資本主義は、富裕層を稀少生物として経済(つまり自己保存のための戦争)を成長させてきた。
その稀少生物はオークションが好きだ。
自分たちだけ生き残るための経済とは
自身の稀少性を根拠にして
完全に再生的な自然に対して自らの生命を危険に晒すシステムである。
しかし、残りの大多数の群れは、つねにその行為を模倣したがっている。
資本主義は、富裕層を稀少生物として経済(つまり自己保存のための戦争)を成長させてきた。
その稀少生物はオークションが好きだ。
自分たちだけ生き残るための経済とは
自身の稀少性を根拠にして
完全に再生的な自然に対して自らの生命を危険に晒すシステムである。
しかし、残りの大多数の群れは、つねにその行為を模倣したがっている。
国土全体を被曝させる権力は
国民に健康に生存し続けることを保証する権力を維持することは不可能だ。
経済が、稀少性とオークションいう絶えざる基本的状況を生成する限り
再生的な自然(デフォルト)と敵対していながら、
資源とエネルギーを合法的に奪い合い、
人間は自らの生命現象を
銀河系の特異な存在とする短命で放射的ビジョンの危険性に曝して
それ自身不活発で近視眼的な行為に耽るのである。
権力は、住居の個性化というデザインで矯正し、階層化し、
構造の自律化を回避しようとする。
すでに家庭や学校における個性化によって
構造の<大黒柱>への依存性をより強化してきた方法と変わらない。
より太く重い<大黒柱>とそれを羨望するデザインが、
人々を圧死させてきたにもかかわらず
<大黒柱>は再生産されてきた。
権力が最も恐れているのは、構造の自律である。
真の構造の自律化によって、<大黒柱>は消滅する。
<直観>と<美>は、
法律(=記号)と土地という人為的な富による権力作用の中に組み込まれ、
さらに後には、教育や医療、精神分析、
そして大量生産技術なとど相互に連動し統合されることで、
あるいは、宗教と共に除外され続けることで
その重要性と自立性に関して独自なエネルギーを失ってしまった。
<直観>と<美>なくして
モバイルシェルターがデザインできないのは
それらこそが生存と自己のテクノロジーに深く関与しているからである。
生存するには非生産的すぎるこれまでのアーティファクトとノウハウのほとんどは、
権力構造に属する人間が考案した適者生存の産物である。
鯨のネットワークに比較すれば「電力と情報のネットワーク」さえ、
抜け目なく課金するための分断された局所的なネットワークである。
『宇宙エコロジー』バックミンスター・フラー+梶川泰司 著 から引用
両親は、愛情の現れとして
こどもに生命保険をかける。
同じ理由から
こどもに教育投資を施す。
感謝されたいだけではなく
こどもが何を感じ、
何を考えるかには無関心でいられるから。
そして、無関心は、無目的である人生を遠ざけるのだ。
子供のもっとも関心のある出来事に無関心な、
それゆえに裕福な両親は珍しくない。
愛を装った人たちによって
無関心は意図的に教育されている。
無関心は、その主体が死んだら贈与する、
あるいは、
贈与される富にはもっとも関心がある。
新しい何かを学ぶ過程は
それほど純粋でなもなければ
素晴らしくもない理由を経験しなければ
どんな知的な挑戦も無謀に終わるだろう。
「何かを学ぶには
すべての権威からの離脱と
服従への拒否が必要である。
学ぶためのエネルギーの99%は
その過程に費やされるだろう。
こうした学ぶための環境条件の整備は
学校では最初から除外されている。
理事会と建物(=土地不動産)、そして教師の権威を予め受容した学校という
学ぶための非効果的な環境条件は
子供には拒否できないシステムで運営されている。」
2012年6月27日 犬のしっぽブログから引用
エネルギー、食料、水の生産と再生の統合されたテクノロジーは
人類においては、分析的に分断されて形成され、
意図的に解消されていると考えるべきだ。
自然を形成する未知なる不可視の奥底から
現実を決定しているような
生の決定的なメタフィジカルな生物学的現象を
そうした政治的な変異の集合体に見てはならない。
ましてミスリードされてはならない。