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科学教育

原理を発見した科学者が
その原理の仕組みを論理的に説明できるが
なぜ発見できたかは論理的には説明できない。
自然に関する論理性は
原理の発見後にしか再構成できないのである。
ほとんどの科学教育理論は
原理を発見した科学者自身がこしらえたものではないかぎり
人間が望んでいる論理性に偏向し過ぎている。
科学的な思考方法や専門化された公式などが
教育できているだけである。
つまり、科学を構成しているすべては
教育できないのである。
この事実を教育する教育理論は希有である。

陳腐化のためのテクノロジー

科学研究の目的は実用化への口実を元に
科学テクノロジーは実際は記号テクノロジーの変形となり
しばしば補助金獲得の競争になっている。
権力テクノロジーに接近し集結した科学研究者という組合同業者の中では
あるがままの自然を理解するための実践はたえず後退している。
懐胎期間を超える真の実践は
補助金獲得によって、記号化された実用化とは異なる。
なぜなら、懐胎期間を短縮する真の実践こそは、
権力テクノロジー自体を深く陳腐化するからである。
陳腐化のためのテクノロジーは
人間の目的意識や欲望の物質化ではなく、宇宙に属する。

Doing everything with nothing

すべての原子は互いに掛け替えられ
掛け替えられる毎に劣化しないのである。
掛け替えのない
唯一無二の美や心の優しさ、喜びが
個人の生活を支える根拠と見せかける社会が
戦争の根拠を捏造し
疫病の恐怖で人々の行動を制限し
われわれを徐々に破壊しているのである。
夕暮れから焚火をして
星々の瞬きと共に眠りにつく前に
焚火の炎よりも輝く
流星群を見る生活を記憶した末裔までも
殺してしまったのである。
唯一無二の網膜を超えた解像度でさえ、再び、
無限に掛け替えられる美や心の優しさ
そして、喜びを見ることはできない。
原子の役割が原子周期律表に記載されなかったように
人間の役割が、まだ記号化されていない惑星にいる。

環境デザイン

実践によって環境をデザインできる。
しかし、環境を支配できないのは
人間は環境の一部でしかなく、
どの部分からも全体から見通すことすらできないからではなく、
「環境とは、自己を除くすべて (R.B.Fuller)」だからである。
そして「宇宙とは、自分を含むすべて (R.B.Fuller)」であり、
自己を除外して全体は存在しないからである。
環境デザイン理論は、洞察の一形式であり
ダーウィンから始まった生態学的思考形式の一つのタイプでしかない。
環境の部分も全体も
自己を除いて互いに繋がっているにすぎない。
こうして、科学的行為に自己を除いて
投影された理論を求めている人々を
知的だと考える習慣がまだ生き残っている。

科学論文

科学論文投稿までには
「1. 着想・企画、2. 実験の実施、3. データの解析と図表の作成、
4. 論文の文章の書き上げの4段階」があるらしい。
科学的発見の過程に
科学論文の記述方法の天才性などは介在しない。
なぜなら、科学は<着想>から始まるのでなく
<発見>から始まるからである。
優れた<着想>を作り上げるための科学論文の記述方法の天才性などは
専門分化に従事する専門家たちの自惚れである。
原理の発見者とその概念化におけるパイオニアは、
しばしば、論文のレフリーや熱狂的な投稿者とは無縁な生活をしている。
シナジェティクスは学会を形成しない純粋科学における
探究方法を開発してきた。

告白(profess)

プロフェッサー(professor)とは
信仰の告白者へのレッテルであった。
さもなくば、眼鏡をかけた賭博師か
酒場のピアニストであった。
20世紀のプロフェッショナルとは
知識を商売にする人々である。
その語源は
自己を偽って称して生きる者たちへの
揶揄であった。
シナジェティクスに教授は不要だ。
自己と宇宙の無数の動的な関係に
人格は介在しない。

計算法

数学の種々の計算法のいくつかは
いわば人間の虚勢ゲームとして登場した可能性がある。
グランチには
その盲目的な人間の虚勢方法を
独占する価値があったのである。
学生の数学の才能のほとんどは
その計算方法に適応する能力として
認識されている。
シナジェティクスは
自然に内在する数学システムを発見するのみである。

気象兵器

自然の作用を意図的に操作によって
地球または宇宙空間の構造と組成パターン、そして運動に
変更を加える気象兵器のテクノロジーが
どれほど意図的に予測的に環境を改変しようとも
自然や人間に損失を与えるかぎり
恐怖から生じる無知であることには変わりない。
自然に異常気象はない。
あるのは、加速する気象兵器のテクノロジーと
気象兵器の存在を無視した気象統計学と
超専門分化した予測能力の不足だけである。
自然に人工気象は存在しない。
あるのは、テクノロジーを作り出せると思い込んでいる
人間の思い上がりだけである。
気象兵器をデザインできても
バンアレン帯を人間がデザインしたわけはない。
「環境とは自己以外のすべて、宇宙とは自己を含むすべて」 R.B.F