月別アーカイブ: 2015年10月

不可逆的

テンセグリティ構造のシナジー作用を、
つまり、全体性を論理的に解析することは不可能である。
しかし、その物質的かつ非物質的な統合作用を回避することが
不可能な段階で構造を試行しなければならない。

解析と統合が、可逆的に言語化されていないだけなのだ。
つまり、テンセグリティ構造は
しばらくは発見の宝庫である。

反重力から反張力へ

宇宙を象徴する完全な半球が想定されたドームは
静止力学的な解法から 垂直荷重に耐える尖頭型ドームが最終的に変更され
1588年から1590年にかけて突貫工事が進められてついに頂塔は1593年に完成した。

この十六世紀の最初で最大のミケランジェロによる
サン・ピエトロ大聖堂のドーム構造をとりあげる場合でさえ、
圧縮力だけに依存しない張力と圧縮力の相互作用による構造が
最近の発見であるという驚きを抱かざるを得ない。
(その後の世界のあらゆるモスク建築は宗派を超えてこの様式を複製してきたが
そのすべては、完全な球状構造を再現したかったのである。)

宇宙パイロットの大気圏外宇宙への脱出経験からも
われわれは重力にまだ抵抗する習慣を
捨て去ろうともしていない。

重力とは
断面積のゼロの不可視の張力であり
もっとも安価な張力材である。

テンセグリティ構造においては
張力はつねに反・重力であり、重力はつねに反・張力である。
非鏡像的対称性にまだわれわれはとても不慣れである。

足場のない構造

テンセグリティ構造とは、
ついに発見された特殊な圧縮力と張力の相補的な相互関係ではなく、
大地を必要とするすべての構造物における、
本来的に足場を否定した
あるいは足場のすべての痕跡を消去した
相補性にほかならないのだ。

したがって、テンセグリティのアセンブルには
圧縮力と張力の相補的な相互関係が利用できない。

自然は足場を残さない。
あるいは、自然のすべての足場は
最小単位という優れたモジュールからデザインされている。
モジュールとは高性能なモバイル性に置換可能だ。

例えば、DNAとその複製も足場のない構造のひとつである。

生物学的存在へ

ナス科は、ナスに加えて
ジャガイモやトマトなどが属しているように
人類においては
アジア人、アメリカ人、シリア人などの人種が
生物学的に存在したためしはない。
種や亜種に値するどんな差異も存在しない。

個々の人間や民族などの相違点を越えた類的存在としての人類に
人種や人種差別、そして仮想敵国などの概念や政策は時代遅れであるが
その非生物学的<常識>によって、若者たちはつねに矯正されつつある。

人種という非生物学的概念は
社会的要因よって構築される人為的システムから形成できるので
権力の主要な力になるのである。

モバイルテクノロジー

旅行以上に、少なくとも3年に一度の引っ越しは
認識の領域を拡張する手段になり得る。

自己との関わり方は
重要なテクノロジーのひとつである。

究極のモバイルテクノロジーとは
認識方法と認識領域との絶えざる拡張とその相互作用にある。

定住とは、時代遅れの道徳的矯正のための税収奪方法にすぎない。
そして、定住しながら株価に耽る時代は終わっている。

戦闘のための秩序

戦闘のための秩序が
株価と市民生活を機能させているのは
いつからかを知らない人々が
根本的に自由で個性を反映できる
現在の<安全な生活>の維持を望んでいることは
怖ろしい兆候である。

コスト計算

デザインサイエンスを装ったコンセプトに
気取ったシナジェティクスモデル、あるいは
懲りすぎたテンセグリティモデル以外に
その根拠が見出されない場合
先行技術をなにも超えていない事実を
いかに隠すかというある種の技術に始終する。
たとえば、コスト計算から合理性を得るような方法とか。

真の技法は、
しばしばモデルの中に潜んでいる。
それらが劇的なコスト計算をもたらすのである。

足場のない構造

テンセグリティについては、
<張力材のある>ものと<張力材のない>ものとの対比や、
圧縮材主体の優位性と固体性、
これまで考案されたテンセグリティモデルの生成過程
(学習用のテンセグリティモデルの生成過程ほど
テンセグリティから逸脱していくものはないのである)と
構造に対する定義を放棄しなければならない。

認識の主体から生み出された概念ではないとしたら
テンセグリティの起源は
新たな認識形態と認識領域を規定するにちがいない。

自然におけるテンセグリティは
足場のない構造の生成を前提にしている。

シナジェティクス分析から

分析における批判が
新しく発見された原理によってこれまでになく
秩序づけられたシナリオに沿っていくつかの理論を同定し、
さらにそれによって
これまでの不明確な常識めいた理論の排除
および、リセットされた言説を包むシステムを対象とするならば
明確なモデリングに基づいたシステム理論形成を行うための
学会という同業者組合の介入しない
天真爛漫な無遠慮さの実践でしかない。

それは、解離と統合の絶えざる作用に身を任せる態度なのだ。
つまり、存在の全体性を記述することが不可能であるかぎり。