自然は、われわれの思考形式に先んじて、
そして、構造の概念の革命に先んじて、
動物や植物の細胞をすべてテンセグリティ化していただけではなく、
ほとんどの隕石に含まれるフラーレンさえもテンセグリティ化していた。
元素を内包するフラーレンには,第2の周期律が存在する。
元素を内包するフラーレンには、超伝導、半導体、磁性のいずれかの機能が備わっているが
フラーレンを構成する炭素原子自体や内包された元素から
それらのシナジー作用は推測不可能であった。
自然は、われわれの思考形式に先んじて、
そして、構造の概念の革命に先んじて、
動物や植物の細胞をすべてテンセグリティ化していただけではなく、
ほとんどの隕石に含まれるフラーレンさえもテンセグリティ化していた。
元素を内包するフラーレンには,第2の周期律が存在する。
元素を内包するフラーレンには、超伝導、半導体、磁性のいずれかの機能が備わっているが
フラーレンを構成する炭素原子自体や内包された元素から
それらのシナジー作用は推測不可能であった。
より加速度的に増加する局所情報を劇的に無化するシナジーは、デザインできない。
局所的に激しく強く受ける外力エネルギーを
非同時的に全体に分散する機能に変換するばかりか、
システムを通過する外力エネルギーをよりシステムを強化するために振動し、
それゆえにより軽量化を果たしながら
動的な均衡を維持するテンセグリティモデルさえも。
同時的すぎる思考の防御方法は、固体的でより脆弱になり、
そして統合されたテンセグリティを不安定でより危険な構造とみなすほど
自然に対して傲慢なのである。
分断し征服するための全体は、無数の局所の積み上げから成り立っている。
自然法則に反した情報がより局所的に分断するための
疑似グローバル社会を動かしている。
原子核の全体質量はそれを構成する各核子の質量の総計よりも
少なくする自然のシナジー戦略は、核兵器と原発以外に
まだ21世紀の政治・経済、そして教育には反映されていない。
シナジーは、より加速度的に増加する局所情報を劇的に無化するから。
すべての経済学は、不足を前提にした思考形式に練り込まれている。
危機的に不足する情況の必要性さえも予め練り込まれている。
電力や食料、住居、そして教育費や医療費、そして軍事費など。
しかし、不足しない思考だけが<テクノロジー>を発見してきたのである。
物質から生まれる漸進的変化は、つねに抽象的であるが、
抽象的思考をメカニズムにまで変換するには
それを思考する人生よりも長い時間がかかっている。
抽象性にはパターンが存在しないので
人々はパターンを複製することから始める。
科学的発見方法が一般化できないように、バックミンスター・フラーの抽象性は、
まだ5%も具現化されていない。
積分(integration)とは、
微分(differentiation)に対する数学的概念として学ぶが、
歴史的には、分化・特殊化(differentiation)に対する
統合(integration)の概念が先行している。
歴史的には、シナジー(synergy)は、
薬学における共働作用という専門化し分化した概念であったが
バックミンスター・フラーによって、シナジー(synergy)は、
エネルギーに対する微積分的な物理的な相互作用として発見され定義された。
細胞という概念が発見されなければ、顕微鏡の発明によっても、
細胞が形態的に認識できなかったように、
この本質的な差異の認識からシナジェティクスは、
シナジー作用を引き起こす結合と解離における構造とパターンを発見してきた。
自然は何をしようとしているのかを考察し、為すべきことは何かを考える場合、
あるいは、後者の方がより困難な場合に、予測的デザインサイエンスが開始される。
その過程において、
誘導されることが目的化される疑似神秘学につねに憑依されない
自発的な真の目的意識だけが、シナジェティクス原理群へと誘導される。
その過程が実在するいくつかの経験から自己のテクノロジーが形成される。
事実に依存する真実は、やがて廃れるだろう。
宇宙の要求にしたがって存在する偉大な意識にこそ真実がある。
バックミンスター・フラーの発明と発見は
見事なほど、非論理的に統合されている。
真の発明と発見は、論理性を備えているが
そのプロセスは論理性から激しく逸脱している。
意図しない偶然が重なり合い、無意識的な計画を呼び寄せる。
それらの事例は、教育には不向きだが、
シナジェティクスの理解には不可欠だ。
ミクロの反対の概念は、マクロではない。
それらは、経験を内部と外部から考察する時に形成される両極なのである。
ベクトル平衡体モデルの収縮拡大の一つの現象の記述にも
内部と外部から見る2つの異なった経験が存在する。
しかし、例えばベクトル平衡体モデルなくして、この概念の認識は困難にちがいない。
その認識には、観察者がその現象を記述する場所(=極性)、
すなわちモデルの内部なのか、または外部なのかを予め選択しなければならない。