気づけば気づくほどまた疑いたくなる。
疑いによって、自己は変わらない。
経験すればするほど
知識はなにも変えないことに気づく。
しかし、概念を破壊しないかぎり
経験も自己も変わらない。
概念を破壊すれば
自然にもっと学びたくなる。
「コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ
宇宙はテクノロジーである
原爆の日にヒロシマにいる。
「バックミンスター・フラーの1927年の認識(メタフィジクス)は
エコロジーを有限なバイオスフィアにだけ求めるテクノロジーと対立してきた。
産業社会が生き残りをかけたテクノロジーは
92種類の再生的な化学元素を発明したわけでも
あらゆる生命を維持するこの惑星を発明したわけでもない。
人間がどんな生命にも容認される方法で
基本的な環境の変化に適切に意識的に関与できるテクノロジーは
つねに発見されてきた。」
このテキストは『宇宙エコロジー』が出版された2004年に、
私が本の帯に書いたものである。
惑星地球用の局所的エコロジーは、二酸化炭素を増加させない
原子力エネルギーを容認してきたばかりか
軍拡を制御することはできなかったのである。
残像(after image)
遅延は
生命現象のすべてに横たわる
逸脱現象である。
遅延とは
認識できない<無>との間隔である。
人間はチンパンジーよりも
はるかに長い間隔を持っている。
人間が認識するためには
曖昧な残像を待たなければならない。
そして、その残像を言語に変換する。
視覚
テンセグリティ構造に至っては
触覚から思考する意味は
ほとんどないのである。
圧縮力と張力の相互関係は
部分的な触覚情報からは
理解不能である。
さらに、シナジー作用は
視覚情報からも理解は困難である。
それはすばらしいことではないだろうか。
触覚
生きるための重要な判断は
触覚に委ねられている。
直接モノに触れる感覚器からの情報に依存している。
モノに触ることから
思案しはじめる傾向が生まれる。
そして価値を判断するために
どんなモノ(自動車やパソコン、そして不動産など)に対しても
手で触れるという無意識の行為を引き起こしている
にもかかわらず
触覚に依存した判断結果は
信頼するに乏しい。
客観的
理解とは
客観的な完全性である。
現金がなければ
現実化できないと考えるのは
主観的である。
プラトン哲学
モデル言語は
ある対象について観察者のそれぞれ異なった理解を
組み立てるような方法で学習する
構成主義的自己教育からは
誘導されないようにデザインされている。
例えば多面体をどれほど対象化しても
ベクトル平衡体は発見されなかった。
正多面体(Platonic Solids)が引きずる固体的概念を破壊するには
ギリシア時代のプラトン哲学から
25世紀も経過しなければならなかった。
多面体は固体的な概念から再構成された
静的な対称性を形態化したにすぎない。
事物ではなく
自然の先験性を再現したシナジェティクス・モデリングを
ありのままに観察することによって
言語は非常に鋭敏になる。
モデル言語を生成するシナジェティクス・モデルは
先験的な概念の宝庫である。
神秘
科学にとって
神秘は神秘学の対象ではなく
科学者になる経験に基づいた最初の動機である。
しかし、その動機の有無は
科学論文の書き方からは除外される。
手の機能
コウモリの飛行能力は
手の骨格と手の筋肉と皮膚が進化した結果である。
手の指の間の領域が
鳥の水かきから水力を形成するように
揚力を生成する膜面を形成しているからこそ
空中で自在な方向転換ができるばかりか
その大きな手を閉じて(あるいは翼を折り畳んで)
後足だけで逆さにぶら下がることができる。
彼らは夜間の空中を高速で機敏に移動するために
光学的な視力と後足の筋力を失ったのである。
人間の視覚と小さな手は
<思考する精密機械>として機能している。
とりわけ、シナジェティクス・モデリングにおいては。
失敗
失敗は
人間が作り出した概念だから
失敗から学ぶ行為は
自己欺瞞である。
失敗や間違いがない自然には
無数の神秘が潜んでいる。