コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ

一時的

化学化合物の結合状態は
つねに一時的である。
限定された結合の可能性から形成されているから。
われわれの経験は
すべて一時的である。
無限の結合の可能性から形成されているから。
にもかかわらず
われわれの経験は互いに似ている。
無限の結合の可能性から
遠ざかりたいから。

実験講義

私のスタジオ内で連続3夜、計36時間講義と
プロダクトデザインを同時進行させる実験講義とワークショップで
プロトタイプ1号機を昨晩完成した。
明日は2号機の作成に挑戦する。
しかし、挑戦とは
昨日までの蓄積を如何に短時間に棄てられるかだろう。
それを可能にするのは
シナジェティクスとデザインサイエンスの
相互補完的な機能である。
大きさを超える行為と
大きさを与える行為を支える相補性は
非鏡像的である。

遅延

現実を認識するためには
残像を待たなければならない。
テレビの同時中継でさえ
画面の無数の走査線の
初めと終わりでは時間差がある。
<同時>という仮想現実に生きているよりも
はるかに<非同時>の現実を生きている。

基準

すべての経験は一時的である。
経験と経験とを繋ぐ関係は、
メタフィジックスであり
その関係を実在するものに変換できない。
絶対的で無条件なものは、
変換不可能であり
つねに静止的である。
したがって、経験的には無意味である。
しかし、独裁者は
その静止的な基準ゆえに独占したいのだ。

<有理>と<無理>

シナジェティクスの諸原理を構成している
自然の<理>は教えられない。
包括的デザインサイエンスの専門的作業やその項目、
そして、それに関連した科学的・数学的な一般式に関してのみ
教えることができる。
この教育の不可能性は、現代ではほとんど教育されない。
自然の理は、宇宙の神秘と調和に遭遇するための
メタフィジックスに属する。
そのメタフィジックスには
自己を教育するための
<有理>と<無理>が存在する。

パリティ(parity)の物質化

パリティ(平衡、偶奇性)の相補性は
不等価、非平衡であり
イメージの反転(鏡像対称)ではない。
相補性は鏡像対称性とは異なる。
パリティ対称性が保存されない物理的な事実が発見されて
ほぼ60年が経過している。
しかし、世界を二分するイデオロギーは
概念の鏡像対称性によって
戦争と平和を維持してきたので
宇宙でも<左>と<右>の概念が
応用できると考えている。
自然は、パリティ(parity)の相補性、
または、非平衡の物質化において
鏡像を使わない。

同一性(identity)

自分自身でありたい欲望は
その他の試みがことごとく失敗してきた
経験から生まれる。
脳が形成するこの特殊な自己同一性(self identity)から
普遍化は生まれない。
同一性が損なわれると
社会での役割拡散や排除性が生まれるのではなく
(たとえ、同一性が獲得されたとしても)
宇宙における人間の役割が
除外される過程が反復されるだけである。

極小システム

線分(line)とは
隔たった2つの極小システムとの関係である。
テンセグリティがジョイントレスに見えるのは
古代ギリシアの数学者ユークリッド以後
その極小システムには
大きさがないと教育されてきたからである。
21世紀の個人という極小システムには
自由があるが
国家システムという全体に
ほとんど影響を与えられない存在であると
信じ込まされている。
同時に、隔たった2つの極小システムとの関係も
加速度的に消失し始めているからこそ
<部分から推測できない全体の働き>よりも
<部分から推測できる全体の働き>が
より多くの部分を覆い始めている。
それらの部分は
部分と全体との関係には
もはや無関心である。