農業用ハウスは野菜の品質と価格に影響するが
人間が住めない農業用ハウスは
この半世紀間、構造的なモデルチェンジをまったくしていない。
空間構造による権力側の要請に
技術面で支援するのは
許認可の範囲内で空間構造をデザインする
建築技術者たちである。
空間構造はもっとも効果的な矯正装置の一つである。
農業用ハウスは野菜の品質と価格に影響するが
人間が住めない農業用ハウスは
この半世紀間、構造的なモデルチェンジをまったくしていない。
空間構造による権力側の要請に
技術面で支援するのは
許認可の範囲内で空間構造をデザインする
建築技術者たちである。
空間構造はもっとも効果的な矯正装置の一つである。
税収入に飢え続ける国家は、
ジオデシックやシナジェティクスのような
浮遊的・回遊的・遊牧的科学から、
独占可能な応用科学的技術だけを採用し、
こうした物質をより使わないテクノロジーを
許認可の制限内に従属させ、
その適用範囲を限定し管理する。
これは権力テクノロジーの基本的な戦略である。
疑似的な
浮遊的・回遊的・遊牧的科学は
いまや火星に集結しようとしている。
デザインサイエンスが自ら革命的方法論を提唱し実践するすべての過程において
クライアントに依存しなかったデザインサイエンスの革命性は
ほとんど知られていない。
デザインサイエンスの革命性は
投資家の存在と発言を排除できるほど
既製品と既成のテクノロジーの新たな相互関係の発見から実践できることにある。
しかし、最晩年のバックミンスター・フラーの<フライズアイズ>における
量産型のモジュール革命性は
未だ高額な金型の初期投資に依存していたのである。
単なる用途(ユーティリティ)の開発に留まらない
デザインサイエンスのプライムデザインを
その実践者のみが担うこのシステムは
金融資本主義の側にはない。
人間に対する抑圧の起源には
政治的抑圧以外はそれほど注目されていないが
重い屋根と頑強で太い大黒柱からなる
物質的に過剰な住居の構造による
長い歴史的な抑圧がある。
あらゆる権力の起源は
重厚な存在を目指している。
掃除機は自分自身を掃除できない。
洗濯機も自分を洗濯できない。
国民を監視できるが
権力もまた自分自身を監視できない。
その非構造のなかに
原子力が閉じ込められたのだ。
権力の外部化は
権力から生まれるが
つねに生命の統合作用とは無縁だ。
つまり、太陽の黒点数に関与できない
テクノロジーの段階にある。
一般市民に優先的に帰属すべき非共産主義経済圏における原子力の所有権は、
政府が1/3世紀をかけて展開した巧みな法律操作により、超国家的私企業に譲渡されてしまった。
自由企業カルテルの基本的戦略は、
「人類には、企業の原子力開発計画に代わる現実的な選択肢は存在しない」という確信に基づく。
——-『クリティカル・パス』(白揚社 バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳)より引用
バックミンスター・フラーは、1960年代にグランチによる電力会社と核戦略の予測に到達していた。
つまり、局所的な権力間には、超国家的な連続性が存在する。
2009年7月9日 の<犬のしっぽブログ>から再び引用
真空管が破裂することを、内破(implosion)という。
内側に向かって爆発するという意味である。
この概念は、正しくない。
内破は、重力現象として見るべきである。
ヒロシマの原爆は、空中爆発(explosion)であったから
爆発と共に強大な球状空間が真空化され、
ついに、内部に強力な吸引力が発生した。
このもう一つの重力はやがて、上昇する螺旋運動を形成し、
キノコ雲の球体を形成した。
原爆はけっして都市を吹き飛ばす爆発力だけではない。
原爆の瞬間を表したヒロシマ原爆資料館の最新のCGのように、
爆発の放射(=圧縮力)のみに注目する原爆の物理学には、
内部への吸引力としての張力は不在である。
秩序を見分ける方法は、
もっとも大きなパターンの存在を発見すること以外にない。
そのパターンは、概念によってはじめて投影される。
映像1
最初の原爆のニュースは、共同通信社の特派員による手書きのイラストだった。
キノコ雲の下には、巨大な螺旋状のトルネードが描かれている。
映像2
アメリカ空軍が撮影した高度1万メートル上空からのキノコ雲。
キノコ雲よりもトルネードの方が黒いのは、爆発によって形成された放射性物質を吸い上げているからだ。
このキノコ雲は排気と吸引の機能を持っている巨大な掃除機と考えられる。
電気ではなく、原子力で作動した最初の掃除機だ。
多くの瓦礫と死体、そして元安川の水を大量に吸引した。
これが後の黒い雨となって落下した。
ヒロシマに川がなければ、もっと被爆者は少なかっただろう。
国家は人口を増大させることができるが
虐殺もできる。
自国でも他国でも合法的に。
人権保障は各国の政治に委ねられていたのはほぼ40年前である。
つまり、人権の普遍性はアプリオリに考えていなかった事実がある。
しかし、すべての個人には国家権力からの自由がある。
個人は人間を国家のために虐殺してはいけない。
自国でも他国でも。
人権の普遍性が、<軍隊を持たないイデオロギーは存在しない>という
恐怖心が支配する思考を打ち砕く歴史はまだ半世紀を経過していない。
1
「ポケモンGO」に仕組まれた”ワナ”とは
膨大な利用者のGPSによる位置情報がいまビッグデータに蓄積されていることにある。
これ以上の無料の全世界的な同時的監視技術はこれまでに存在しなかった。
2
25日の東洋経済ニュースによれば、
[「ポケモン」というと任天堂のゲームというイメージが強いが、
「ポケモンGO」はグーグルでGPSを活用した
社内事業から始まったナイアンティック社が作ったもの。
任天堂および株式会社ポケモンは、
あくまでナイアンティック社の株主に過ぎない。]
3
監視技術は、テロ対策だろう。
テロリストは「ポケモンGO」に興味ないから。
否、そうではない。
テロリストのいそうな場所にポケモンを配置させるだけでよい。
携帯がすべて監視カメラに変換される。
沖縄が日本の階級と独裁を仕切る権力体制のもとで支配されてきた歴史に
連帯を感じない人々が、原子炉を動かしている。
この暴力的手段が体制的で合法的なものであるときでさえ、
暴力と放射性を受容し、さらにそれらを課せていく体制を築き上げている。
こうして民主主義は、抑圧と被曝によってますます遠ざかるのである。
それらは、いまや世界中で起きている。