月別アーカイブ: 2007年5月

老化現象

赤ん坊は九ヶ月かけて生きる準備を整える。
大人になって、生きるために九ヶ月もかけて準備するような仕事が
見あたらない場合、人間は年齢に関係なく、
確実に老いるようにデザインされている。
これは給料を貰っている仕事とは無関係だ。       Y.K

擬人化

世の中を甘く見てはいけない視点からは、
人類以外だれもお金のために働いていないシステムは、
とうてい説明できないだろう。

自然に抱擁され、恩恵を受けながらも
あまりにも未知で曖昧な存在ゆえに、
地球に優しく、などと
思わず擬人化せざるを得ない。
神を擬人化してきたように。

世の中を甘く見ればみるほど、
もう一つの封印されたエコロジー的現実に遭遇する。

畑や田んぼのほとんどの雑草を抜く必要がないにもかかわらず、
それをまっとうに実践できる農民は皆無だ。
自然農は、現実をより甘くみるための
農民がもっとも苦手とするテクノロジーだ。       Y.K

稀少生物データベース

<NPO法人 e・食・住.org>設立準備委員会(http://hibagun.net/)は、
神之瀬峡 自然ライブラリーのための稀少生物データベースプロジェクトを
立ち上げ、最近この1年間のライブラリーなどを公開した。
http://kishosei.net/
(農林水産省の都市と農村の交流をテーマにした、
平成18年度農村景観・自然環境保全再生パイロット事業に採択された。)

この委員会のすべてのメンバーは、互いに遠隔地に住んでいる
IT技術者のアルチザンであるが、既製のリモート技術を統合して、
稀少生物保護のために携帯GSPを使ったWEBシステム開発をした。

稀少生物の保護には、信頼できるデータベースの長期的構築が最優先課題である。
このプロジェクトは、都市から農村への定住促進からは生まれない。
都市と農村の交流において、都市部に住むアルチザンの機能は不可欠である。
                                 Y.K

贈与

金を貯めるためには、金を稼がなければならない。
これは見たところ平均的で、伝統的な方法である。
金を使わないかぎり、金は貯まらないシステムを理解しなければならない。
だから、金は水のように大地を移動しているのである。
平均的な奴隷たちは、湯水のように金を使える人たちをよく噂する。

しかし、よくみれば、お金は大地だけではなく大気のように
国境を越えて移動している。
その間、物理的に蒸発させるもう一つのシステムがある。
これは、「金は天下の回りもの」とは異なっている機能である。
これこそが、もっとも効果的に稼ぐシステムであるが、
経済学が大気流動圏を学生に説明していないだけである。
その代表的な経済学が贈与経済学である。

世界経済の主流はいまや贈与経済である。
有り余るお金を誰に与えるかである。
換金できない国債は贈与そのものである。
70年代以後この経済学の研究が、経済学者たちに
禁じられたことは奴隷たちには知らされていない。
これも金をためる2番目の効果的な方法だ。

そして、お金は、あなたの財布にだけは、凝結しないように
デザインされている。
時間給が1000円を超えられない人たちは、
贈与経済学を学ばなければならない。     Y.K

  

知性

哲学者バックミンスター・フラーのような超モバイラーを考察すると、
知性は移動距離に比例すると思う。

私の父は、生まれた場所から半径500キロ以上移動したことがない。
しかし、私が生まれるまで、50回も引っ越しをしていたらしい。
知性は、引っ越しの回数にも比例する。
私は父から、科学的数学的工学的に共通するモデリングの基本を教わった。
インターネットがあれば、新聞もテレビもいらないが、
モデリングを知ることにはならない。       Y.K

「戸を出でずして天下を知り、窓をうかがわずして天道を見る。」老子
                  

格助詞

世に出る人もいれば、
世を出る人もいる。

日本語の格助詞は、
現実(ロイヤルとリアル)の異なる定義には
不可欠だ。

ところが、
宇宙に出る人はいない。
宇宙を出る人もいない。

はじめから宇宙にいるからだ。
にもかかわらず、
宇宙飛行士たちは、宇宙に出たがり、
若者たちは、世に出たがっている。
概念の牢獄が、格助詞の使い方でバレてしまうほど、
格助詞には素晴らしい機能が備わっている。    Y.K

sense or money

お金を選んだ人は、さらに学歴も身につけようとしている。
学歴は収入と比例するという考えは、センスではないことは確かだ。

私の直観と経験ではセンスかお金かを選ぶのは25歳あたりまでだ。
そして、senseもmoneyも同時に叶えられるのは、ギャンブル(株も含む)である。
ギャンブラーにはひらめきが必要だ。
才能あるギャンブラーにとって、
科学者や数学者になる確率は低すぎる上にお金も期待できななかった。

ところが、もっとも基本的なベクトルの選択を後回しした人の中から、
科学ではなく芸術を志す人が登場した。
senseもmoneyも同時に叶えられる幻想から、
芸術大学とその学生数は世界的に増え続けている。

                         Y.K

田植え

田植えの季節がやってきた。田植えの前にはトラクターで田んぼを平らにする代かきが行われる。
衛星写真をみても、海岸部はひどく汚染されている。
http://sweb.nctd.go.jp/senmon/shiryo/nougyou/j/j-1/j-1-2/j-1-2.html#(6)anchor(秋田県大潟村の稲作過程の様子を参照)
河川から海岸部への泥水の流出が色彩変化から確認できる。

田んぼを撹拌するだけではなく、
除草剤などの農薬によって、一挙に源流付近からの河川の汚染は加速する。
この時期の河川の浄化機能は死に瀕した状態に近い。悪臭の原因だ。
高性能な浄化機能を備えた水性動物や植物にとって、
もっとも過酷な環境となる。

泥水の流出がまったくない田植えの方法は、
『自然農への道』(川口由一著、創森社)によって確立されている。
代かきという行為が存在しないからである。
本来、田んぼの水はつねに、多様な生物によって浄化されて透明であり、
稲の成長によってもっとも効果的に浄化される。

トラクターは、森林を伐採した後の広大で平坦な小麦畑を耕作するためにつくられた機械であり、
水稲には、不適切で高価な道具である。
(その重量だけで田んぼのシステムは破壊されている。)

経済的で効果的な真のテクノロジーが、トラクターのように
お金では買う前から既にデザインされていることに
無知だった時代は終わろうとしている。
高価なトラクターは大地だけではなく、農家の家計までもほぼ破壊した後に
はじめてわかりかけてきたのである。

そして、もう一つわかりかけてきたのは、
農業を持続させる真のテクノロジーを理解できる人は、
農業を生活費を稼ぐ手段にした人々ではないという事実である。
言い訳ばかりで自らの思考を声にしない農業専門家たちは、
この半世紀間、裏山に黙々と杉を植林した人々である。     Y.K

限界集落

限界集落という概念が90年代に作られている。
跡継ぎの確保が困難で、農村共同体の機能を次世代に受け継ぐことが
困難になった状態を意味するらしい。

ならば、地球村の63億もの人口過剰な状態は、
跡継ぎが多すぎる場合の巨大な限界集落である。

限界集落の定義は、もう一つの現実を何も説明しない。
水のない川に橋をかけると公約する村の政治家のような虚しい社会学言語だ。

それゆえに、合併後も人口5万人以下の農村部の政治家と
その地域を担当するメディアがもっとも好む言葉の一つになっている。  Y.K

エコロジー的優遇

自然の工場に派遣された優秀な科学技術者(MBAを含む)か労働者として、
朝から休みなく働いたとしよう。

92種のモジュールですべての生成を
制御しているその工場において、
その結合と解離の素早い、無駄のない動きの一瞬たりとも
模倣することすらできないばらば、
派遣されたどんな優秀な技術者もせいぜい夕方までに
一方的に解雇され、
すべての求人広告は無駄に終わるだろう。

自然の工場では原理の発見者以外はリストラ(再構築)され、
元の無人工場に復帰するだろう。
しかし、原理の数は無限なので、その発見者たちだけは定年のない仕事で優遇される。

それは、もっともエコロジーであるにちがいない。    Y.K