シナジェティクスの理論開発者もいない。
その指導者もいない。
何をなすべきか教えてくれる人は誰もいない。
それはシナジェティクス原理を発見するための
最良の条件である。
どのような状況からでも
シナジェティクスモデリングを始めることができる。
手は思考する精密機械であると同時に
作業仮説の直観的な実践者でもあるから。
そして、群れのための思考言語の最初の破壊者である。
「コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ
2つの加速度
エフェメラリゼーションは
物質とエネルギーだけではなく時間に対しても共に加速する。
クリティカル・パスを学ぶだけではなく
デザインサイエンスを実践することで
はじめてこの2つの加速度を理解し経験できるだろう。
つまり、自分と宇宙との相互作用のことを。
改革者
政治的・経済的な改革者は
人間の根源的変革に対してではなく
社会システムに対して
もっとも有効な防御機能を果たしているように見える。
彼らはこれまでの思考様式
およびその全過程を否定する行為に対して
巧妙に回避するばかりではなく
むしろ妨害するシステムに従事しているだけである。
彼らの思考言語をことごとく否定できる
唯一の愛(=cosmic integrity)からより遠ざかるのは
その見えない統合力をもっとも怖れているからだ。
——–重力に対するように
距離からはけっして逃れることができないにもかかわらず。
シンタックス生成法
方法論は
理論、概念、理念の収集と編集であるが
モデル言語は
それらを構成する基本言語とその生成である。
独創的な方法論には
モデル言語の生成が含まれている。
モデル言語は
個人の独自な経験における一般化に関わっている。
経験の一般化によって
シンタックス(体系、配置)とセマンティック(意味)が
直接的な相互作用をするのである。
独創性は
個人の特殊な経験の違いに求めるよりも
経験の一般化に求められるだろう。
シナジェティクスは
シナジェティクスモデリングの過程において
シンタックスとセマンティックの相互作用の統合化、
つまり、モデル言語の生成とその統合化を
探査しているのである。
作業仮説
人間のために建造されたほとんどの建築空間は
自然の原始的な変容だけではなく
人間が作り出す基本的な概念の変容に対して
その建築空間を生み出した思考自体と共に
危険な障害物となる。
大多数の建造物の寿命は人間の平均寿命よりも
短命であるにもかかわらず、
宇宙空間がつねに静止的であるという
19世紀的な作業仮説ゆえに。
続)自然のリダンダンシー
ケネス・スネルソンが球状テンセグリティを作品に利用できなかったのは
バックミンスター・フラーの先行するシナジェティクスと
テンセグリティ原理の発見に干渉するだけではなく
人間の生活空間への利用の可能性を否定することで
新しい芸術様式を成立させたかったからにちがいない。
(同時に、スネルソンはバックミンスター・フラーが最初に概念形成した
tensegrityという造語の最初のユーザであったことに
注目しなければならない。)
科学的解釈が達しない芸術の拠り所をテンセグリティに求めた瞬間に
彼はテンセグリティの科学的な構造原理を
自ら排除しなければならないジレンマに陥ったのである。
それゆえに、彼が思い描いた新しい芸術様式が
20世紀の後半に隕石の内部から発見された
フラーレーンにも複製されていた事実は決定的であった。
テンセグリティ構造においては、人間は発明することも
表現作品のオリジナリティを作り出すことも不可能であった。
付加的でない自然のリダンダンシーを否定する人々は
宇宙の現実をあるがままに受け入れる科学的な試練に対して
絶えず原理の発見へと導いているこのメタフィジックスを知らない。
自然のリダンダンシー
人間は自らの体重を骨格だけで支えてきたのではない。
60兆個の細胞はもっとも安全なテンセグリティ構造を採用してきた。
人間が生活空間として使用する構造としては
テンセグリティは危険すぎると考えて
彫刻作品のみに利用してきたケネス・スネルソンは
テンセグリティ構造の自律的な外力分散システムや
付加的でない自然のリダンダンシーに対して
まったく無関心である。
あるいは無関心を装っている。
空間構造の安全のための新たな代替手段を確保する可能性が
まったくないという前提から
彼は芸術作品としてのテンセグリティの存在意義を
形成してきたように思える。
美的価値はしばしば科学的な発見によって瞬時に破壊される。
個性について
他人との違いを求めて
賢くなれる教育によって
個性が形成できると期待するのは
自己中心的なカオスの始まりである。
宇宙は、もっとも豊富な水素原子に個性を求めなかった。
———-他の原子との絶えざる動的な相互作用以外に。
相似性(similarity)
互いに似ている人は退屈である。
それを求められたことを知らないからだ。
こどもはまだ互いに似ていない。
相似性が形成されていない段階の
こどもの教育環境には
互いに似てしまった大人たちは
まったく無関心(indifferent)である。
思考言語
テンセグリティに関する知識は
すべて限定され部分的である。
思考言語は
まだテンセグリティの統合性には到達していない。
統括され続けている言語は豊富だが
統合性に組み込む言語は驚くほど少ない。