する。

不動の地盤

未知の断層は、科学者ではなく
地震によって発見されることがほとんどだ。

大地震の予測は、科学的には不完全であるにもかかわらず
既知の断層によって作られている。

これほど危険な予測はないのだが
地震によって発見される断層を科学研究費で研究する地震学者ほど
不動の地盤はないのだ。

無対称性

人間はあらゆるものを発明することができる。

非対称性ではなく、無対称性に
魂を奪われやすい人間には
考える能力を与えられたのだ。

軽薄で嫉妬深く、気まぐれで偏見に満ちた不公平な世界や
他人の価値基準を変える方法を除いて。

現実の泉

発明や人為的なエンジニアリングによるアーティファクトの革命とは、
社会的な現状を支える政治経済の強い流れに逆らう行為ではなく、
社会的な現状とは別に実在する<現実の泉>に到達する行為である。

<革命revolution>=re(逆らって)+volvere(回転する)
ならば、

発明直後から革命的と称される発明が
<現実の泉>から湧き出たメタフィジックスとは限らないのだ。

タイムラグ(再考)

子どもたちが
自発的な会話もない教室で
曖昧で散漫な学習に時間を費やし、
大人たちが
動機もないまま解決すべき優先課題を持たない
学問や教育に時間をかけすぎると、
どんな人間をも
怠惰で不確かな人生へと導かれる。

そして、異なった言葉とデザインで着飾った人間は
誰でも誰かに似てしまう。

それは大多数から富を奪うために
非同時的に感じさせる
歴史的な企てなのだ。

そして、
情報を非同時的に管理され
ついに健康までも奪われている。

観察者

気づいたことよりも
気づかなかったことの方がつねに多いことを
知るにはどうすればいいのか。

気づくために観察する(observe)とは、
語源的に<仕えるために注意深く目の前に保つ(serve)>という
ほぼ従属的な行為ならば、

観察者は、
観察から始める行為から
新たなビジョンはほとんど生まれないという
自らの経験に気づかない。

気づかなかったことを気づくのは
関係の包括的構造化による
全面的変化であり、
つまり非観察的な眼差しから形成されるのである。

自己を自己の外部から観る(=内部を裏返して外部化する操作)
ある種のトポロジーが
その眼差しを支えているのである。

<漸進的変化>

テクノロジーやイデオロギーの<進化(evolution)>という
不可逆的な形態論の誤謬から、そして<進化>という19世紀の言語の迷妄から
解放されなければならない。

e・volveというe-(外へ)+ -volve(回転する)と同時に
involve、つまりin-(中へ)+ -volve(回転する)行為によって
つまり、回転するトルネードのようにして
<漸進的変化>をとげるメタフィジックスの段階なのだ。

もはや進化モデルではなく、<漸進的変化>の加速度なのである。
宇宙の原理の発見に基づく<知>の増大こそが
<漸進的変化>の根源である。

物質化

シナジェティクスに要請されたのは、
ただ真理のみが支配する自由な<思考の幾何学>である。

真理を見るための方法が、
そのまま<モデル>を物質化するためのビジョンと化す時でさえ、
その方法の探査では
これまでのモデル言語の破壊にほとんど費やされているだろう。

物質化はつねに遅延する。

視点

発見されたシナジェティクスモデルを
モデル言語によって解釈する上での
複数性の問題は
モデル言語の定義によって
シナジェティクスモデルの構造から生成される。

つまり、構造を決定する場合の基点となる
絶対的なモデル言語は存在しないのだ。

その視点がどれほどの
シナジェティクスモデルを発見してきたのだろうか。

視点とは、複数性の問題そのものである。

自己のテクノロジー

とるべき行動と物質的なデザインへの理解の発端となるのは、
概念を実践に還元し、なすべきことについて
ただ語ることをやめる場合に限られる。

「何をすべきか」を自分以外に聞かないことは
自己のテクノロジーである。

巻き込む(involve)

<展開evolve>に対比する概念(正確には反対称的な概念)は
<巻き込むinvolve>であり、「回転して内部に巻いていく」ことだ。
これは前者と相補的にかつ動的な均衡を形成する。
この相補性は、決して鏡像的な関係ではない。

この概念モデルは、台風にもハリケーンにもキノコ雲でも再現されるが
沖縄は、アメリカの軍事的展開を回転して内部に巻いていく
ナーガの棲む場所だ。

森は移動した結果である。
種子は移動するようにデザインされている。

人間の都市は、戦争か、自然災害によって
強制的に移動する。

角度的固定

<構造>から反構造や非構造を排除することではなく、
国家とそれに結び付けられた<構造>という概念から
自らを解放するために、

数世紀の間、押し付けられてきた<構造>、または<固体>、
あるいは<角度的固定>という概念を拒否することによって、
主体性の新たな形式を見出していくには
何を実践すればよいのか。

シナジェティクスモデルは、
しばしば未知の概念を内包している。

エコロジーの起源

科学で偽装したエコロジーは先験的主観性が決定的に不足している。
エコロジーの起源は、
ダーウィン一派の適者生存説を推進していた動物分類学の権威ヘッケルにより、
生物学の一専門分野として創設されたにすぎない。

直観はつねに先験的主観性を誘導する。
互いに離れていても。

人口と地球温暖化

科学的な計画や見解は、政治的な計画以上に
つねに、圧制の戦略や手段になる。

人口と地球温暖化を減少させる以外に
エコロジーは存続できないという科学的見解のもとで
たとえば原子力は税金によって開発されてきた。

雲と泥の差異

シナジェティクスモデルによって
必然的に要請されるのは、
真理のみが支配する自由な思考の領域(=ドメイン)
の初期設定である。

その領域でのみ真理を検証する観察方法が、
そのまま事物を支配する眼差しに変換される過程にこそ、
機能が排除された建築構造などの形態模型(form)の意味作用とは
雲泥の差が形成されるのである。

例えば、シナジェティクスモデルには
浮遊する最小限の構造モデル(=カーボン製パイプからなる直径60㎝の共鳴型テンセグリティ)
さえ制作可能である。

移動する構造体

建築構造に関しても
これまで考えられたことよりも
考えなかったことの方が圧倒的に多いのは
自然からその構造が破壊される毎に
より太く、重く、高価にして強化しただけだったからだろう。

より軽く、安価にするテクノロジーは
より高速で移動する構造体に採用されただけである。

貧困への統制力

政府開発援助(ODA)による貧困救済の贈与形態は
貧困化とテロの一原因であり、
あらゆる生産的で加速度的な富を超国家的企業による搾取によって
その富の格差、そして、
テクノロジーの固定化(主にダム建設などのインフラ整備)と拡散をもたらす。

こうようなIMF体制が得意とする贈与による統治は
みえない軍事力と緩慢な死(人口統制力)を強化している。

食料、エネルギー、シェルターへの
自立した生産力の加速度的な富は
つねに見せかけに終わる。