モバイル・シェルターの環境制御とは
回転する角度・屈折・反射・磁力、重力などの
異なる物理的作用を相互に関連づけながら
選択可能な環境的要素とそれらが織りなすプロセスを
包括的に管理する技術である。
相互に関連する環境的要素とは、
光(エネルギー)、温度(断熱)、太陽の軌道(方位)、空気(流体)、水(湿度)、
植物(光合成)、微生物(共生)、人間の主体(メタフィジックス)である。
モバイル・シェルターの環境制御とは
回転する角度・屈折・反射・磁力、重力などの
異なる物理的作用を相互に関連づけながら
選択可能な環境的要素とそれらが織りなすプロセスを
包括的に管理する技術である。
相互に関連する環境的要素とは、
光(エネルギー)、温度(断熱)、太陽の軌道(方位)、空気(流体)、水(湿度)、
植物(光合成)、微生物(共生)、人間の主体(メタフィジックス)である。
考えたことは、書くよりも、
ipad proの音声認識アプリでテキスト変換したほうが
正確で早いだけではなく、話しながら考えることのほうが
より自然である。
言葉は、思考を生成するが、声が思考を外部化する。
人間は、完全さを求めて生きられない。
しかし、まったくの不完全さのままでも生きられない。
人間はどちらからも逸脱することができる。
少なくとも唯一無二に見える焦点に拘束されないように。
焦点からの逸脱がたとえ逃亡であったとしても、
逸脱は全方向性への自由度を備えている。
自己を維持する唯一の関係は、個人の<主観性>にある。
しかし、この自己に対する自己意識が、
<自己と他者>との、あるいは<他者と他者>との関係に置換され続けるならば、
権力こそ、自己に対する自己意識でつねに満たされているのである。
これ以上の主観性の偽装はないだろう。
しかし、主観性の欠如は、誠実さの犠牲と反対称的に共存する。
バックミンスター・フラーが講義で使用していた
球状のテンセグリティモデルは、飛行機での移動には不適切であった。
講義の前に僅かな時間で組み立てられる方法よりも
折りたためる構造をすでに発明していた。
この方法は、まだどの文献にもBFIのアーカイブにも存在していない。
見えないモデル言語は、まだ未整理のままなのだ。
シナジェティクスの有用性は、現在の数学には属さない。
物事を理解すれば、それらを相互に秩序づけたくなる。
あるいは、秩序の存在を感じた時(作用)に、理解が訪れる(反作用)のかもしれない。
しばしば、その作用効果として人間は自発的に座り込む(結果)。
身体を一時的に静止して熟考することで、さらにダイナミックな知性が形成される。
シナジェティクスは、微積分や微分方程式を使用しない。
シナジェティクスは直接的にシナジェティクスのモデル言語を発見する。
微積分は、数学から視覚を失わせて独占的な利益を獲得できる手段である。
視覚を排除した時のはったりゲームに学生たちは自覚なく溺れていく。
はったりゲームの魅力は、政治経済だけに終わらない。
人間の視神経の束の直径は他の神経に比較して格段に大きい理由は
シナジェティクスの原理の発見方法とそのプロセスで証明されてきた。
シナジェティクスでは、空虚は埋めるべき不足でも、消滅した空間の残像でもない。
空虚と実在は、非対称的ではなく、非鏡像的で相補的な空間なのである。
この概念のモデリングはモデル言語から始まる。
圧縮材と張力材が互いに影響しあう作用だけで
外部エネルギーを完全に内部に循環させ、重力にも依存しない。
これがテンセグリティの無機的な特徴である。
テンセグリティの動的でしばしば有機的に見える均衡力が、
すべての科学分野での理解を超えていたのは
テンセグリティモデルが観察から発見されなかったことにあるだろう。
フラーレーンの電子的存在を発見する40年前に
バックミンスター・フラーの思考の幾何学で捉えた概念的モデルが
1949年球状テンセグリティを生成したのである。
同時にテンセグリティの科学的評価が1980年代のフラーレーンの発見まで遅れたのである。
シナジェティクスが、机上理論(desk theory)に
優先する発見型机上モデル(desk model)による、
新たなシナジェティクス原理の発見へと誘導される時、
絶対的な数学的な証明を伴うコスモグラフィーへと統合されていく。
秩序は、つねに発見されてきたが、
自然の秩序を陳腐化する秩序は、自然には存在しない。
秩序は階層的であるが、人類の社会はまだ階級的である。