月別アーカイブ: 2007年9月

マクドナルド派

ブッシュの地球温暖化対策を理由にした
バイオエネルギー戦略で
予測どおり輸入トウモロコシは高騰した。

以前、ある洗浄機システムの設計のために、
小中学校の給食の現場を調査したことがある。
驚くことに90%はつねに廃棄されていた。
給食を完食することはかっこ悪いことだった。
彼らはマクドナルド派なのだ。

残飯を排出しないために、
調理前の穀類を鶏や牛、そしてブタが食べれば、
調理エネルギーや輸送コストを削減できる。

さらに、田舎の大気汚染の元凶でもある
休耕田などの雑草を燃やすのを止め、
草食動物の飼料にすることは、
地球温暖化対策である。

間違った理由から、
つまり理解しないでも
人々は正しいことを選択している。   Y.K

オオカミを飼い慣らして犬にしたように、
オオカミは人間の赤ん坊を育てて、オオカミ人間にできる。
だが、お互いに変わり果てるのだ。

熊は人間を育てたりしない。
だからまだ森で生き延びている。 Y.K

夜空

天の川も見えるほどに、水蒸気は去っていた。
千キロも離れた台風によって雲の動きが反転して、
いつもになく、星がすばらしくきれいに輝いていた。

人工衛星よりも多く見える
流れ星に願いごとばかりしても
夜空もつまらないだろう。

夜となく昼となく降り注ぐ日々100トンの隕石は
私たちの脳には見えないだけだ。
 
夜がなくても星々は輝いている。    Y.K

消費者または徴兵要員

アメリカから脱出した超国家企業は、
産活動における資本の所有権と生産による所得の
60パーセント以上を所有することで支配している。

超国家企業は、人間のコミュニティを、
潜在的な顧客か消費者または徴兵要員だとしか考えていない。

日本国の憲法9条を変えたがっているのは、
自民党やアメリカ合衆国だけではない。

しかし、情報化時代といえども、
こうした超国家企業の過半数はまったく知られていない。
情報化に膨大な投資をしているのは彼らだからだ。   Y.K

反擬人化

3匹目として拾われたジョジョは、
赤ん坊のように切なく鳴く猫である。

猫が長い間人間に飼われて習得した
コミュニケーション技術なのだろうか。

擬人化は人間の想像力を介在したメタファーであるが、
猫の擬人化のテクノロジーかもしれない。

1000万年前からいる猫にない才能は
ずっと遅れて誕生したわれわれにもないならば、
ジョジョのように切なく鳴く物まねの達者な
人間の赤ん坊もいるはずだ。     Y.K

明室作業

毎週かつての暗室でフィルム現像を手伝っている。
視力と体力の衰えた彼には化学反応の管理が厳しい暗室作業が
もはや困難となったからであるが、
最近のデジタル技術では暗室は不要だ。
このあたらしい明室作業(Light Room)は、彼を虜にした。
彼は明るい窓際でいつでも作業を中止できる。

長く保存状態が悪化したまま放置され、
なかば諦めかけていたネガフィルムのデジタル現像が始まった。

ひどく損傷を受け光学的な現像処理では回復不可能と思えた無数のフィルムが、鮮やかにフィルムスキャナーとデジタル補正技術で蘇った時の彼の驚きは名状しがたい。
いったいフィルムにはどれほどの情報が記録されているのだろうか。
モニターに魅入っていた彼は、その瞬間「すばらしい!!」と叫んだ。
私は生まれて初めて彼からその言葉を聞いた。

広島弁が達者な人にはもっとも似つかわしくなかった言動以上に、
それは写真の歴史と概念を塗り替える決定的な事件であった。
デジタル現像では暗室でのフィルム現像と引き延ばし操作が同時にできる。
そして彼はその瞬間に紙焼き技術では不可能な表現技術を
即座に見抜いていたのである。

そこには戦後の時系列的な風景画のドキュメントではなく、
明晰な表現者の視点が再生されていた。
彼は記憶の再生と共にエネルギーに満ちていた。

半世紀ぶりに映像化されるこれらのすべてのネガフィルムに関する
正確な場所と当時の気候や時間、そして使用したカメラとレンズなどの
メタデータの記憶とキーワードタグは88歳の老人とは思えない。

原爆ドームの熱で歪んだ鉄骨の頂部から見下ろした
夕暮れのスラム街に投射される自らの陰鬱なシルエットは
彼の30歳代の代表作の一つになるだろう。

初めて映像化される半世紀前のアーカイブは
老写真家の初めての個展となるに違いない。

私は直ちにこの写真家のアシスタントとして
数万枚のスキャンに耐える高性能なフィルムスキャナーを注文した。
そして、彼のスタジオまでの往復300キロのドライブのために
ipodのFM用のトランスミッターを購入した。

これらのすべてのプロセスは
私にとっては親子関係を超えた明室作業だ。 Y.K

見えない軍隊

主観的には
本当に貧乏な人は絶望し、
本当に裕福な人は与えてばかりいる。

統計的には
これらは南北にそれぞれ居住する人類の傾向に見える。

経済的に、
この関係が改善される見込みがないのは、
その利益率が最大限に達しているからにちがいない。

そして客観的に、
与えるためには奪わなければならない。

さらに民主的に、
奪い続けるためには見えない軍隊が動員される。     Y.K

ライセンス

美術学部にマルセル・デュッシャンはいなかったように、
哲学科にバックミンスター・フラーはいなかった。

確かに彼は建築学部がいたが
建築のライセンスは持たなかった。
ライセンスは分断された社会的配列に関する
厳格さを装った境界線である。

有給の職業に意味や構造の革命を期待すべきではない。  Y.K