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美的存在

彫刻家によって
テンセグリティ原理が応用されるとき
構造の軽量化よりも
美的存在とその永続性を優先した
素材が選択される。
ステンレスパイプやワイヤーロープなどの
腐食しない重い金属が必要とされる。
さらに決定的に
皮膜材を張力材に採用しない暗黙の了解がある。
つまり、美的なオブジェとしてすべての細部がデザインされ
テンセグリティは空間構造としてはけっして考察されない。
素材の構成から<構造>を除外した概念が解析できるのは
流行する様式のように
衰退していく思考方法の特徴であるが
それゆえに伝染しやすい。

数学と軽量化

軽量化とは
他の部品や部材
そして、環境や概念との関係においてのみ
存在しうる概念である。
事物の総相互関係(=三角形化)が完遂したネットワークとして。
建築の空間構造が、記号の法律言語(コード)に依存しているかぎり
人間が大気圏内で安全に健康に生活できる最軽量の空間構造は
もはや建築の領域ではない。
空間の超・軽量化は
航空機の翼やロケットの胴体の構造のエンジニアリング以上に
非物質化(エフェメラリゼーション)の前駆体なのである。
構造とパターンは
もっとも純粋なシナジェティクス数学に接近する。
漸近的な極限では
数学による軽量化だけではなく
数学の軽量化さえも生成されるのである。

再生的

デザインサイエンスプロジェクトを展開していると
ほぼ周期的にデザインサイエンスに貢献したい若者と出会う。
彼らは<掛け替えのない>人生を求めている。
貢献とは
理想とする誰かか、あるいは何かになろうとしているだけの
偽装した逃避のひとつである。
<掛け替えのない>行為は
人間が陥りやすい奇妙な思い上がりであり、
混乱のはじまりである。
その目的を達成するための社会的な選択的プロセスこそ
再生的宇宙に反する。

簡素に

過去も未来も局所的すぎる。
問題をその場で解決する能力は
過去にも未来にも依存しない<包括性>から生まれる。
自己放棄は<包括性>の簡素な現れである。

抽象的思考

すべての発展は物質から抽象に向かう。
しかし、抽象的思考そのものは
それを思考する人の死と共に消滅するが
装置やプログラムは長期間生き残る。
抽象的思考がより長期的に生存するためには
装置やプログラムのより短期的な陳腐化も
加速しなければならない。

構造とパターン

人類の生活空間を支えてきた構造の全否定こそは
最も客観的な数学的行為である。
無線、無管、無柱、無軌道という
4種の自律性を具現化しながら
最終的に経済的にモバイル可能な空間構造は
新たな数学的な<構造とパターン>の発見に従うだろう。
<構造とパターン>こそ
つねに機能と形態とのシナジー的な関係を生成することができる。
「形態は機能に従う(form follows function)」としても
その結果、生まれたのは高層鉄骨建築だけである。
その「柱・フレーム」構法のデザインは
モバイル可能な超軽量な空間構造を生まなかった。
なぜなら、もっとも単純な<構造とパターン>は
人工物のために生まれたのではなく
つねに自然から発見されている。

<自律的>

教育の最終段階は
自己教育システムの開発である。
自己教育は<自律的>である。
真の<自律的>教育システムは
非人格的な存在である。
それは先験的なシステムの発見でもある。
その開発と発見にもっとも反対しているのは
教師とその組合である。
非人格的な存在が見えないように
終身雇用システムは
試験と教科書で教育を管理する方法に始終している。