火山噴火予知連絡会の診断結果は、常に気象庁から発表された。
地震予知がまだ研究段階であるのに対して
火山噴火予知は防災に機能できる機関として位置づけられてきた。
心肺停止状態の人が30人以上もいることが分かって
「火山予知ってこんなものです」と発言する
火山噴火予知連絡会の最高責任者の知性とモラルを
はじめて知らされたのである。
国家の研究費を火山予知の目的で貰っている学者達の社会的責任を
批判しない学者という同業者やメディアを信じると
死の危険性は確実に増えているのである。
火山噴火予知連絡会は
今後の火山活動についての<総合的判断>を中止すべきである。
同時に火山の構造よりも権力の構造に興味がある
似非科学者達を裁判にかけるべきである。
彼らはいま心肺停止した人々の安否よりも
自分の学者生命の安否を気遣っているにちがいない。
それでも火山噴火予知に興味がある真の研究者なら
大学の研究室レベルで自由にやるべきである。
それが客観的な<総合的判断>である。
「グランチ」カテゴリーアーカイブ
デザイナー
より働かないためのデザインは僅かしかない。
解ける問題しか興味がない学生は数学者にはなれないが
デザイナーは自分がデザインできる
見えるモノしかデザインしない人がなれる。
自然の99%が人間には不可視なのは
自然のデザインが、自分自身の生存を最後に考えて行動したのでなく
すべてを考えて行動した結果だからである。
主観的な人々
気象庁が今回の火山爆発を予測できなかった事実を
認めたのは、爆発後であった。
3.11の時も、放射性物質の大気圏内の分布の予測を公開したのは
広範囲に日本列島が被曝した後であった。
無数の生命を保護するための様々な
科学的で社会的な保障システムは開発され運用されているが
実際はほとんど機能していない。
超専門家たちは、グランチに雇用されることで
主観的な見解を述べるだけで
客観的に人類には働きかけない。
彼らが精神的に経済的に自律した個人ではない以上、
科学的で社会的な保障システムの運用と管理を
超専門家や政治経済機構に委託すべきではない。
われわれが、すべての社会的保障システムの
開発と運用と管理に関わらないかぎり
生命を保護するための客観的な選択権は委託されたままだ。
主観的な人々は、知的にけっして人類には働きかけない。
予測と警戒
「噴火警戒レベルは1(平常)を維持し
噴火後にレベルを5段階のうち3(入山規制)に引き上げた」
のだからこの種の警戒レベルは死を回避する目的ではなかった。
火山噴火でさえまだ科学的に予測できないから
爆発する日の登山者に窒息死や意識不明などの多数の死傷者が出たように
原発も再稼働するなら
科学的に予測できない地震や津波によって
再び広範囲に人々は被曝死するだろう。
日本は被曝によって衰退していくという予測は科学的である。
それ以外の予測と警戒は実に主観的である。
21世紀型超専門家
この学校教育は子どもには教育的ではないが
行かせないわけにはいかない。
この食材は放射性物質に汚染されているが
食べないわけにはいかない。
原発はまた炉心溶解するかもしれないが
産業のために推進しなければならない。
これらの教育者も科学者も政治家も
ただ生きているだけの21世紀型超専門家にすぎない。
彼らを大人として尊敬している若者たちも
あるいは軽蔑しながら<構造>に所属している大人たちも
病名がまだない2重の言語構造に冒された精神病者である。
カフェラテとシナモンロール
過去の思考に生き、そして
どんな変化もない表面的で
平穏な生活を望んでいるかぎり
自己は単なる環境の一部にすぎない。
国家的なカオスを取り込むための。
高価なカフェラテとシナモンロールを買う
スタバの若い人々でさえ
イスラム国を弱体化・壊滅させるための
軍事行動を支援しているようなカオスを。
職業
教師や両親が愛情深く子どもの将来の具体的な就職を望んだだとしても
「過半数の子どもは大学卒業後には
現在まだ存在していない職業に就くだろう」
パソコンのように
人間の職業ほど時代から陳腐化されるものはないのだ。
学校が職業のために存在するのは、時代遅れである。
通学と通勤という過去の分かりやすい同時的な現実を
維持しているだけの教育は終わっている。
権力テクノロジー
新しい理論を論文に書くと迫害される時代に
科学者という職業に名誉や尊敬はなかった。
科学者はいまや尊敬され
名誉のある超専門家を目指す若者は増えている。
しかし、原発再稼働に反対する学会や大学がないのは
彼らが名誉と尊敬と引き換えに体制派の保障を得たからである。
科学テクノロジーよりも
権力テクノロジーのほうが包括的で優勢になり
進歩的で自由な科学は、明らかに衰退している。
産業テクノロジー
数学はよく理解できない方法で教育される。
完全な概念の理解を欠いた学習の習慣は
政治と経済では大いに利用されている。
例えば、
すべての経済活動はつねに利潤を
生まなければならないという概念は
悪意のある動機によって刷り込まれたのであると理解したなら
人間の知性と組織化の欠如の結果としての日々の生産活動を
批判できるだろう。
われわれが想像するよりも
つねに高い生産手段を所有している
産業テクノロジー全般に関する学習がもっとも遅れている。
テクノロジーの進化が
教育プログラムの変容と同期することがないのは
無知がより利用されやすくなっている。
透明な手段(Medium)
編集者などの解職処分によって
編集する<基準>がシステムから排除されるわけではない。
そのシステム自体が<事実>よりも
特権と利権を生む<意見>を媒介するための反応装置であるかぎり。
平均的な人間とグランチとの中間媒体(Media メディア)は
透明な手段(=Medium メジウム)としてデザインされる。