『スマホ止めるか、大学を辞めるか』といった国立大学の学長は
実に時代錯誤である。
1.
スマホはPCよりも有用なモバイルPCである認識が
欠如していただけではなく、
2.
授業が面白ければ、だれもスマホを見ない現実を
受け入れようとしていない。
3.
インターネットや書物にすでに記載された内容のレベルの授業で
授業料は徴収できない時代である。
4.
卒業資格を得るために、妥協しなければならない状況のなかでも
独創性の高い教育を受けるには
解像度の高いスマホで十分に在宅学習できる。
つまり、毎年同じ話で教える教育は終わっていることが
教室のスマホから確認できる素晴らしい時代にいるのである。
「グランチ」カテゴリーアーカイブ
「事実無根」国家
小説は虚構である。
映画も同じである。
政治は、嘘のシナリオをメディアを使って現実化する。
新聞もテレビも、そのシナリオを
自主的に忠実に報道しているだけである。
報道の自由は、権力によって守られているので
嘘のシナリオ以外はすべて事実無根を根拠にして
拡大できる。
優れた嘘をこしらえるシナリオライター達の養成に
軍事費が使われているのが彼らの最大の弱点だ。
「事実無根」は権力欲で維持されているだけだから。
シナジェティクス焚火
静止している部分はどこにもない
炎の安定を望むなら、
動的な平衡を理解しなければならない。
例えば、丸太だけで、ベルヌーイの流体理論を
応用した炉心と煙突は形成できる。
私は発明したこの焚火の方法は
濡れた倒木の丸太しか手に入らない森の生活では不可欠である。
焚火の調整可能な炎と遠赤外線によって
調理のためのエネルギーと乾いた服
そして、温められて開いた毛細血管を得ることができる。
そして、春の星空の下で
深くて厚いダッチオーブンから
サツマイモと里芋や、かぼちゃの丸焼きは
すべてのレシピと調味料を遠ざけるだろう。
原型的なデザインサイエンスの遂行には
シナジェティクス焚火は不可欠である。
しかし、見覚えのない炎の記憶が呼び戻される
このシナジェティクス焚火とその原理を習得した人は
人類でまだ数人もいない。
ニーチェの馬
3.11以後、天安門事件の時より
厳しい報道規制をかけたメディアに
報道の自由は最初からなかったのである。
その後、彼らは自主規制に見せかけながら
グランチの報道官に変貌することで
身の安全と永続性を優先する行為によって
真実はいまも被曝しつづけている。
メディアの自由からの逃避によって
やがて勝ち馬に乗り遅れた人々の
生活が押し寄せる。
水と米と塩を買わなければ生きていけない場所に
閉じこめられたまま。
『我が軍』
経済は戦争の対極としてではなく、その一部として存在する。
表現の自由
<表現の自由>は逃げない。逃げるのはいつも<表現者>だ。
<自由からの逃避>も表現できるから。
戦争機械
ジャーナリストが
ジャーナリズムにプロが必要だと考えている理由は
表現の自由を維持するためには
スポンサーに取材費を負担させる
資格(優れた情報収集能力と分析力に対する)が必要だと考えているからだろう。
プロのデザイナーにクライアントがいるように。
しかし、ジャーナリストの表現の自由には限界がある。
解雇されたら仕事がなくなる怖れを自ら克服する自由が
最初に除外されている専門分化の階層構造に住んでいるからだ。
資金を提供する側が最終的な意思決定力を持っているかぎり
すべての専門分化を自負する人々に、プライムデザインは存在していない。
そして、軍隊のない資本主義が存続できない政治指導者たちの怖れから
見えない戦争機械は、日常的に無意識に広範囲に製造されて
インストールされている。
つまり、あらゆる職業がいずれ絶滅するように
宇宙のテクノロジーが漸進的変化を遂げていくなかで
名誉と生活費を稼ぐ専門家たち、つまり戦争機械は確実に黄昏て行く。
それを危機的に感じないのは、
<unknown>を自覚した無数の群れにいない自律した個人である。
無力な専門家がうごめきながら死に絶えていくこの地球惑星は、
遠隔操作される火星よりはまだ希望がある。
二重性
感じたことをいかに隠せるかを
学ぶのは、早い時期だ。
本に書いてあることを
いかに自分の考えとして表現できるかを
習得するのはそれほど難しくない。
これらの二重性は、群れとして生存するための
条件反射から形成される。
独創性は、この表面化させたくない内面の葛藤なくして
引き出せないのではなく
群は統合された宇宙の知性には到達できないのである。
あるがままの存在は
いたるところに存在しているにもかかわらず
それらに包まれて生きる場を
人々が自ら拒んでいるシステムがあるかぎり。
産業
経済が優先という考えが、産業の進化の過程で著しい障害となる。
これほど根拠のない、しかし、大多数に支持される考えはない。
産業は、少数の人々のアイデアと直観から膨大な富を形成している。
雑草を食べない牛
人間が牛を食べ始めたから
牛は雑草ではなく
穀物を食べ始めたのではなく
アマゾンの森林は大豆畑にされ始めたから
中国人が牛肉と大豆を買い占めたのではなく
人間が直接大豆を食べないように
そして、人間が牛のために雑草を栽培しないように
モンサント社が雑草よりも
大豆の遺伝子組み換えを始めた訳でもない。
牛は本来穀物を好んでは食べないことを
そして、その苦しみを人間が無視したからだ。
大豆を食べない人間が
雑草を食べない牛をお金にしているかぎり
植物と人間の関係の生態学的な無知から
すべての食料不足が生産されている。
石油埋蔵量の間違った刷り込みから
ハイブリットカーが生産されたように
肉食も人類の食の自発性から形成されていない。