シナジェティクスの本質的な試練とは
物理的無限性とそれに到達する理論とを証明する実験モデリングに至る
批判であると同時に存在論であるシナジェティクス起源的思考にある。
例えば、テンセグリティ球の直径の物理的な無限性を
支える張力の連続性から
浮かぶテンセグリティに至る起源的思考。
起源的思考は、オブジェに幽閉する美学や学習から生まれなかった。
シナジェティクスの本質的な試練とは
物理的無限性とそれに到達する理論とを証明する実験モデリングに至る
批判であると同時に存在論であるシナジェティクス起源的思考にある。
例えば、テンセグリティ球の直径の物理的な無限性を
支える張力の連続性から
浮かぶテンセグリティに至る起源的思考。
起源的思考は、オブジェに幽閉する美学や学習から生まれなかった。
シナジェティクス的思考とは、
デザインサイエンス的現実にできるだけ接近し、
さらに、プロトタイプ制作で現実化する過程を
絶えず再構成するクリティカル・パスによって、
予測的デザインサイエンスを作動させる一つの方法である。
その方法こそが、
シナジェティクスの原理群を発見する方法にちがいない。
それによって、シナジェティクスが幾何学から離脱したのは、
予測的デザインサイエンスなくして
その方法が、ほとんど認識されなかったからだ。
諸原理と素材、そして経済的な加工技術との統合する循環から
しばしば、構造原理の発見が訪れる。
それは、バージョンアップとは言わない。
使用している原理を最新版の原理へと切り替える作業は、
前例のない、しかし、自然が使用する原型(=デフォルト)への
クリティカル・パスなのだ。
シナジェティクスは、
学問と実践とを、思考と手を、
直観というメタフィジックス上に構築する峻烈な試みである。
分析と統合からでは、
シナジェティクスの発見のプロセスは理解不可能だ。
バックミンスター・フラーが考えたことよりも、
考えなかったことを求める方法の最大の欠点は、
彼のデザインに類似する可能性がもっとも高くなることだ。
彼のデザインが、最初から誰にも似ていなかったのは、
問題解決の方法が、問題の数よりはつねに少ないという事実から
着手したからだ。
優れたデザインには
主体の自己表現と自己放棄との間に、激しい往復運動が形成されている。
さらに、思考を声に出す行為によって
自己表現と自己放棄との間の非同時的な相反作用を増大させた結果は
しばしば発見と呼ばれる。
それは、思考の圧縮力と張力との相反作用の
見えないテンセグリティ化による自然のプリセッションに違いない。
シナジェティクスは、
特殊な出来事(special case)の多様な存在を差異化し、
それらに固有の形式に変換して類別すると同時に
多様なモデル言語の出現を一般化によって単純化する。
高度に一般化されたシナジェティクス・モデルは、
しばしば、<思考を声にする>過程に出現する。
それは、自己の確実性から誘導される<閃き>からではなく、
言語形成に根ざす<他者性>の領域からである。
二本足で直立することで原始人の脳が大きく重くなったように
圧縮材が相互に非接触になると同時に、
連続する張力材で統合されたテンセグリティは、
劇的に軽量化された。
さらに、原始人の直立歩行が
重力とのプリセッションの制御技術ならば、
テンセグリティは、大地から自律し、
ついに浮遊する動的構造となったのである。
(どちらも重力との相互作用である)
直径の無限性に伴う圧縮材の細分化によって。
(それは、水に浮遊する直径100㎝の
カーボン・テンセグリティモデルによって証明可能だ。)
シナジェティクスモデルと縮小モデルは本質的に異なる。
縮小モデルは、形態認識の手段として定着してきたが
シナジェティクス・モデリングによる未だ認識しえない関係を発見していく方法は
まだあまり知られていない。
シナジェティクスモデルは、物質化を通して
人格的段階と同時に非人格的な領域までを捉えようとしている。
バックミンスター・フラーは、私がその方法を彼と合う前から
直観的に実践していたことを感じていた。
1983年、『コスモグラフィー』は彼の遺稿となった。
(バックミンスター・フラー著 梶川泰司 訳 白揚社 2007)
『コスモグラフィー』で登場するシナジェティクスモデルの
隠れた<構造と意味>は、
手の思考力と直観との相互関係から生成される。
つまり、未だ認識しえない関係は
『コスモグラフィー』にこそ存在している。
もし、テンセグリティが発見されていなかったとすれば、
フラーレンとナノチューブ、そして細胞とシェルターは、
それぞれが特殊な形態として存在していたに違いない。
さらに、自然とその概念をささえる思考が
どのように形成されたのだろうか。
テンセグリティが発見されるまでの世界の科学哲学史に貢献する
圧縮材が不連続な構造を統合する連続する張力材にまで
抽象化された思考を共有する科学的・数学的・哲学的コロニーは、
孤立し遊離しながらもバックミンスター・フラーが練り上げた独自のコロニー以外に
いっさい存在していない事実を除外したならば、
フラーレンとナノチューブ、そして細胞とシェルターを、それぞれ
もっとも少ない物質と時間、そしてエネルギーで形成する同一の構造原理への理解は
他の惑星で展開されていたただろう。