コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ

概念とアイデア

アイデアに関する規律のあり方を、
ハッカーだけが断ち切らねばならないと考えているわけではない。

どんな新しい概念も、異なった人間が、
同じアイデアから同時に発想できないという経験は、
アイデアを得る豊かな源泉の一つだ。

しかし、大学や企業内の研究成果で、
アイデアが同時に複数の人間に存在するのは
すでに、アイデアに対する腐敗した環境にいるからに違いない。

異なった経験よりも
アイデアの違いを求める個性は、腐敗した環境を助長している。

有用性(ユーティリティ)

物質的な試行錯誤によって、想像力ははじめて加速する。
自由な思考力だけでは、原理は遠ざかるばかりだ。

ユーティリティ(有用性)と神秘を接近させない人々が
シナジェティクスを
ユーティリティの変容と技術的な透明性とを相互に絶縁させている。

シナジェティクスほど、
ユーティリティに接近できるメタフィジックスはないのだ。

個別の考察

どれほど専心しようとも<個別の考察>だけでは予測できない
統合化されていく自己投企によって現れる普遍的に有利なシナジーの重要性は、
<宇宙のなかの人間>から発見されてきた。

それは、<個別の考察>を支える個性的な人間ではなかった。

思考の考古学

テンセグリティ原理が発見されるまでには、飛躍の諸段階がある。

最初の段階には、バックミンスター・フラーの真の自己に関する
先験的認識(メタフィジックス)が関わっている。

それこそが、ジオデシック構造の発見よりも
テンセグリティ原理の発見が先行している驚くべき歴史を説明するだろう。

テンセグリティの原理の発見の諸段階は、
ダイマクションハウスの開発時に想起された
中央の圧縮材(マスト)の分散化に関する、もっとも難解で長期に関わった
モデル言語の読解の実践過程として捉えられる。

この解読の過程こそ、<思考の幾何学>への考古学でもある。
そこでは、モデル言語が技法に変換されていく自己認識が圧倒的に先行する。

破棄して残るもの

原理の発見方法はこれからも存在しないにしても
蓄積から遠ざかる技法は存在する。

モデリングによる思考というべき
これまでの思考方法の破棄なしには、
シナジェティクス原理に遭遇することはできないだろう。

シナジェティクス原理に遭遇しても
それが原理として見立てられるかどうかは、
破棄して残るものが決定する。

現実の泉

発明や人為的なエンジニアリングによるアーティファクトの革命とは、
社会的な現状を支える政治経済の強い流れに逆らう行為ではなく、
社会的な現状とは別に実在する<現実の泉>に到達する行為である。

<革命revolution>=re(逆らって)+volvere(回転する)
ならば、

発明直後から革命的と称される発明が
<現実の泉>から湧き出たメタフィジックスとは限らないのだ。

観察者

気づいたことよりも
気づかなかったことの方がつねに多いことを
知るにはどうすればいいのか。

気づくために観察する(observe)とは、
語源的に<仕えるために注意深く目の前に保つ(serve)>という
ほぼ従属的な行為ならば、

観察者は、
観察から始める行為から
新たなビジョンはほとんど生まれないという
自らの経験に気づかない。

気づかなかったことを気づくのは
関係の包括的構造化による
全面的変化であり、
つまり非観察的な眼差しから形成されるのである。

自己を自己の外部から観る(=内部を裏返して外部化する操作)
ある種のトポロジーが
その眼差しを支えているのである。

<漸進的変化>

テクノロジーやイデオロギーの<進化(evolution)>という
不可逆的な形態論の誤謬から、そして<進化>という19世紀の言語の迷妄から
解放されなければならない。

e・volveというe-(外へ)+ -volve(回転する)と同時に
involve、つまりin-(中へ)+ -volve(回転する)行為によって
つまり、回転するトルネードのようにして
<漸進的変化>をとげるメタフィジックスの段階なのだ。

もはや進化モデルではなく、<漸進的変化>の加速度なのである。
宇宙の原理の発見に基づく<知>の増大こそが
<漸進的変化>の根源である。

物質化

シナジェティクスに要請されたのは、
ただ真理のみが支配する自由な<思考の幾何学>である。

真理を見るための方法が、
そのまま<モデル>を物質化するためのビジョンと化す時でさえ、
その方法の探査では
これまでのモデル言語の破壊にほとんど費やされているだろう。

物質化はつねに遅延する。