月別アーカイブ: 2006年10月

私事と仕事

日記を覗いている気持ちにさせるのがブログのデフォルトになっている。
私語を私事にしているブログは多いのはなぜだろうか。

主観性と私語との違いは仕事と職業との違いに似ている。

人間の仕事は無数にある。

仕事が職業で実現できないように、主観性は私語には宿らない。

しかし、私語にはピジンとして生きるうえの、新しい有用な言語となる唯一の可能性がある。
可能性ゆえに、ほとんどの私語は死語であり、死後の恐れに満ちている。  Y.K

除湿と加湿

山頂付近の生活には、除湿しなければならないほど過剰な水分が建物を覆う。
局所的な除湿は太陽エネルギーを電気に変換すればできるが乾燥しすぎた砂漠では、過剰な太陽エネルギーを電気エネルギーに変換しても加湿には水が必要である。
太陽光パネルに対して、これは対称的ではない。  Y.K

失われた香り

稲も小麦もトウモロコシも雑草から選別された栽培の歴史をもっている。
それ故に、雑草と共に成長した植物は独特の香りを1世代で取り戻す。
この香りは、バイオスフィアの大気圏ではありふれた風として循環していたに違いない。

風の記憶が季節を呼び戻し、収穫をもたらす時代を生きた人たちは香りで目覚め、そして眠ることができた。

風のない場所ではいま、眠る前にインターネットと安定剤が常用されている。  Y.K

雑用

誰でも、雑用は嫌いである。
しかし、雑用のない仕事は存在しない。
すばらしいと感じる仕事の90%は雑用から成り立っている。

水素の核融合反応によって、2つの水素原子からヘリウムが生成され、そのヘリウムから炭素、窒素、酸素が生成される。水素原子はこの二つの核融合反応を起こす担い手であり、宇宙全体の活動に深く関わりがあるのは、質量では宇宙全体の55%を占め、宇宙で有限な原子数の90%以上を占めているからである。
水素は、宇宙で最も豊富な元素ゆえに、宇宙の雑用をこなしている。

ありふれた雑用は、個人の統合的な仕事に深く関与している。
個人が宇宙全体の活動に深く関わろうとする場合、分類不可能な「環境の準備」として加速度的な雑用の増加が現れる。  Y.K

雑草

自然農に、雑草という概念は存在しない。
雑草は、農薬会社が捏造した疑似生物学的カテゴリーである。

その概念を日々利用している堕落したユーザが、
食べ物に少量の毒を入れる習慣から、
農薬効果を消毒作用と見立てているのは当然かもしれない。  Y.K

古代米

第4次世界大戦はどこで勃発するかわからない。
しかし、第1次宇宙戦争なら始まっている。
衛星インターネットで無農薬の古代米を世界中に販売している若き自然農民が仕掛ける、雑草と共に発芽させるだけのシントロピー戦争しか残されていないのだ。

彼らは遊牧性を理解しない不耕作農民ではない。
モバイル・テンセグリティドームを携え、球面幾何学の閉じた有限な空間をナビゲートできる海の民だ。  Y.K

農業型モバイル・テクノロジー

耕作と農薬からの自由(つまり、不耕作と無農薬)こそ、農民の最後の生存のためのテクノロジーである。これは、デザインサイエンスの無線、無管、無柱のモバイル・テクノロジーに相当する。

椎葉村の焼き畑移動農法に見られる農業型モバイル・テクノロジーの原型は、不耕作と無農薬である。70年代まで村人の植物の知識は、植物学者も及ばなかった。椎葉村では、名前のない植物は存在しない。
耕作と農薬は、雑草ではなく農民から植物の知識を根絶させたのである。  Y.K

カリフォルニア・デザインサイエンス

農業を包括した70年代のバックミンスター・フラーのデザインサイエンスが、
カリフォルニアで存続できなかったのは、森を伐採しすぎて、
淡水と大気中の水蒸気が不足していただけではなく、
法律がジオデシックドームとヒッピーを農村地域から追放したからである。
(後に残ったのは、機械化された大農場の管理人ぐらいである。そこには実際、あの「名犬ラッシー」が番犬としているのだ。)  Y.K

テンセグリティ教育

バックミンスター・フラーのことはわからないけど、テンセグリティのことは自発的に理解しようとする人たちとワークショップを始めた。これはフラーが望んでいたことだ。

あらゆる教育システムに対してアンチテーゼを突きつけた非連続の連続する真の原子核モデルは、半世紀もの懐胎期間を経て、動き出した。
動くものが動くものに作用する動的な宇宙観の理解は、全方位に関連する。  Y.K