高速で移動する自動車や飛行機が移動の手段として
船のように素朴に見えるまで
自動車や飛行機は利用されなかったように、
テンセグリティが人間の生存手段のためのモバイル構造として
もっとも単純にそして素朴に見えるまで
すべての機能を再現したテンセグリティモデルを
繰り返し制作しなければ
テンセグリティシェルターがデザインできないのは
デザインサイエンスの独自の戦略ではなく、自然の戦略なのだ。
その時に再び自然は
テンセグリティの新たな構造原理の物質化へと導くに違いない。
「コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ
シナジェティクスとデザインサイエンス
シナジェティクスは古典幾何学の延長ではない。
また最後の幾何学でもない。
シナジェティクスは包括的科学なのである。
デザインサイエンスはプロダクトデザインではない。
シナジェティクスなきデザインサイエンスは存在しないからだ。
それらは互いに相補的である。
冥福は祈れない
冥福とは死者の行先である
冥界での幸福を意味するならば
冥福を祈るのは、信仰心がない人が
死者の迷いを想定している虚しい行為になる。
———死への怖れから
そして、死への怖れから
死者を同情するほど死を遠ざける行為はないのだから
冥福は祈るのではなく
死者の安否と迷いを気遣うしかないのである。
われわれの存在が星のかけらから始まって終わるのが
宇宙物理学ならば
夕暮れから裏庭で焚火をして死者の数だけ
流星をみるのは21世紀でもコズモグラフィーに違いない。
流星は毎日100トンもバイオスフィアに降り注いでいる。
———-火山灰のように
黄昏
同時に、危機を分断することによって
支配以外の動機のない彼ら(=グランチ)は
自ら黄昏れているのである。
軍事テクノロジーと
富の大半を記号化する贈与経済は
人類の全生産性以上に加速度的に増大し
国家の補助金と株の配当金にしか
変換してこなかったからだ。
続)分断された危機
バイオスフィアは一つであるが
火山学と地震学、
そして地球生物学と宇宙物理学は
それぞれ相互の関係を失っている。
そして、それぞれが
異なったスパンの予測ばかりしているのは
人類の危機に関する予測がお金になるからだ。
分断された危機こそ
人類の生存にはもっとも危機である。
分断された危機
70人を超える今回の死者のなかに
警察官はふくまれていたが
気象庁の関係者や学者は一人もいないようだ。
彼らには火山には研究目的以外に近寄らない習性がある。
専門家の危機意識が補助金獲得以外で
広く共有されていないかぎり
彼らの知性とモラルは低い。
モデル言語とシナジェティクス
実験室で化学的に合成される遙か前から
おそらくバイオスフィアが誕生する前から
フラーレンやナノチューブは大気圏に落下する無数の隕石にあったように
テンセグリティはすべての細胞にデフォルトとして存在していた。
そしてフラーレンやナノチューブでさえ
テンセグリティ構造という構造の一般化は
実験室では認識できなかった。
自然のもっとも純粋な構造は
観察ではなくモデル言語が生成する概念によって
はじめて理解されたのである。
あきらかに自然の構造が言語の構造に影響を与えているにもかかわらず、
科学的観察からこの自然の構造とその一般化が発見できなかった事実を
シナジェティクス以外の科学は指摘してこなかったのである。
モデル言語
数学では未知数の数に応じて
関係式を作る。
シナジェティクスは
原理の理解のために
モデルを制作するのではなく
モデルの数に応じて
神秘に遭遇する。
10歳までにこのモデル言語は習得可能だ。
デザイナー
より働かないためのデザインは僅かしかない。
解ける問題しか興味がない学生は数学者にはなれないが
デザイナーは自分がデザインできる
見えるモノしかデザインしない人がなれる。
自然の99%が人間には不可視なのは
自然のデザインが、自分自身の生存を最後に考えて行動したのでなく
すべてを考えて行動した結果だからである。
主観的な人々
気象庁が今回の火山爆発を予測できなかった事実を
認めたのは、爆発後であった。
3.11の時も、放射性物質の大気圏内の分布の予測を公開したのは
広範囲に日本列島が被曝した後であった。
無数の生命を保護するための様々な
科学的で社会的な保障システムは開発され運用されているが
実際はほとんど機能していない。
超専門家たちは、グランチに雇用されることで
主観的な見解を述べるだけで
客観的に人類には働きかけない。
彼らが精神的に経済的に自律した個人ではない以上、
科学的で社会的な保障システムの運用と管理を
超専門家や政治経済機構に委託すべきではない。
われわれが、すべての社会的保障システムの
開発と運用と管理に関わらないかぎり
生命を保護するための客観的な選択権は委託されたままだ。
主観的な人々は、知的にけっして人類には働きかけない。