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シナジェティクスの技法 再考

微積分学は、可視化するシナジェティクスから遊離する
科学者たちのはったりゲームには不可欠だった。
計算技法の独占に対する興味が尽きなかっただけである。

アルキメデスは、球の体積と表面積を微積分学ではない方法で発見している。
分離力よりも統合力は、つねに直観に誘導される。
そして、直観は統合力の方が優れているための技法さえも破壊する。
シナジェティクスは技法をデフォルトに回帰させる。

宇宙の原理

「現実は、全世界に公開したあるいは公開されない官僚政治システムで
維持されてきたが、毎年肥大する軍事予算を記述する思考方法が
宇宙の原理を記述する思考言語には到達することがないならば、
再びこの現実を統括できないばかりか、
選任された指導者や受益者を有利にすることもできないだろう。」
バックミンスター・フラー 1981

無(Nothing)という未知(Unknown)

社会科学において、情報は「発信者または受信者にとって何らかの意味を持つもの」として扱われる。
「記号−意味」化された情報が世界のコミュニケーションを形成している。
コミュニケーション世界において、
「記号−意味」化された情報をもたない領域は「無意味=ナンセンス」と呼ばれる。

自然科学において、情報は意味を考慮に入れない符号として扱われる。
例えば、存在しない物は数えられないという概念を打ち破ったのが、ゼロの発見である。
「宇宙(Universe)」には、この既知なる概念のすべてが含まれる。

一方、東洋のメタフィジクスにおいては、
意味を考慮に入れない符号さえも存在しない領域は「無(Nothing)」として扱われてきた。
「未知(Unknown)」とはこの「無」を含むすべてである
(一方、コミュニケーション世界における「未知」とは、「記号−意味」化された情報の不在だけを扱っているのである)。

シナジェティクスによる「自然(Nature)」の定義では、
この「未知」と「宇宙」を含む。
この「自然」という概念の劇的な変容は、
ことごとく科学的原理の発見=既知なる符号間の新たな相互関係によってもたらされたものである。

空腹から空頭へ

本当に空腹になってから何かを食べれば何でも美味しく感じやすくなる。
同時に、本当にまずいものにもより敏感になれるだけではなく、食べない自由を自覚することができる。

頭と知識の関係もほとんど同じである。
われわれはつねに美味しい知識を食べ過ぎているから空頭にすればまずい知識に敏感になれるだけではなく
うまいまずいを超えた知識との相互関係が見えてくる。
そして、食べない自由のすばらしさを自覚できるはずだ。

そして、空腹と空頭とを同時的に連動させて学習するとそれまで未知だった物事の相互関係が
もっとも効果的に発見できるにちがいない。

650万年間、人類の圧倒的な時間は、意図に反して空腹と空頭に費やされてきた。

食欲も知識欲も満腹にさせるほど直観は機能しない。
非常事態の種族保存には直観の不在化がもっとも危険な行為だったからだろう。

公理からではなく

シナジェティクスは、幾何学ではない。
幾何学にしては、物理学的すぎ、物理学にしては哲学的すぎる。
哲学にしては詩的すぎる、そして詩的にしてはメタファーが科学的すぎる。
シナジェティクスがつねに公理ではなく経験に基づいて思考してきたからだ。
シナジェティクスほど包括的な宇宙的ドメインを分断する学派は不要だ。

SYNERGETICS
Fig. 542.02 Tetrahedral Analysis of Plato’s Triad: