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消滅する空間と<動く構造>

活断層の上で振動し続け、その亀裂共に
引き裂かれ倒壊する無数の家屋を
この20年間で少なくとも3度も経験しながら

家屋はもはや圧死の脅威のもとで
生活するより他はない空間なのか。

全人口は、不動産ではなく
生命のための新しい<動く構造>を見出さなければ
消滅するように運命づけられていると
考えるべきである。
———-動くバイオスフィアと共鳴するように。

e・食・住(energy-food-shelter)の
生存するための三大要素は
固体的不動産という
非科学的な概念の妄想に幽閉されたままだ。

安全率(safety factor)の破綻

建物の破壊の現象に対して
権力の対応が構造計算の中に挿入される場合
その証明は、実物大の構造の破壊実験によって初めて確定される。

しかし、破壊実験は
起こりうる地震の規模と諸条件を想定してなされている。

その起こりうるとは
起こりえないことを除外した条件では
破壊実験はけっして実施されないことを意味する。

過去の大規模地震のほとんどすべては、
起こりえないことを除外したその条件で発生している。

M7が短期間に2度発生するだけでも
権力の計算する安全率(safety factor)はすでに破綻している。

権力の計算する安全率(safety factor)の確立にかかるすべてのコストは
税金によって賄われているが
その安全率を想定するプロセスの民主的な可視化は
その専門性によって完全に非公開にされている。

権力の構造への対応は、科学性を欠いた専門主義によって
むしろ権力を維持するエネルギーに変換されている。

牢獄への概念

破壊された構造の復旧は、次の破壊に対する新たな法則には従わない。
制度の破壊によっても、決定的に疑似的構造は生き残る。

<固体>という牢獄への概念が生き残るかぎり
人々は、一時的で疑似的構造に閉じ込められるだろう。

<固体>的構造は、牢獄への概念に置換されている。

アーティスト・サイエンティスト

その構造は、震度7以下の大地の不動性によって支えられた
表層的な知そのものであり
真理を生産するにはほど遠い<標準>であるばかりか
人々は、大地の不動性の回復を待ちながら
その構造に近寄ることさえもはや不可能であり
大地(=脱出可能な駐車場や広場)とともに揺れ動いているのである。

つねに一定の自己利益優先(建築産業のためのegonomy)なしには
成立しない構造は、
構造を<標準>として、構造を通して記号化する<標準>の生産に従事し、
それらの<標準>を生産することでしか
その構造を維持することができない。

その構造とは、19世紀から継続される建築産業を支える土地資本主義であり
ほとんどの建築家は<標準>を再生産し保護する19世紀的専門家である。

真の居住性は、イデオロギーによる人為的な不動性を打ち消し、
波打つ海のような陸に浮かんで動く船に求めるべきである。

自己利益優先から遠ざかる宇宙船の構造を
デザインし生産する方法や道具を発明する科学者は
アーティスト・サイエンティストである。

アーティスト・サイエンティストは
芸術家にも科学者にも、似ていない。
ーーーーーー水が水素と酸素に決して似ていないように。

4つの無のテクノロジー

大災害時に破壊された都市のライフラインが修復されるまで
無管(有管から無管に、つまりバイオトイレ・風呂を含む複合発酵による水の完全再生)、
無線(有線から無線に、つまり、太陽光発電や携帯電話など)、
無軌道(軌道輸送から無軌道輸送に)、無柱(体育館などの軽量構造物の避難所)の
<4つの無のテクノロジー>に依存しないかぎり
生命は安全に維持されない。

都市のライフラインは、真の生命維持装置ではないのである。
平時における大企業と国家のための課金装置である。

軍隊の給水車や移動トイレ・風呂、大型テントなどは
まだ戦争機械の一部(=兵站線)でしかない。
公共インフラという社会資本は、
依然、宇宙資本(=宇宙テクノロジー)とは無縁である。

宇宙での移動のためのすべての道具と住居は
無管、無線、無柱、無軌道のテクノロジーを前提にデザインされている。
ライフラインの宇宙工学から
住居を包括的にデザインするのは、デザインサイエンスだけである。

権力の物質化

構造としての城と城壁は
人間の生存には否定的だった。

圧縮材の集積は
統合力よりも
権力の物質化でしかなかった。

(数十億円かけた原寸大の破壊実験は
1回目で十分にその視覚化に成功した。

原爆ドームと同じように
圧縮材の破壊のプロセスの歴史を保存すべきだ。

エネルギーと対抗した構造の歴史を)

脱復旧(deconstruction)

自然には復旧はない。
自然は、より高い安定と調和を求めて
振動によって再結合(つまり、現状回復)しているのである。

振動で壊れゆく人工物を再び現状回復させるほどの
非論理性と非経済性はない。

受動性への否定は、出来事への注意から始まり
受動性の批判に至る時は、寛大さが形成される。

宇宙は角度と振動数である。
それらと対抗し、敵対する批判なき受動的工学は
圧縮材の集積である城と共に衰退する。

Gimme Shelter2

日本の高度成長期の平均的な人々が憧れた
都市生活の明確な基準であった団地の2LDKを再現すると
現在の平均的な人々が憧れる
平均的な生活水準以下であると言わざるを得ない。

建築空間は、当時もそして現在も
客体化及び服従強制の方式として機能しているのである。
(住宅は、住宅ローンの支払期限と調和した期間で設計される。)

真の空間製造技術とは
権力が引き受けた生命空間の領域が破綻する方法、つまり
エネルギーと食糧生産の自律性を生命空間に導入する方法である。
この方法は、大気圏外の宇宙ステーションの設計では前提条件である。

喜びと苦痛を分離するための
空間製造技術(=シェルターの量産化)は存在する。
なぜなら、平均的な人々の税金でその開発は、賄われたから。

インテリアデザイン

人類最古のインテリアデザインは
自然が形成した洞窟の側壁に描かれた壁画である。

現代のインテリアデザインや家具類は
しばしば規律訓練や矯正の装置として作られる。

それぞれの配置に個人が適応するように
巧妙な方法で空間が形成される。

彼らは、球状テンセグリティシェルターの内部を観る前に
その内部空間が自分たちの生活には不利益であると感じてしまう。

<規格的なもの>によってデザインされた
自分の所有する家具類は
標準化された空間をも肯定できるのである。
ーーーーーボタンからコートが作られるように。

自動車の原型デザインは
自分の所有する馬車の内部空間の再構成から始まったが
飛行機の内部空間の形成は、
鳥の飛行のメカニズムの分析から始まった。
そして、鳥の内部には生存できる模倣すべき
洞窟のような空洞はなかったのである。

より軽くより早く<動く空間>は
規律訓練や矯正の装置からは生まれない。

意識的な漸進的変化

デザインサイエンスは、個人を捕らえて、
個人が何者であり、何が可能かを理解し、
個人の果たすデザイン行為の有用性を知り、
群れの中でどうふるまうか、
そして様々な道具類をどのように配置したらよいかを知るためではなく、
宇宙と人間との相互関係から個人の思考と行動に変化を与える
意識的な漸進的変化のプロセスなのだ。

そのあまりにも意識的な漸進的変化こそ
自己のテクノロジーの反映である。