グランチ」カテゴリーアーカイブ

サバイバルの始まり

<敵か味方>
つまり<あなたか私か>
という生き残りゲームは
あなたも私も
そして
敵も味方も好きだ。
彼らが嫌いなゲームは
<あなたと私>が始めるゲームである。
それは、
<あなたと私>だけのゲームではなく
<あなたと私>が
そのどちらでもない他者( others)と
他者の犠牲を強いることなく
効果的に相互に関係していくか
というゲームである。
他者には岩石や大気が含まれるだろう。
このゲームに無関心にならなければ
生き残れないと思い込むかぎり
このゲームに熱中する人はほとんどいない。
つまり、21世紀型のサバイバルは確実に始まっているのだ。

続)長寿的思考

もっとも経済的な行為は
節約ではなく
技術の短命化を生み出す。
テレビとパソコンは自動車よりも
短命化の革命を担ってきた。
技術の短命化は
普遍的な原理の長寿化の兆しである。
そして無限の原理の存在は
科学的にはまだ否定されていない。

続)等価(equivalence)について

一ドルの預金が誰かの1ドルの借金ならば、
<経済的破綻>を埋める方法は
人々の貯金を奪う政治的な方法として
確立されたのである。
人々の貯金を奪う経済破綻こそ、
資本主義の単純かつ究極の<等価原理>による作用効果であるが
<等価原理>のおもて看板を掲げた
法律家資本主義による合法的な強奪こそ
<宇宙の原理>と異なる人間の意図から生まれている。

アウトサイダーについて

いかなるドグマにも、宗教や国家にも属さない
マインドをつねに失わない単独者としての
アウトサイダーになるには
よりインサイダーを求める人間の欲望と愚行によって
世の喧騒に触れつづける反・経験が必要である。
死はもっとも純粋な非・経験であり
重さのないアウトサイダーである。

等価(equivalence)について

もっと移動し
さらに交配し
互いに価値を交換しても
70億人のほとんどが
不足から逃れられなかった場合
民主主義は
個の幻想を抱かせたまま
無数の等価物に変換され続けるだろう。
数えられない
非等価的な存在に到達しないかぎり
われわれの主権は
等価物に変換された人格や偶像に委託されたままだ。

人種(human race)

コーカソイド(白人)
モンゴロイド(黄色人)
ネグロイド(黒人)
オーストラロイドといった人種概念による分類は
生物学的ではなかった。
人類以外に人種は存在しない。
生物学的に
人類は唯一の人種である。
人々は連続的に変わっていき
明白な区別はほとんど不可能である。
もし異なった人種が存在していたなら
政治的な企てによる
<心理的な不足>を埋める
汎用的な方法にはならなかっただろう。

ゴミ箱

年末の掃除は
スタジオを構成する物体の表面(ドアや床や壁、そして家具など)の
清掃だけでは終わらない。
私のデスクトップにも
クラウドにも無数のゴミが堆積している。
ゴミ箱を空にするだけで
堆積が<構造>を形成することはないだろう。