発見されたシナジェティクスモデルを
モデル言語によって解釈する上での
複数性の問題は
モデル言語の定義によって
シナジェティクスモデルの構造から生成される。
つまり、構造を決定する場合の基点となる
絶対的なモデル言語は存在しないのだ。
その視点がどれほどの
シナジェティクスモデルを発見してきたのだろうか。
視点とは、複数性の問題そのものである。
発見されたシナジェティクスモデルを
モデル言語によって解釈する上での
複数性の問題は
モデル言語の定義によって
シナジェティクスモデルの構造から生成される。
つまり、構造を決定する場合の基点となる
絶対的なモデル言語は存在しないのだ。
その視点がどれほどの
シナジェティクスモデルを発見してきたのだろうか。
視点とは、複数性の問題そのものである。
森は移動した結果である。
種子は移動するようにデザインされている。
人間の都市は、戦争か、自然災害によって
強制的に移動する。
シナジェティクスモデルによって
必然的に要請されるのは、
真理のみが支配する自由な思考の領域(=ドメイン)
の初期設定である。
その領域でのみ真理を検証する観察方法が、
そのまま事物を支配する眼差しに変換される過程にこそ、
機能が排除された建築構造などの形態模型(form)の意味作用とは
雲泥の差が形成されるのである。
例えば、シナジェティクスモデルには
浮遊する最小限の構造モデル(=カーボン製パイプからなる直径60㎝の共鳴型テンセグリティ)
さえ制作可能である。
シナジェティクスによって
直観を生み出せるのではないかという期待は、
しばしば<自己の外部>に出るために
どこに向かうのかを何も語らないまま
現実から離脱する手段として、
神聖化された既存の幾何学にすり替えるだけで
直観には至らないのだ。
シナジェティクスは、自然と神聖幾何学を模倣しない。
基礎という概念は
あらゆる教育過程や社会的活動の初期設定を支配している。
あらゆる<基礎=foundation>という概念は
大地の不動性に根拠を求めてきた。
<基礎=foundation>や<根拠>は
その不動の<大地に根を生やすこと>を意味する。
——–人類のほとんどの住宅の構造が、大地から、
つまり、基礎から自立するのではなく
基礎によって大地に繋がれているように。
しかし、<大地に根を生やす>植物においては
発芽する段階に至るまでに、
種子の<成熟と休眠>の時間と段階が存在し、
種子内部での複雑な生理学的変化を生成する。
それらの生理学的過程を経由した後に、
適切な環境条件(太陽光、水分、温度、湿度など)に出会った時
種子ははじめて大地に向けて発芽する。
植物は、環境条件に出会わなければ決して発芽しないようにデザインされている。
シナジェティクスの学習過程では
<成熟と休眠>という生理学的変化を経由しない時、
<基礎知識>はけっして発芽しない。
シナジェティクスは大地から離陸した最初の<思考の幾何学>である。
圧縮材に細長比がある以上、挫屈する。
しかし、テンセグリティの圧縮材は、
その細長比の限界以上に挫屈しない。
細胞は、細胞膜だけでは自律できなかったので
テンセグリティ原理を応用したが、
細胞膜の内部の空洞化は目的ではなかった。
生存のための内部空間を形成する
私の分解型のモバイル・テンセグリティシェルターは
自然を模倣したデザインではない。
シナジェティクスは、発見による統合だけではない。
シナジェティクスによる分析は
自分を外から見る一つの操作主義的な領域を含んでいる。
それは、自己の外で、宇宙と自己との境界を拡張する方法なのだ。
言語に近接していると同時に言語の現在性とは異なるものとして、
言語の現在性を包囲しながら言語から離脱し拡張ていく構造とパターンを
その外部において示すような言語の縁である。
シンタックスとセマンティックな統合はつねに
遅れてやってくる。
物質化はさらに遅延する。
シナジェティクスのモデル言語は
ある前例のないモデルに包含されるのではなく、
他の何かへの関係がモデルに偶発的に変換されることから始まり、
その後のモデルエンジニアリングによって
ついに、モデル言語はモデルなしに他者に伝達可能になる。
<正12面体は5つの正4面体に対称的に折りたむことができる>
という言語だけで、残りのすべての可能性が
瞬時に露わになったのである。
バックミンスター・フラーは、その言語に明晰な最初の他者であった。
しかし、そのような対話から宇宙を学ぶ方法は
素粒子物理学ほどまだ十分に研究されていない。
ギリシア的幾何学思考の黎明さは、
大理石という固体性に基づいた体系化されたソリッドモデリングの歴史である。
シナジェティクスのモデリングとは、思考の黎明さを回復するのではなく
非弁証法的な言語モデルの飛躍を伴う現実化への可能性に近づけるためだ。
頂点部における2面角(dehedral angle)の解放から生まれる
動的な軸角(axial angle)と不変的な中心角(central angle)との
新たな変容するシンメトリーの発見以上に
ギリシア的固体概念からの解放はないだろう。
テンセグリティ構造によるテクノロジー批判の歴史的な視点が存在する。
1.
バックミンスター・フラーによる1949年のテンセグリティ原理を拒否・回避・制限し
固体的構造の定義に立ち返るという記号テクノロジーを支える建築概念の批判
2.
普遍的な自然の構造に対するシナジェティクスモデルと形態モデルとの相違による批判
3.
<記号のテクノロジー>による権威が真理であることを真理として受け入れない場合の
<テクノロジーの確実性>への批判
4.
テンセグリティによるテクノロジーへの批判は
モデル言語の形成過程に深く根ざしているという
メタフィジックスからのテクノロジー批判。
それは、モデリングという手による<無意識の精密機械>への信頼を受容する
シナジェティクスから生まれる。