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魚屋のリダンダンシー

お盆が始まる直前の
大きな生蛸の足1本は1500円だった。
翌日、きれいな赤いゆで蛸になって750円だった。
さらに翌日はぶつ切りで半額になっていたが、
パッケージも半分の大きさになっていた。
魚屋の蛸の100グラムあたりの価格を変えたくない戦略は
誰かに買わせるチャンスを増やすアイデアになったかもしれないが、
鮮度が落ちても蛸の価値を下げないのは
経済学に反している。

家(内)と外

家で仕事をするのが好きだ。
最近は家で講義もできる。
考えてみれば、
私はこの20年間ほとんど家にいる。
その間に6回も引っ越したので
このねぐらはけっして固定的なものではなかったが、
家で経験することは
夜の裏庭のように
いつも銀河系に続いている。
私はできるだけ家から出かけないで
「外」にいたい。
人間はこの「外」からやってきたから。

下ごしらえ

テレビの料理番組で
簡単な焼きそばのレシピを紹介していた。
5分でできるレシピに興味があったが、
料理人は「下ごしらえ」から
5分と紹介していた。
あらゆる仕事の99%は、
「下ごしらえ」に費やされている。
学習と労働のほとんどは、
環境の整備にある。
もしそうでないなら
あなたは21世紀の新たな奴隷の条件を備えている。

時と金

忙しい時と暇な時は、
時計を見ている。
必要なことを考える時は
残高を見ている。
本当に興味があることを実行する時は
それらを見ていないだろう。

読書

何か本を読むと考えてしまうが
考えているときに本は読めない。
読書ばかりしてしている人は
何も考えたくない人だ。

単純な方法

難しく考えるよりも
より単純に考える方が
難しいのは、
他人によって勧誘されるか
強要された表面的な無数のふるまいに埋没するように
現実が生成され続けているからだろう。
われわれが属するこの現実から離れるには
問題よりも方法が優位になるだろう。
シナジェティクスから
複雑系ではない
単純な方法に関する操作主義を学べる。

バンパー

バンパー機能のない自動車が存在しないように、
iphoneにバンパー部品が最初から
製品に組み込まれていないのは
基本的デザインではない。
それがなければ、
衝撃でより壊れやすいからだ。
形態美がバンパーの装着で破壊されるよりも前に。

料理

よりおいしい料理を作るには
よいレシピを見てからつくるよりも、
作ってからレシピを考えた方が自然だ。
最初に書かれたどんなレシピも
読まれたのではなく
つねに発見されたのだから。

モバイル講義

同じ講義はほとんどできない。
誰に話すかによって話が変わるのは
話す相手から話を見つけるからである。
同じテーマでも相手が変われば
理解の仕方も変わる。
さらに同じテーマでも話が変われば、
しばしば、講義中に新しい理解を発見できる。
これらはすべて非同時的である。
講義にノートを利用する教師は
同じテーマの同じ話が同時に理解できると考えている
退屈なファシストだ。
ほとんどの学校が同じ場所での同時性の収容所になっているのは
イギリスの産業革命時の工場労働者の
生活様式のままだからではないだろうか。
(私はワークショップ以外は、スカイプでいつも講義をするが
私と学生がそれぞれどこにいるかはほとんど重要ではない)