カテゴリー別アーカイブ: コスモグラフィー

量子化 vs. 規格化

真のモジュールは、統合された他との互換性を備えた
システムの<有限な分割方法>としてデザインされる。

産業界の標準化された生産方式や製品管理の過程で採用される
<規格的な存在>としではなく、
宇宙は、原子や分子や量子飛躍におけるエネルギー量において
モジュールによる単位化(=量子化)を採用している。

それらは、教育と労働の場における強制権を行使するための<規格化>とは異質であるが、
それゆえに、いまや健康権を行使するために身体と病気さえも
<規格化>で統一されようとしている。
<規格化>は原因と結果の相互関係を、統計学的に歪曲し破壊できる。
視聴率や支持率の概念なども民主化を偽装するための規格化に成功している。

<規格的な存在>は、統合された他との互換性と変換性をしばしば破壊するための
権力テクノロジーの絶え間ない浸透力を形成する。

<規格的な存在>は、真のモジュールと決定的に異なる<分割の無限性>に
その存在理由を自ら規定することによって、
<分割の無限性>を、放射エネルギーで補填し続けているのである。

続4)デザインサイエンスの課題

つねに自然は一つでありながら
メタフィジックスとフィジックスの異なる階層に対して
シナジー現象を引き出す課題に、
絶えず挑戦するデザインサイエンティストが、
固有の経験を秩序づけ、自ら変容していく過程でそれらを解決できる場合は、
惑星地球での他者のより有利な生存条件とその方法を拡大する目的で、
群れから遊離し、孤立して、
なおも<思考を声にする>単独者に限られる。

それは、非人格的なコスミックな遠隔操作なのだ。

続2)デザインサイエンスの課題

純粋な構造システムの実験は
バックミンスター・フラーの時代に、
十分にそして、ほぼ完璧に追求されている。
しかし、彼は<複数の卵を一つの巣>に生まなかった。

実際、その実験は300例を超えていたのを、
私は、フラーの全クロノファイルのアーカイブを
2ヶ月間かけて閲覧して確認した。

フラーの絶えず変容する構造実験によって、
編集されて生成されるタグ(=複数の巣の互いに異なった名前)と
それらを包含するアーカイブが
フラーの死と共に閉じてしまったがゆえに、
クロノファイルに眠る、それらのまだ接続できていない情報群に
新たな秩序を与えられるデザインサイエンティストは、
現在のフラー研究所には不在である。

研究し、開発し、プロトタイプを生成しない
アーカイブ内部に精通した情報探査方法から、
どんな卵という動的な<フィジックス>は生まれない。

デザインサイエンスの課題

素材の変革は、イノベーションの専門家が夢中になるだろう。
形態の革命は、投資家をうっとりさせるためのデザイナーの手段になるだろう。

それゆえに、人々の生活を短時間に、少ない時間とエネルギーコストによって
豊かにするデザインサイエンスは、つねに不在であった。

包括的なデザインサイエンティストにとって、デザインサイエンスの課題とは、
物理的状況に制限されていながらも、対応可能な問いかけとして繰り返し現れる時に、
それらの困難さに挑戦するためのマインドの独自な反応であるが、
その局所的な差異において、つねに矛盾していると思われる課題である。

数学的に、物理的に、経済的に、
そして、しばしば、概念的に、哲学的に。

異質な二つ(twoness)

互いに対立し、最終的に一方が他方を打ち負かすために、
互いに異質な二つの相互関係(twoness)は、
イデオロギーの場合、意図して作られた<現実(リアリティ)>だった。
これ以上の幻想は存在しないにちがいない。

宇宙では、互いに対立し、互いに異質な存在は、
相補的に統合されている。

電子と陽子からなる原子核構造や、
張力と圧縮力からなるテンセグリティ構造など、
互いに異なる非鏡像的な異質な二つ(twoness)から形成されている
その例外がない現実から、日々の生存が始まる。

分離した異質な二つ(twoness)は、
互いに対立する方法ではなく、受容し統合する方法の始まりなのである。

反・独創性

違いを求める思考の個性化(Think different)から
独創性(オリジナリティ)を求める方法がある。
独創性を賛美する消費者によって。

個性化は、個性を自負したい人々が
独創性を去勢するための選択肢である。

独創性は、創造性とは異なる。
独創性は、人間が人間を超えたい時に、
真の創造性の存在を排除し、
独創性を所有させる一時的なイリュージョンなのだ。

創造性は、宇宙に属する永遠のテクノロジーだ。
人間が人間になる前の。

システムの優位性

都市での労働や健康という概念、コストと耐久性との対比、国家が定義する耐震性、
そして食料とエネルギーを貨幣で買う経済システムの優位性の否定から
始めなければならない。

銀河系での惑星地球システムの希有な優位性と
バイオシェルター内部での
植物の光合成によるエネルギー経済が忘れられているなら
モバイルテンセグリティの現実的な居住空間は存続しない。

受動性について

自然はテクノロジーである。
テクノロジーとは、自然自らの受動性の否定である。

シナジェティクスは、受動性の否定から始まる。
それがモデリングである。
モデリングのプロセスに、自然の原理を潜ませているのは、
自然のテクノロジーの特徴でもある。

シナジェティクスにおける<見立て>について

<見立て>は、対象の在り方を変位または転位させ、
実在から引き離す魅力を思い描く行為である。
優れた<見立て>によって、物理的な<現象>はしばしば遅れてやってくる。

一方、構造とパターンの機能は、視覚的・形態的な現象としての<見立て>を予め形成させると共に、
<見立て>に新たな<現象>への現実化への方法と数学的な意味を与えるところにある。

構造とパターンは、ついに<見立て>と<現象>を相互に消去する相補的な力を備えている。

構造とパターンは、メタフィジックスの階層に銀河系のように渦巻いている。

デフォルト

シナジェティクスの重要性は、
発見されたモデル(model)について物理学・化学的・生物的言語を適用できるだけではなく、
深い主観的主体性を与えながら、<モデル(model)と形態(form)>とを
新たな機能によって区別できることにある。

見る行為と言語による表出行為とに共通な構造があるからだ。

人間の視神経の束は、他の神経系に比べれば巨大だが、
その視覚によって伝達された情報の解析は、ほとんど言語によって与えられている。

シナジェティクスは、
見るための言語を作り出すシステムのデフォルトを最初に破壊(リセット)する。

<かけがいのない自然>は、権力構造の見せかけの記号にすぎない。
その見せかけの記号を自然のデフォルトと置換(掛け替えられる)するために
シナジェティクスは存在する。

続)海の指矩師(さしがねし)

シナジェティクスは、
海に浮遊して生存可能なテクノロジーから
大気圏を自在に移動し、しばしば浮遊して生存するために
ついに動力学的な幾何学システムを発見した。
(過去の幾何学大系に基づいた図学は
対象に従属しすぎていて、じつに静止的な世界観に幽閉されている。
例えば、神聖幾何学から新たな神秘は生まれない。)

動力学的幾何学から派生した
モデル言語は、好奇心と動機によって、至る処で自在に発生する。

移動するための新しい道具には、
その道具毎に新しいモデル言語が発生する。

海の指矩師(さしがねし)

日本の川船は、
異なる川毎に、そして異なる流域毎に、
異なる船体のデザインが存在する。
アジア全域がそうだったに違いない。

船大工は、現地調達の素材と多様な川に適応した道具を作るために
海からやってきた派遣技術者である。
地産地消のような定住のための閉じた社会からではなかった。

優れた船大工は、図学を持たなかったが、指矩(さしがね)を使う。
彼らは三角関数の達人である。
そして、船体の傾斜などの組み合う長さを計算できるデザイナーだ。

アジアで、かつて移動し生存するための道具を作る民が
その技術を学ぶための学校を作らなかったのは
聞いて出来ること、見て出来ることは僅かだったからに違いない。

%e5%b7%9d%e8%88%b9
☆船底や船腹の平板材の相互結合に、接着材をまったく使用しない防水方法がある。

続)声に出して考える<Think Out Loud>時、

<Think Out Loud>とは、
考えていたこと、あるいは考えていることを声に出すのではなく、
声を出しながら考えるプロセスである。

この声に出しながら考える行為は、
思考して描くよりも、
描きながら思考するよりも、
プリミティブな言語(前駆体)に到達する。

他者性なくしてどんな思考も、そして言語も存在しない。

名辞以前を捉える自己のテクノロジーの生成方法は、
シナジェティクスのモデル言語の生成方法に近いかもしれない。

声に出して考える<Think Out Loud>時、

シナジェティクスが、デザインサイエンスから生まれる時、
デザインサイエンスが、シナジェティクスから生まれる相補的な領域が存在する。

しかし、原理の発見なきシナジェティクスは、
構造の発見なきデザインサイエンスと互いに結合されやすい分断領域を形成する。
(新たな分断と分割の無限性は学際的と呼ばれてきた)

バックミンスター・フラーなき時代に、
先進的なテクノロジーが加速度的に誕生したが
シナジェティクスなきデザインサイエンス、
デザインサイエンスなきシナジェティクスが
加速度的に継承されるのは何故か。

自己のテクノロジーによるデザインサイエンス戦略の開示と
シナジェティクス思考による自己放棄との間には、分断以上の明らかな絶縁が存在する。

記号のテクノロジーや科学的テクノロジーを変えても、
自己のテクノロジーなき動機(=know why)はそのままだ。

異なる二つの作用の絶縁を、埋め合わせるのは
<思考を声にする=Thinking Out Loud>行為である。
このプリミティブな現実的な波動こそは、
その絶縁状態にメタフィジカルな相互作用と統合作用をもたらす。

絶えず再考する自己のテクノロジー

個性や知識、そして観察から真理は見えない。
真理は、自己のテクノロジーを媒介して電磁的に誘導される。

自己のテクノロジーの変容を体認する領域は、
<頭脳>から<マインド>へ移動したのだ。

自己のテクノロジーは
自己を孤立させるものによって
自己を含むすべてと結びついていく領域と接続し、それを拡張する。

類としての矯正や
適者生存のための虐殺、そして、
最適化する個性を拒むために、
他の天体から移動してきた時から。

臍を噛むのか、それとも臍を組むのか

爬虫類、鳥類を含む胚膜類には、
母体から栄養素や酸素、水分の供給を受けていた管の痕跡として
すべて臍(へそ)がある。

植物の種子においても、
水は種子の表面全体から吸われるのではなく,胚の付近の胎座についていた器官(へそ=hilum)から入っていく。

生命を次世代に接続するための惑星地球での包括的なデザインがある。

木材・石材などを相互に接合する場合、
一方の材にあけた穴にはめこむために他方の材の一端につくる
非生命的な突起物も、臍(ほぞ)と呼ばれる。
つまり、へそとほぞは、古代アジアから、同じ<臍>で表されてきた。

モバイル・テンセグリティシェルター(=Off grid floating shelter)にも
臍(ほぞ)が頻繁に使用される。
もっとも経済的な宇宙的な相互結合方法に違いないからだ。

自己同一性(モジュール化)

構造は、圧縮力よりもはるかに張力によって制御され
張力は、その圧縮力によって個性づけられる相互関係を形成する。

それによって、圧縮材のみが外力に対抗する段階が完全に消失する。

圧縮材と張力材のそれぞれの自己同型性(モジュール化)は、
構造の統合力の現れであり、その物質的手段なのだ。

構造のモジュール化を形成するのは、
対称性に関わる数学であり、エンジニアリングである。
つまり、シナジェティクスへと接近する。


レゴ(=LEGO)は、物質構造のモジュール化に失敗したもっとも貧弱な自己同一性の教材である。)

ローカライゼーション(地域化 localization)

個性は、民主主義よりもはるかに権力によって制御され、
教育は、その権力の構造によってローカライズされる。

個性化が独創性を加速する方法ではない。
個性による職業的な同一性は、
その手段であり、権力の作用効果である。

soratobu-1-thumb-500x333-11
☆ペンギンの翼は、自然の個性化を果たしている。yk

泉;もう一つの<現実>

人類の遺伝子レベルには、直接に生計を立てる方法は先験的に備わっていなかった。
しかし、生計を立てたいという個人的欲望から、
銀河系で人類が生存可能な発見や発明が生まれないようにデザインされていた。

もう一つの<現実>から湧き出てくる原理群には、
支配的な集団によって社会に提示される概念のような
計画的陳腐化が発生しない事実に、
イデオロギー革命は言及しなかった。

発明や人為的なエンジニアリングによるアーティファクト革命は、
社会的な現状を支える政治経済の強い流れに逆らう行為ではなく、
支配的な集団的社とは別に実在する<現実の泉>に到達し、
重さのない原理群の発見から派生した結果である。

それらの発見を支える誰の許可も必要としない概念は、
支配的な集団によって、個人から除外され続けてきた。

同時的・非同時的銀河宇宙に巡らされた包括的知性に到達するためのアイコン(icon)は、
私のデスクトップ上だけではなく、アイコンで操作されるインターフェースによって、
アイコン(icon)を不要とする物質化(=原型化)の段階にある。

銀河新年2017 元旦
シナジェティクス研究所 スタジオにて

<個人>の概念

<個人>の概念によって、単純で強い自己愛に包まれたまま静止している習慣を
自己の外から見ることは困難だ。
<原子>にもさらなる内部構造がある実験の方法が一世紀前に存在したように、
<個人>にもならなる内部構造があることを示す思考実験の方法は存在する。

そして、民主主義政治システムの中の<個人>の概念は、
何者であるかを見出すための幻想に満ちた矯正手段であることが認識されるだろう。

こうした凡庸な才能の形成と同時進行する政治システムの形成には、
何者かであることを拒む思考はまだまったく関与していない。
<個人>は矯正されつづけ、ほぼ職業と一体化してしまったのである。

<個人>の概念は、<宇宙の階層構造>を隠蔽するために発明された。
可能な限り深く、そして広い範囲で暴き出す先験的な<宇宙の階層構造>を。

回転軸保存性

構造を発見するということは、
これまでの構造を支えた概念に到達するための現実的な破壊と解体、
まったく別な次元へ転換、予測を超えた段階に到るような何か(=プリセッション)を
経験することを意味している。
——原子核の発見が電子の発見から転換されたように。

軸回転するものは他の軸回転するものへ距離を隔てて影響を与える
宇宙の存在形式がある。
そして、このプリセッションが思考の構造までも変革することが
まだ社会全体には到達していなのである。

unknown entity

記憶力による知識は、他者の知識に依存する。
実験と経験によって獲得される知識は、時折、思考方法を変革する。
その思考方法で捉えられない主観的認識は、直観から始まる。

思考や感覚に頼らないで観る領域は、しばしば可視化され、
その領域(unknown entity)は、
観ることによって接近し、拡張される。

絶対的モデル

古典幾何学から新たなアインシュタインの世界像によって
転位し、離脱したシナジェティクスは、
現代数学のように視覚化から遊離することなく、
やがてそれまで決して名辞されたことのない現象、
あるいは古典幾何学の概念の牢獄に幽閉されていた思考方法を、
ついに数学的に再現可能な絶対的モデルによって
実証するという世界認識に至る。

その尽きることのない無限とも思える絶対的モデルの発見とその方法こそ、
観察以前の主観的認識から形成された
コスモグラフィーの階層的序列化に属するのである。

鳥インフルエンザ・ウイルス

人間が家畜として飼育し、経済的価値をもたらす動物には
高い確率で彼らにも人間にも致命的な病気が発生する。

人為的な環境がウイルスの遺伝子の変化を加速させ、
高病原性を獲得するシステムがある。

基本的にインフルエンザ・ウイルスは、
構造の経済的価値をもたらす正20面体の5回対称性を維持している。

人為的な環境は、明らかに生物宇宙と相互作用している。
それらは、宇宙エコロジーの一部である。

大多数の人間が、自らの生命維持のためにタンパク質を動物から得るのは、
それほど科学的ではない。

%e9%b3%a5%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%ab%e3%82%a8%e3%83%b3%e3%82%b6%e3%82%a6%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%82%b9

1927年

バックミンスター・フラーが球状テンセグリティを発見した時、
構造的方法(シンタックス)と意味的な分析(セマンティクス)との分裂と
その長い分離の歴史から、自然に潜む純粋な構造の概念を
科学的・数学的に定義した。

<連続した一つの海に浮かぶ島々としての大地>を想起させる<流体地理学>による
包括的な認識方法の起源は、1927年に創始されたシナジェティクスにある。

テンセグリティは、構成要素としての<棒と紐>から始まらない。
水が、酸素と水素との構成要素的な結合から
300種以上水の化学的機能が予測できないように。

計画的偶然(precession)

シナジェティクスは、経験の意味を捉え直すための
新たな経験を求める操作主義のようにふるまう。

私という主体的経験が、<超越論的機能>において、
経験と意味作用を繰り返される現実のモデリング過程に於いて
単独者としてモデル言語を生成することで
宇宙の原理の存在を再発見するために、
新たな経験を求めている。

しかし、その目的意識自体によって
偶然性に潜む発見のチャンスは
ことごとく破壊される結果に終わるにちがいない。

にもかかわらず、ついに<計画的偶然(precession)>が訪れるという経験は
絶えず新たな経験から学ぶしかないのである。

この超越論的機能は、予めデザインされている。

観察力

思考形式も、身体の環境から、身体の表面で、そして内部で、
外部化作用によって生み出される。
圧縮力が、構造の表面、そして内部で、重力作用によって生み出されるように。

その外部化作用は、まず義務教育課程で、
徹底的に監督・監視する教師によって行使される。
その教育課程外でも、
10歳までに首尾良く訓練され矯正される味覚と食欲の研究は
無数のマクドナルドで実証されている。

しかし、マクドナルドで教育されたこどもは
優れた料理人は成り得ないという研究はけっして為されない。

抜け目ない権力の外部化作用によって
徹底的に思考形式の生産・再生装置に束縛されていることに
驚くことさえできない段階に到達したのだろうか。

太陽系生命が、<一粒万倍>の
内部化するシナジェティクスに支えられている現実を識る方法は
訓練され矯正された観察力から生まれない。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為

原子よりも小さな粒子説から生まれた電子という概念化は、
実在する電子を証明するための実験装置化よりも先んじていたが、
この方法が核物理学の始まりではない。

真空中でフイラメントを加熱すると陰極線が出る現象を
どのように言語化できるのか、から始まったのである。
そして、最初に粒子の進行方向に直角に電界をかけると
その進行方向が変化するという概念が実験装置よりも先行して発見される。

それまで決して言語化されたことのない概念、
あるいは馴染んだ語の襞の中に眠っていた領域を、
ついに機能を有する物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為には
原理の発見に伴う真理の生産と流通のプロセスの全域が反映される。

それ以外の方法と経験からシナジェティクスが、
社会システムが維持する表現や信念にまでに変換されることはないだろう。

物理的なモデルの発見に先んじて概念化する行為は直観に属するが、
教育プログラムから直観を使う包括的科学的方法は完全に除外されている。
(科学者はその経験と方法を論文から除外するシステムに生きている。)

直観はしばしば神秘的体験を含むからである。

ジオデシック理論批判ー数学的自然の形成

総三角形構造化への試行錯誤の枯渇化という現在の傾向として
その原因をフラーのジオデシック理論による
優れた汎用性に到達した総三角形化のテクノロジーと
それを実証する半世紀を超えた歴史がある。

この先行技術を突破してより有利なテクノロジーを発見する無数の試みは
力学的構造の経済的な有利性において
ジオデシック理論を超えることは不可能と思われてきた。

私もまた無数の試みから、
ジオデシック理論を超える有利性を物理的に証明するシナジェティクスモデルを発見するまで
ジオデシック理論そのものが総三角形化のための
過渡期的で人為的な数学的理論に他ならないという
<宇宙形態論(cosmograhpy)>的な視点を発見し、
そして時間に腐食しない数学的自然を形成しなければならなかった。

ジオデシック構造を超えるための純粋数学の物理的変換に挑戦したその第1プロトタイプは、
力学的構造の経済的な有利性ばかりではなく。、
ユーザにとって最大の経済性とモバイル性を実現するだろう。

ジオデシック理論批判は、
これからも学的党派性を超えたバックミンスター・フラー派の
シナジェティクスによって推進される。

共鳴型テンセグリティ

建築構造は、自立するために大地に依存しながら
外部エネルギーとひたすら闘うという設計方法を変えない。
故に、風雨や積雪に耐えても、振動し移動する大地の巨大なエネルギーと闘う方法を持たない。
したがって、倒壊した建物で人が圧死する構造を、人々は非科学的構造とは考えてない。
(家電やコンピュータの漸進的変化に比べて、
住宅や都市の構造の変化がきわめて緩慢なのは
建物が高価すぎるからである。)

外部のどんなエネルギーも享受する機能によって
自己を構成する要素間の共振(または共鳴)状態に変換するかぎり、
構造は自己充足する自律性を獲得する。

いいかえれば、外部からのエネルギーが構造を通過する過程で
そのエネルギーはその構造をより強化するのである。

自立のために大地の振動エネルギーさえも利用できる構造は、
テンセグリティ構造以外には存在しない。

テンセグリティ構造は発見された宇宙の構造原理である。

共鳴型テンセグリティ構造は、地表のどこにでも着陸可能な宇宙船である。
その宇宙船内部では植物の光合成を利用できる。

植物というエネルギーを自律生産するモバイル・テクノロジーと融合することは
現在の都市や住宅よりもはるかに科学的で自然である。

表層的で付加的な作用

総三角形化に関しては大円理論によってジオデシック構造が発見され、
張力に関しては、不連続と連続との統合理論によってテンセグリティ構造が発見され、
表面というものが表層的で付加的な作用にすぎないこと、
そして、建築を支配する人為的な記号システムを横断し、
人類の誕生以前にあって、時間と空間の中で生命を支えているのが
<構造システム>であるのを明かしたと同時に、
それまでは、<構造システム>という概念が
科学的には存在していなかったことが、1950年代には明確に認識されていた。

社会は、真実との驚くべきタイムラグに囲まれている。
インターネットで認識の同時性を獲得するのはまだ幻想に近い。

——欲望が表層的で付加的な作用に向けられているかぎり。

流体地理学

宇宙論的な視野が誘導する地球を外部から見る行為が
1940年代のダイマクションマップの開発の根拠となる<流体地理学>
(=一つの海に浮かぶ島々という流体の連続性)を形成した。

この宇宙論的な視野が、その後のグローバリズムの理念にとって替わったのは
超国家的権力構造によって、遠隔から支配する軍隊と基地、そして
高性能な小型武器の開発が最優先されたからに他ならない。

自然と出会うためのテクノロジーが
人間の居住可能な場を生み出すはずだが
極地における居住可能な場のほとんどは、軍事テクノロジーによって形成されてきた。

同時に、バックミンスター・フラーによって創始された<流体地理学>は、
流動する大地を前提にしたモバイルテンセグリティという
最小限の移動可能な極地用の構造デザインと融合したのである。


『宇宙エコロジー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 2004)
第7章 <流体地理学の誕生>自己エコロジーのための全方位カメラ(ジオスコープ)参照

稀少性

贈与経済学者は死んでしまった。
その構造を研究する哲学者もいない。

絶えず稀少性を独占する経済システムは、
有限な資源とエネルギーという不活性的で非再生的な自らのシステムによって
人類の生命を危険に晒す。
そして、稀少性は戦争機械のエネルギーである。

真の稀少性とその神秘は、
宇宙の元素の存在度とその分布パターンにしたがって再生される
物質と生命の相互作用に備わっている。

ユーティリティとエンジニアリングと、 そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるもの

シナジェティクス的思考の黎明さは
20世紀を代表するヨーロッパの哲学者や
アメリカ国内の数学者たちの言及を遠ざけるほど
独創的であった。

見失った思考体験をそこに再現するためではなく、
モデル言語の様々な可能性に近づけるための原型的思考方法を
バックミンスター・フラーが開示したのは
1940年代である。

テンセグリティ・ジオデシックスから
派生する種々のユーティリティとエンジニアリングと、
そしてシナジェティクスとの空隙を埋めるのは
幾何学にはない原型的思考である。

ジオデシックス理論よりも前に
テンセグリティ原理を発見した
非論理性と論理性から未知の領域を侵犯するフラーの思考の黎明さは、
現在の教育システムや幾何学的党派性からは
けっして複製し再生されないように企てられたのではない。

それは素晴らしい言語の機能ではないだろうか。
宇宙の結合と解離の不変的システムを理解し、再生するために
発見された言語の特性なのだ。

起源論的思考

シナジェティクスにおける起源論的思考は、
幾何学にはない。

批判であると同時に存在論的であるような、
形態と数字の相互作用から
思考形式に及ぶ本質的な探査は、
ギリシア幾何学を起原としない。

驚くことに、この起源論的思考は
アインシュタインに始まる操作主義的な哲学的系譜として
『コスモグラフィー』(バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳 白揚社)まで考察されなかった。

反・人工物

シナジェティクスは、
新しい幾何学の<啓蒙>の手段でもなく、
宇宙のシナジー現象を無料で模倣しながらも
教師たちの知の独占意欲をかき立てる
プロパガンダ用アイテムの宝庫でもない。

多面体愛好者たちのプロパガンダ用教材が
シナジェティクスのモデル言語を翻訳したことがない。
それらの<多面体>という概念自体が、
ギリシア時代の大理石の加工技術から形成された<固体>概念による
認識方法とその限界を表している。

固体的多面体の世界観は、バックミンスター・フラーレーンの
構造的安定性を証明できなかった。

シナジェティクスは、すべての教育的な<啓蒙>を批判し、
<概念の牢獄>から脱出するための爆破または離脱システムなのだ。

このシステムは、人間がデザインする人工物ではない。
 

環境デザインの秘法

アルチュール・ランボーの詩を
学校で学ぶことを拒否できるように
シナジェティクスを学校で学ぶことを拒否できる。
まちがった刷り込みを拒む自由は
重要な自己のテクノロジーである。

なぜなら、シナジェティクスをマスターした人は
けっして現在の学校の教師にはならないからだ。

階層構造

シナジェティクスにおいては、可視的な形態と不可視の概念との関係が
それまでの構造を革命的に変えてしまった。

この構造的変化(シンタックス)のため、言葉と観察方法に対して、
今まで到達不可能であったモデル言語が誘導され、転位し、さらに翻訳され
遂に数字と形態の間に新しい相互関係が発見され
階層的な序列構造が露わになった。

それは幾何学とはほど遠い領域(=『コスモグラフィー』)である。

コスモグラフィー(=シナジェティクス原論)再考

シナジェティクスに対してある距離を置いて
デザインサイエンス・プロダクトでフラーの概念を複製するような関係を求めている人々、
つまり、バックミンスター・フラーに距離を置いて複製するだけの人々に、
発見されるシナジェティクス言語のモデル化の収穫の経験がないまま
シナジェティクスを直接的に探究する代わりに、それについて語るばかりか、
デザインサイエンスについて批評する人々に、
コスモグラフィー(=宇宙形態論)は期待できない。

コスモグラフィーなきシェルターに、物理的な有用性も概念の永続性もない。

シナジーの分析方法とその過程

シナジーの分析は、観察者の外部で、観察者への境界を確定する。

観察者に近接しながら観察者の現在性とは異質な存在として、
観察者の局所性を包含し、時間の外縁で、
宇宙の先験性と共に発見される。

シナジーの分析方法とその過程こそ
シナジーの発見者の特権である。

モデル言語生成の<場>

先験的なモデル言語の生成は、こどもが得意だ。

言語の生成過程を加速する触媒作用のための<場>以外に
何の目的が学校にあるのだろうか。

学校と教師とPTA(それらを受容する不動産としての建築物)は、
陳腐化した産業社会で作られた知識によって
作動してきた人工物の一つである。

こどもの直観は、陳腐化しないようにデザインされている。

全体性

シナジーとは、その全体性を記述することも
その現在性を回避することも不可能な原理である。

しかし、人類の言語は、
太陽系から細胞に至るまでシナジーには不向きだ。

だからこそ、モデル言語が発見されてきた。

絶対的視点

シナジェティクスモデルを作成するのは
絶対的視点、第3者が再現可能な視点を発見するためではない。
自己との対話の過程を外部から見るためだ。

絶対的視点は、自己を排除した観察者からは生まれない。
絶対的視点は、つねに発見された概念から生まれる。

絶対的視点は、メタフィジックスに属する。

生活水準(=自分以外の環境)

バックミンスター・フラーが、『クリティカル・パス』において
真理を語ることによって、自分と権力構造との関係を危険に晒し、
自分の生存さえも危険に晒す書だったのは
彼が死を意識しはじめた最晩年(1981年)を待って書き記したという事実にある。

宇宙の構造と世界権力構造との違いについて
発見され経験された事実を語られる読者は、遂に宇宙の物質間におけるフラーレーンのような
反権力的構造(=大地から自立し重力から離脱するテンセグリティ構造)としての
真理を受け入れなければならないだろう。
ーーーーーー反・超専門分化として機能する宇宙の「部分からは推測できない全体のシステムの働き」は
まだ到底社会構造には反映されていないという事実と共に。

実際、より多くの学生たちは、より専門分化された学問と職業を追い求めている。
ーーーーその動機がより高い生活水準(=自分以外の環境)ではなく
より高い収入(富による自分だけの環境)を求めるためだとしたら、
そのシステムの致命的な矛盾を生きる
反超専門分化としての包括的な人間形成はなくなるだろう。

アイデアとその独自性

独自なアイデアを発見する行為は、
宇宙のなかの人間としての尊厳と
既知となった思考方法の模倣への羞恥心を呼び覚ますことで、
自己を外から見る役割を演じる以上に、
アイデアはアイデアの発見という概念によって、
アイデアの独自性は否定されるのである。

自然

自己による自己と宇宙との相互関係における
「自己探査」なしには、自己のテクノロジーは体認できない。

自然には、自己のテクノロジーと宇宙との関係が含まれている。