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個人以外に

現実的な生存形式を探査し、その結果を記録し、映像化し、
そして数学的に、そして経済的にデザインする作業を
デザインサイエンスの過程にではなく
客体化あるいは服従強制の生存方法として機能させる目的に従事する人々は
その研究開発費を国家や大学に求めてきたことを疑いもしない。

しかし、20世紀の主要な産業のプライムデザイン
(例えば、自動車やPCなど)に関わったのは
国家や大学ではない。

個人以外に宇宙の原理を発見する機会を求めないという
経験的事実はまだ社会的知性ではないのだ。

正常化のための

どんな危機的情況からも
問題を解決しないで正常化する技術は
至る処にある。

オフィスや学校、
工場やそして家庭にさえも。

そして、自動車の排気ガスをコントロールするプログラムさえも。

それは、明らかに権力による
正常化のためのテクノロジーを初源としている。

人々の生活はついに
正常化のための奴隷になることを
正常化される。

非圧縮力的宇宙観

人々は無意識に
ほとんどの構造にまだ<大黒柱>を求めている。

大黒柱ほど圧縮力の社会を象徴する構造言語はないだろう。

張力的世界とは何か。

動くモノは動くモノに作用する、つねに互いに離れていても。
たとえば、太陽系に浮かぶ惑星地球。

この大気圏内の非圧縮力的宇宙観は
まだ圧倒的に希薄である。

移動パターン

労働力が不足している場所に人口を配分する以上に
過剰な都市人口を養う食料とエネルギーの不足を
意図的に分配する資本主義の狂気を扱う心理学はまだ存在しない。

人類全体を生産の循環の中に位置づけるイデオロギーもまだ存在しないが
部品生産とそのアセンブルシステムを
全地球的に位置づける物質の移動パターンは
よりダイナミックに進化している。

たとえば、PCや自動車の組立パターンが
かつて船舶の組立と同じようにコピーされてきたように
移動しながら、工業製品をより効果的に完成させる場合の
加速度的な生産性を最初に分析したのは
バックミンスター・フラーのデザインサイエンスである。

<クリティカル・パス>は、
デザインサイエンス革命の方法序説である。

数学的自然

構造とパターンの発見者であることを自認する科学者たちが
構造の革命や認識論の学派である以上に
バックミンスター・フラーによって実証された
メタフィジックスとフィジックスとの断絶と統合を
いまも乗り越えることができなかった事実と向き合う時に
シナジェティクスを学ぶこと以外の可能性はあるのだろうか。

ナノチューブやフラーレンの構造とパターンの
数学的な分類方法からも
こうした可能性と限界は明らかである。

数学的自然には
自然から構造を学ぶよりも
自然を構造化する方法が存在する。

生産性

より高い生産力を獲得するために導入された
PCによる労働は
一層の密度を増すにしたがって
あらゆる生産力をさらに高める方法を導入し
絶えず応用せざるをえなくなったばかりか
それによって最小限の生活の質さえ
より近づきがたいものとなる事態は
より高い生産力を支える富の分配において
民主的な方法が導入されないように
デザインされているからである。

つまり真の<生産性>は
なにひとつ変化していないのである。
ーーーー労働が死の恐怖を呼び起こすかぎり

労働者が<生産性>という概念を教育されたのは
第2次世界大戦後だ。

働かない時間を生むための真の<生産性>
という概念が工場内で共有される前に。

バイオシェルターによる稲作

他の天体への移住計画や宇宙開発は
つねに圧制や課金の手段、そして隠れた抑圧の道具と化す。

映画「オデッセイ」では
自家栽培したジャガイモで食い繋いでいくシナリオによって
貧弱な農業生産手段でしか
サバイバルできなことを刷り込まれるのだ。

火星で稲作ができなければ
火星での人類のコロニーの発展は期待できない。

水も空気もない火星でこそ
バイオシェルターによる
稲作のシナジー的食料生産性と自律性が証明できるのだ。

排泄物から水を完全に再生する技術は
火星計画を推進するNASAにはまだ期待できない。

終末

紙幣の発行毎に
だれかの借金が増える
人間の経済システムには
予測できない不規則な終末(デフォルト)がある。

週末

宇宙に週末はないが、
週末が来るように
周期性をデザインしたのは宇宙である。

この周期性には
だれも課金できないほどの
未だ無限性を感じる。
かつての海水と大気のように。

地球寒冷化の予測

構造がその原理をむき出しにするのは
もはや経済や戦争の危機的情況下にではなく
生命が死と直面する劇的な自然変動の側においてである。

地球寒冷化に耐えられるどんなインフラも
都市には存在しない。
(南極基地では雪を石油エネルギーで溶かして
飲料水にしなければ生存できない)