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想像力

複数の局が同じシナリオで
同時に流すニュースのほとんどは
出来の悪いフィクションではなく
笑えない冗談に近づいている。
語られぬ事実によって
真実を映し出す反時代的な想像力は共有できる。
想像力は、距離を隔てても
電磁誘導的にエネルギーを同時的に伝達できる。

自己複製

静かに衰退と孤立化が進む過程では
友人は自己複製した一部ではなく
複製の手段になる。
自己が孤立化しないように。
そして
けっして、初期化されないように。

衰退の加速度

静かに衰退と孤立化が進む過程で
非常事態によって瞬間的に自己変革に目覚めるられるなら
衰退やトラブルはより決定的に発生したほうが
元来の環境への復活が可能になると期待する人々は
3.11後からは、いなくなっている。
—–尖閣防衛のための親米保守たち以外は
彼らにもはやコントロールできないのは
人口減少と産業競争力の衰退の加速度だ。
そして、彼らの思い上がった歴史修正主義は増大するばかりだ。
もはや株価では誤魔化せないのだ。

余剰生産力

知的産業社会では
エネルギーコストが同じなら
労賃が安いほど競合できるとは限らない。
革命的な発明によって
これまで主流となった製品の機能を陳腐化すれば、
その製品や工場は瞬く間に不要になる。
真の発明力は
電気エネルギーコストの削減や
資源の独占だけでは調達できない。
発明のための教育は
余剰生産力から生まれるメタフィジックスであるが
現在の教育プログラムにはほとんど含まれていない。
現在の教育プログラムは
通勤する大量の工場労働者を教育するために
作成された1世紀前の原型を継承している。
教育コストのほとんどは
時代遅れの学力向上に費やされているにすぎない。

単純さについて

自然の原理は単純である。
科学論文の審査機構のほうが自然よりも複雑である。
「Nature」に記載されたレベルのノウハウは
最初に発見された単純な概念レベルで十分である。
STAP細胞の再現性には
かなりの理論とノウハウがあってしかるべきである。
軍事技術を見る限り、もっとも効果的な発明が
特許出願がなくとも開発されてきたように
テクノロジーは科学論文の受理とは無関係に開発できる。
「Nature」に記載される名誉よりも
論文も審査に出さないだけでなく
特許出願しないそのノウハウの方が情況によっては
高価であるというビジネスは存在する。
それは単純な資本主義だ。

ところで、論文の審査機構において、審査される論文の機密性を一体誰が
民主的に監視できるのだろうか。
科学論文の審査機構がほぼ権力構造に属しているならば。

科学論文

専門分化しながらも
集団化した科学者のクライアントは
限りなく真実に見せかけた
科学論文の<構造>に夢中である。
論文形式と審査機構との相互作用は
民主主義的ではない。
STAP細胞の発見が
科学に無知なメディアと法律家資本主義に毒されたのは
科学論文の<構造>と科学者が構成する社会<構造>に
自由な人間どうしの対話が不在だからだろう。
科学者に自由な対話と批判をもたらす<構造>がなければ
動く<細胞>の構造も見えないだろう。
現在のテクノロジーとその余剰生産性からいえば
優れた科学者が国家公務員である必要はない。
この国には、10億円以上の現金を所有する個人が
150万人以上もいる。
細胞生物学もシナジェティクスのように
メタフィジックスに接近する科学なら
個人で展開可能な時代だ。

母川回帰

2012年の世界貿易額で見ると
輸出額はアメリカではなく中国が第1位であり
輸入額では中国は第2位である。
しかし、中国の黒字と米国の赤字が共に減少しているのは
安価なエネルギー源を求めて、
多くの工場はサケの源流への遡上のように
技術が生まれた場所に回帰しはじめたからだ。
シェールガス革命は原発を陳腐化し
製造コストを中国よりも安価にできるのだ。
(日本は4位であり、輸入額のほうが輸出額よりも多い情況が続いている。
先進諸国で輸出額が輸入額よりも多いのはドイツだけである。)
日本はロシアやアメリカから余剰な天然ガスを輸入するかぎり
製造コストの革命は自国では望めない。

抑圧空間

建築の空間構造とそのデザインが
どれほど人間の精神に影響を与えているかという心理学的研究は
贈与経済学が経済学から駆逐されたように
あまりにも現実的すぎて禁止されているように見える。
病院や老人ホーム、学校やオフィス
そして、仮設住宅の建築空間でさえ
人間を昼夜を問わず手っ取り早く抑圧できるからだ。
意図的に陳腐にした空間デザインだけでなく
モダンに見せかけた空間でさえ
人間の思考を効果的にコントロールできる。
そもそも、上下水道と電力ネットワークに
常時繋げるだけでも十分なはずだ。