目覚めている間、いつもの思考方法とは異なる思考ですることができるか、
さらに、慣れ親しんだビジョンとは異なる場で知覚することができるか、
そのことを知るための経験が
シナジェティクスを続けるために不可欠である。
そのような機会が訪れるとき
人間はつねに経済的に貧しい情況に置かれているという
傾向が続いている。
それは、驚くべき漸進的変化(evolution)の兆しのことだ。
目覚めている間、いつもの思考方法とは異なる思考ですることができるか、
さらに、慣れ親しんだビジョンとは異なる場で知覚することができるか、
そのことを知るための経験が
シナジェティクスを続けるために不可欠である。
そのような機会が訪れるとき
人間はつねに経済的に貧しい情況に置かれているという
傾向が続いている。
それは、驚くべき漸進的変化(evolution)の兆しのことだ。
共鳴するとは何か。
自分の外部の何ものをも享受しない
テンセグリティは存在しない。
外部のエネルギーによって
自身をより強化する構造の出現によって
人間のデザインする構造は、ことごとく黄昏れるのだ。
共鳴現象は、人間社会よりも
自然界により多く存在する。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心が
生きる上での自然な姿だとして
その生き方を次第に容認していく時、
社会の構造もそのまま受容した
<世の中>で生きることになる。
しかし、その<世>の構造は
自然の構造とはまったく遊離したものである。
世の中で生きるのか、
その前に、
世に出るためにいきるのか、
あるいは
世を出るために生きるのか、
そのどれよりも
だれもがバイオスフィアに
この瞬間に生きているのだ。
その時空を<世の中>から
排除するシステムを受容する人々が
<世の中>で受ける矯正は
自然の構造を作り上げていく峻烈な試みとは
隔絶したものである。
競争や利己心、嫉妬心や攻撃性、貪欲さと妥協心から
自然の構造が形成する統合力は生まれない。
世の構造はこの統合力を奪う側が支持している。
先のブログは、映画<オデッセイ(ODYSSEY)>を見た後の私の感想だ。
火星の土とクルーの排泄物から土壌と水を用意し、ジャガイモの栽培に成功する。
しかし、糞尿のなかで生存する地球上の微生物群なしでは
クルーは火星でサバイバルできないという
NASAがこの映画のために提供した生物学世界像に私はとても失望する。
専門家によるこの生物学世界像は、明らかに微生物学的な水の再生利用方法に対して
無知である、そうでなければ隠蔽しているからだろう。
火星の基地シェルター内部のインフラは
現在の都市のインフラとまったく変わらない構造は
もっとも非経済的であり、絶望的だ。
(火星でのジャガイモ一個あたりの生産コストは膨大である。)
映画<オデッセイ(ODYSSEY)>は、
現在の世界中の都市のインフラを維持推進するための税金収奪を
長期間にわたって合法化する役目を担わされている。
<無管、無柱、無線、無軌道>の<4つの無>を
最新と思わされている科学テクノロジーに対峙させる構造を
デザインする生命が、唯一、太陽系宇宙に適応する生命である。
皮膜のない宇宙服では大気圏外では生存できない。
皮膜や外殻がないかぎり
すべての生命は宇宙では生存できないにもかかわらず
テンセグリティやジオデシックドームよる
大気圏内の宇宙開発は確実に遅延してきた。
バイオスフィアという
最大のインドア(=大気圏)が素晴らしくデザインされているがゆえに
アウトドアのドームテント以上に
モバイル用のインドアはデザインされてこなかったのだろうか。
初期モデルのバックミンスター・フラーのダイマクションハウスから
第2次デザインサイエンス革命による
テンセグリティシェルターのプロトタイプ完成まで60年以上を経過している。
デザインサイエンスが供給する
テンセグリティシェルターでの
モバイル用インドア生活は
すべての都市インフラを不要とするデザインがなければ
真のモバイル性の自由度から形成される
精神の自律性は実現できないという前提は
この半世紀間変わらなかった。
無線、無管、無柱、無軌道を実現する
デザインサイエンス革命による4つの無は
無為自然というテクノロジーへの進化過程に置かれている。
思考するモデルとは何か。
この驚くべき経験と発見は、
いったい一体何を意味するのか。
そして、シナジェティクスは
バックミンスター・フラー以後も
現在も、この思考する幾何学モデルは発見され続けている。
それは<シナジェティクス3(SYNERGETICS vol.3)>として公開される。
モデル言語と共に。
学校教育で学習され、矯正された知性は
シナジェティクスの感性的直観にことごとく対立するが
感性的直観は真の知性にも還元不可能である。
デザインサイエンスに必須な想像力でさえ
シナジェティクスの感性的直観の
根源的なゆえにデザイン不可能な
宇宙の原理的な生産力に従うだろう。
『シナジェティクス』(さらに『コスモグラフィー』)によって
構造が最近の発見(第2次世界大戦直後)であるという
核心的な理解を抱くことができる。
自然の構造が、概念以上に見えないならば
シナジェティクスが自然を発見する知的体系よりも
モデルがシナジェティクスを発見する
<モデル現象学>から学ぶほうが
より<野生的>である
新しい構造は
つねに野性的思考から発見されるだろう。
構造と思考は、不可分だから。
私にとって、熟考(consideration)は
個人の<動機>を意味するが
法律的には<対価>を意味している。
個人は熟考し行動できるが
政府や大学はそれ以上に熟考し行動すると考えている
社会構造を拒否してはじめて
シナジェティクスは、もっと単純に理解できるにちがいない。
もっとも包括的な思考形態と方法は
これまでの権力構造に属していたから。
稀少性と特異性を
個性が求める時
創造性の限界に陥るばかりか
自然の不毛性へと誘惑される。
幾何学を表現の手段にする人々は
シナジェティクスを回避するだろう。